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コメントライナー寄稿第23回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第23回「日本の政治はなぜつまらないのか」が6月19日に配信され、24日にはiJAMPにも転載されました。

毎日、報道機関が政治情勢を伝えます。でも、内容は面白くないと思いませんか。政治家や報道機関は熱意を持って語りますが、多くの国民は関心を持たずにやり過ごしているようです。はっきり言って、日本の政治と政治報道はつまらないのです。

政治とは、意見の異なる人たちが対決と協議をして、結論を導く過程です。ところが日本では、自民党と官僚が「密室」で政策を決めてしまい、その過程が国民に見えません。国会では、質問は事前に通告され、官僚が用意した資料をもとに閣僚は回答します。しばしば「激しい論戦が…」と報じられますが、ほとんどの場合、結果は見えています。
民主主義は、国民という観客の興味を引きつけ支持を得ることが必要で、そのためには演技も必要になります。ところが、そのような場面が少ないのです。

政治家が、夢のような演説や公約をすることもありますが、たいてい実現手法も財源も示されず、願望の総花的な一覧表に近いものです。国民は、その非現実性を見抜いています。「改革」を主張しても、具体的に何を切り落とすのかを示しません。しかし、痛みのない改革はあり得ません。国民は訊きたいのです。「どこを切るのですか」「減税の財源はどこにあるのですか」「赤字国債で将来の国民にツケを回すのですか」と。報道機関も、質問してください。

連載「公共を創る」目次9

目次8」から続く。「目次1」「目次2」「目次3「目次4」目次5」「目次6」「目次7」「全体の構成」「執筆の趣旨」『地方行政』「日誌のページへ

6月26日 226政府の役割の再定義ー政治家と官僚の関係
7月3日 227政府の役割の再定義ー官僚の意見を聞かない「政治主導」
7月10日 228政府の役割の再定義ー異論に耳を傾けることの大切さ
7月17日 229政府の役割の再定義ー英・独に学ぶ官僚の中立性確保
8月7日 230政府の役割の再定義ー上司・部下の関係と公務員のやりがい
8月21日 231政府の役割の再定義ー遅過ぎる質問通告、多過ぎる質問主意書
8月28日 232政府の役割の再定義ー「やりがい」低下の原因
9月4日 233政府の役割の再定義ー首相を支える事務秘書官の仕事
9月11日 234政府の役割の再定義ー
9月18日 235政府の役割の再定義ー
10月2日 236政府の役割の再定義ー
10月9日 237政府の役割の再定義ー
10月16日 238政府の役割の再定義ー
11月6日 239政府の役割の再定義ー
11月13日 240政府の役割の再定義ー
11月20日 241政府の役割の再定義ー

連載「公共を創る」第225回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第225回「政府の役割の再定義ー政治家に求められる能力」が、発行されました。政治家による政策議論について、国会が本来期待される機能を果たしていないことを指摘しています。

社会では、絶えず問題が生まれます。それを、「誰がどのように、そしてどの方向に解決するか」。家族と親族、企業、地域社会、中間団体、宗教、慈善活動やNPO、そして地方議会、国会、行政、司法のうち、誰がまずは責任を引き受け、誰と誰が発言し行動するのか。誰も引き受けない場合、あるいは意見の対立が解消しない場合は、最終的に誰が解決するのか。国によって、解決する主体、あるいは解決することを期待される主体が異なり、またそれら主体の力関係が違います。
同じ近代民主主義国、資本主義自由経済国家であっても、英国、フランス、ドイツ、米国、そして日本は、よってきた歴史と社会が異なり、「国のかたち」が違います。これを考えるのに役立つ書物が、近藤和彦著「イギリス史10講」(2013年、岩波新書)です。英国では、議会が解決の場であるだけでなく、主体になるようです。この本については、このホームページで、たくさんの論点に分けて紹介しました。「覇権国家イギリスを作った仕組み」~「覇権国家イギリスを作った仕組み、9」。番外も「覇権国家イギリスを作った仕組み、12

日本の国会においては、異なる意見や利害を議論して調整することが少ないと指摘しました。では、どこで調整しているのでしょうか。実態として、日本では、内閣、その中でも各省の官僚機構が解決主体として働くものと期待されているようです。
官僚に求められる能力と現実の問題について述べたので、政治家に求められる資質についても書いておきました。

これで、「政治の役割」のうち、「政治主導の在り方」を終えて、次回からは「政治家と官僚の関係」に入ります。

連載「公共を創る」第224回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第224回「政府の役割の再定義ー議論が乏しい「ムラの慣行」」が、発行されました。

政治家による政策議論について、国会と野党の役割を考えています。
先の衆議院選挙で、自公政権は少数与党になり、政府案を与党の数の力で押し通すことが難しくなりました。すると、与野党で議論して妥協し、結論を出す必要が出てきます。野党の意見を取り入れることで、より多くの国民に支持される政策が実現する可能性も出てきます。
一方で、首尾一貫した政策体系を示して、その対立の形で各党が国民の支持を獲得するために競い合うなら良いと思うのですが、政策体系の背景を持たずに、論点ごとに有権者にこびるようなポピュリズムに走ることになると、良くない結果を生むことになりかねません。

