「社会の見方」カテゴリーアーカイブ

トランプ流「憎悪の経済学」

10月9日の日経新聞オピニオン欄、西村博之・コメンテーターの「トランプ流「憎悪の経済学」 自滅いとわぬ排斥の合理性」から。
・・・米トランプ政権の排外的な政策で米移民人口は2025年前半だけで140万人も減ったと米調査機関ピュー・リサーチはみるが、影響は移民にとどまらない。「外国人歓迎せず」の姿勢は国外からの訪問客も遠ざけ、25年は増加の予想から一転して6%、450万人減ると業界団体は予想する・・・

・・・経済への影響は避けられない。
移民が労働者の3割を占める建設業界では、拘束を恐れて米国籍をもつ移民まで外出を避け「業者の92%で働き手の確保が難しくなった」(米国建設業協会)。
農業への打撃も大きく、果実の一大産地、カリフォルニア州オックスナードを対象とした調査では労働者が最大40%失われ、生産減で価格は同12%上昇した。
接客業も人手が逼迫し、全米レストラン協会はトランプ大統領に配慮を求める書簡を送った。
余波は米国人の働き手にも及ぶ。「屋根や柱をつくる移民が去れば米国生まれの電気工や配管工の仕事も減る」と米経済政策研究所(EPI)のベン・ジッペラー氏は指摘する。「皿を洗う移民がいない飲食店は営業が滞る」
ダラス連銀は無資格移民の減少だけで25年の経済成長率は最大1%低下するとみるが、合法な滞在者や2次、3次的な影響も考慮すると打撃はさらに広がりうる・・・

・・・憎悪と経済の関係を深掘りした英ブラッドフォード大のサミュエル・キャメロン教授は、憎悪が単なる心理的、社会的現象でなく「効用の最大化」という経済学の基本原則から理解できると説く。
ポイントは「効用」が物理面・金銭面にとどまらない点だ。たとえば移民の排除で経済が傷めば狭くは「非合理的」でも、優越感や不満の発散、政治的一体感など別の領域で満足感を得られれば十分に理にかなう。こうした心理的満足感には中毒性があり憎悪を補強・継続させるとも指摘した。
一方、憎悪を生産者と消費者の取引に見立てたのが米ハーバード大のエドワード・グレイサー教授だ。生産者たる政治家は支持や献金、得票といった利益を狙って憎悪を振りまき、これを有権者が消費する。憎悪の需要が増すのは生活苦などで不満を宿す有権者が自らの感情・偏見と共鳴する言説に繰り返し触れたとき。真偽を検証する動機は薄いため、うそと憎悪が自己増殖しやすいとした。
ともに憎悪は非合理的でなく、理にかなうゆえに継続・拡大するとの指摘で、今後の米世論と政策を占う上で示唆に富む。経済に悪影響が広がっても、あるいは広がればなお、よそ者を排する動きが勢いづく懸念は拭えない。

前例はある。1910〜70年代、米南部での差別を嫌った黒人が北部に逃れた「大移動」だ。
「収穫の人手が足りず農地にも利益にも痛手だ」(ルイジアナ州の大農園主)、「工場を増設したいが労働者がいない」(テネシー州の石炭・鉄鋼会社の幹部)。1918年の労働省の報告書が記した経済界の声だ。ミシシッピ州の木材加工業者は人手不足による賃金上昇を、綿花農家は収穫減による銀行の貸し渋りを嘆いた。
一方で「黒人と一緒に働くくらいなら工場は空でいい」(同州の白人市民評議会)といった声も根強く、差別の激化が人材流出に拍車をかけた。結局、600万もの黒人が南部を去り、経済発展で北部に長く遅れる要因となった・・・

機械は人を楽にしない3

機械は人を楽にしない2」の続きです。時間を節約するために作った機械が、時間を取ってしまうのです。楽にするどころか、余裕をなくし、苦しめている場合もあります。

最近では、スマートフォンです。機械は人間が使うものですが、スマホは機械が人間を使っているようです。本人が気になる動画を見たい、ゲームを止められないといった中毒的症状のほか、友人との会話を途切れさせたくないといった理由から、四六時中、気にかけている必要があるようです。

二つの危険があるようです。一つは、悪意を持った人や組織が、迷惑行為や犯罪に引き込ませる場合です。企業がそれに便乗していることもあります。道具や機械が本来の働きでなく、危険をもたらすことはあります。包丁が殺人に使われたり、自動車が事故を起こしたります。

もう一つは、スマホ中毒の危険です。このホームページでも、紹介しています。酒、タバコ、麻薬、賭博の中毒は広く知られていて、近づくことにも規制がかけられています。しかし、多くの人にとってスマートフォンは手放せないものでしょう。迷惑や犯罪行為に引っかかるのではなく、自ら(問題ない画面に)注意を吸い取られ、時間を奪われてしまいます。
どのようにして、これらを規制・是正していくか。スマートフォンを飼い慣らす試みが続けられるでしょう。