議会制民主主義とは、政治家と政党がそれぞれの主張を立て、国民の同意獲得競争をして政権に就き、政策を実行する。その場が国会であり、国民の間のさまざまな利害を調整する場です。政治学の教科書にはこのように書かれていても、それぞれの国がそれぞれに異なる社会と歴史を持っているので、国によって実際の運用は異なります。
日本では、国会が議員間の討論の場になっていません。議員が政府に説明を求め、問題点を追及する場となっているのです。与野党が議論を重ね、政府提案あるいは与党提案を磨き上げて、さらに良い法律や予算にするという意識と経験が希薄です。

この背景には、日本においては、人前で、意見の異なる人同士の間で議論することが少ないことがあります。討論の経験がないし、討論している人から学ぶ機会もないのです。しばしば「和を以もって貴しとなす」という言葉が使われます。聖徳太子の十七条憲法以来の日本の伝統であり、あるいはそうあるべき規範と思われているようです。
しかし、すべての事が最初から最後まで「和である」=一致するはずがありません。それは結局のところ、意見の対立を表面化させないこと、対立がある場合はウラの世界で調整をつけることが良いとされる、社会通念だということができます。

対立が少なく皆が協調するべきという「ムラの慣行」と、オモテの場で議論せず、意見の対立をなるべく表面化させないでいたいという日本社会の深層意識が、討論やそれに基づく修正は避け、野党は政府批判だけをするという我が国特有の国会審議の背景にあるのでしょう。それは、これまでのムラ社会、世間、そして国会を貫く、「この国のかたち」です。

読売新聞「あすへの考」に載りました

今朝6月8日の読売新聞「あすへの考」に、私の発言「人口減令和の処方箋 地方創生本気で大胆に…」が載りました。吉田清久・編集委員の取材を受け、思っていることを話し、質問に答えました。話がいろいろなことに飛んでしまいました。記事を読んで、このように構成するのかと、発言した本人が感心しています。

この問題は即効薬はなく、長期的に取り組む必要があります。そして、モノを作るのではなく、国民の意識を変える必要があります。それは行政の不得意な分野で、行政だけではできず、企業や非営利団体などの力も必要です。私の経験を元に、復興庁でうまくいったことを説明しました。
中見出しに「創生本部を常設の「庁」に。中長期の具体的目標設定も必要」とあります。

・・・石破政権は最重要政策に「東京一極集中是正」と「地方活性化」を掲げた。「令和の日本列島改造」と銘打ち、地方活性化への取り組みに総力を挙げる。政府が地方創生を最初に看板に掲げ、司令塔に地方創生相を新設したのは2014年のことだ(第2次安倍政権)。初代の地方創生相は石破首相だった。しかし、目立つ成果は出ておらず、人口減少や地方の地盤沈下に歯止めがかからない。再生策に決め手はないのか。地方復興に長年取り組み、霞が関で「ミスター復興」と呼ばれた岡本全勝・元復興庁次官に「地方再生・令和の処方箋」を聞いた。(編集委員 吉田清久)・・・

・・・地方の地盤沈下の原因は〈1〉過疎化と東京一極集中〈2〉少子化と人口減少―が挙げられます。
「過疎化と東京一極集中」で留意すべきは、その背景にある心理的な側面です。
誰しも「大人になったら親元を離れ、きらびやかな東京に出てみたい」と思う。かくいう私も奈良県明日香村で生まれましたが、高校卒業後は村を離れたままです。
地方には働く場所が少ない。仕事がなかったら、地元を離れた人は戻らない。この事実は私が復興に関わった東日本大震災でも痛感したことです。
とくに若い女性が地域に根付かないと指摘されています。高学歴化が進み、女性も高校を卒業して東京の大学に多く進学するようになりました。地域に戻らないのは、若い女性が希望するような職場がないからです・・・

次のような位置づけも主張しました。
・・・政治家は国民に対し、国家のグランドデザインを明確に示すべきだと考えています。その意味で、石破茂首相の施政方針演説(1月)に注目していました・・・
・・・国民に、安心できる将来像を示すことは政治の大きな役割です。冒頭に述べた石破首相の「楽しい日本」の提唱もこの文脈で考えるべきです・・・
・・・国の針路を示す羅針盤を失い、向かうべき方向が定まっていません。地方再生が、かけ声だけで、問題解決に至らないのもそのためではないでしょうか。
「令和版・地方再生の処方箋」を見いだす鍵はそこにあります・・・

大きな記事で、見つけた知人からたくさん反応がありました。「中央省庁改革で組織の減量を担当した役人が、新しい役所の創設を提言するのか」「紙面下の長嶋さんの写真より大きいのは問題だ」とも。すみません。
全身像の写真の背景は、市町村職員研修所の中庭です。「どこかの料亭の庭かと思いました」「ホテルの庭ですか」といったメールも来ました。