個人の時速と社会の時速

30年という時間、体感と社会の変化」「社会の変化に追いつかない意識」の続きにもなります。

個人にとって貴重なものには、財産や健康、家族や友人があります。それぞれ持って生まれたもの、その後に増やしたり減らしたものがあります。もう一つ貴重なものは、時間です。1日24時間は、万民に共通です。それをどのように使うか、有効に使うかどうかで差が出ます。多くの人が「忙しい、忙しい」と言うのですが。

社会の時速については、「汽車と新幹線、漱石と鄧小平」を書いたことがあります。
夏目漱石は『草枕』1906年に、「汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云ふ人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまつてさうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ」と書きました。
改革開放に舵を切った中国の指導者、鄧小平氏が1978年に来日し、東京から京都まで新幹線に乗車した際は「まるで首の後ろから金づちで打たれているようなすごいスピードを感じる」と感嘆しました。

各人に与えられた24時間は、誰にでも、どこでも、いつの時代でも同じです。しかし、それぞれの人にとって、1時間は同じではありません。同じようには感じないのです。
朝の10分は急いでいるので貴重で、早く経ちます。でも、夜の10分は気になりません。飲んでいるときは、さらにです。子どもの時は1日が長かったですが、大人になると早く過ぎます。
視野の時間的広さ・ゾウの時間 ネズミの時間2

そして、社会の時間の早さです。各人にとって、自分の時間感覚とは違った早さで、社会が変化し、過ぎ去っていきます。夏目漱石や鄧小平が感じたのは、それだったのでしょう。そして、社会の時速は、どんどん速くなっているように思えます。

見えないものを見えるようにする

10月24日の朝日新聞夕刊に「女性たちの力、「気づいて」 50年前の「女性の休日」、映画化した監督」が載っていました。印象的なのが「目に見えないものが見えるようになった」という表現です。

・・・世界経済フォーラムが公表するジェンダーギャップ指数で16回連続世界1位のアイスランド。男女平等への歩みが始まるきっかけとなった1975年の「女性の休日」から、24日で50年になる。この日を描いたドキュメンタリー映画を制作した米国人のパメラ・ホーガン監督は、「女性たちが連帯すれば、想像もできないことが成し遂げられる」と語り、日本の女性たちに対し、「社会の中で自分が持つ力に気づいてほしい」とエールを送る。

「女性の休日」とは、75年10月24日、アイスランドで女性の90%が一斉に仕事や家事を「ストライキ」した運動を指す。「女性がいなければ社会は動かない」ことを可視化させ、男女平等を訴えるためだった。
この日、首都レイキャビクなど各地で集会が開かれ、2万5千人以上が参加したとされる。アイスランドではこの出来事がきっかけとなって女性の社会進出が進み、5年後の80年には世界で初めて民主的な選挙による女性大統領が誕生した・・・

・・・50年前のアイスランドはジェンダー平等の先進国ではなかった。たった一日がなぜこれほど大きなインパクトを与えたのか。
ホーガン監督はある女性から「あの日、目に見えないものが見えるようになった」と言われたという。「これがどれほど深い意味を持つか考えてみてください。女性の仕事の多くは目に見えないもの。女性が当たり前のように行っていたことが突然、その国の機能にとって非常に重要だと理解されるようになったのです」・・・

今まで当たり前だと思っていた事実が、違う観点で見るとおかしいことに見えます。実態は変わっていないのに。
この「女性の休日」の場合も、そうでしょう。ただし、社会の既成勢力や常識が、「これはおかしい」と受け入れる素地も必要です。日本では、「夫は働きに出て、妻が家庭を守る」という常識が長く支配的でした。片働き家族と共働き家族の数が逆転したのは1990年代半ばでした。しかし、その後も、保育園が不足したり、夫が家事に参加しないことから、女性が働きに出るには大きな障害がありました。
公共交通機関のバリアフリーも、同じです。乳母車や車椅子での移動がどれだけ不便だったか。見えるようになると、これまでおかしさが見えてきて、改善が進みます。
その延長でいうと、報道機関や研究者の役割は、これまで見えていなかった事実を見えるようにすることでもあります。

社会の仕組みの相互補完性

変化によって形と関係はつくられる」の続きにもなります。相互補完性と題名に書きましたが、相互連関性でもあります。

生物は単独で進化するのではなく、競争相手や環境との相互作用で進化していきます。そして複雑な生態系をつくっています。
奄美諸島で、毒蛇ハブを駆除するためにマングースを放ちました。しかし、マングースはハブではなく、アマミノクロウサギなど島在来の希少種を襲ったのです。もしハブが駆除されたら、今度はハブを天敵としていた小動物が増加して、その影響が出るのでしょうね。動物同士の関係も、簡単なものではありません。

それと同様に、社会環境や社会の仕組みも、複雑に絡み合ってできています。スイッチを一つ押すと一つ電灯がつくようなものではなく、一つボタンを押すといろんなところに波及します。
ここでは、子育てを巡る最近の変化と対応を取り上げましょう。
つい最近まで、働く女性が子どもを持つと、会社を辞めることを余儀なくされていました。働きに出るには、保育園が必要です。保育園が足らなくなって、増やしました。保育園を増やすと、働く女性が増えて、さらに保育園が足らなくなりました。病気の子どもを預かってくれる病児保育も必要でした。でも、保育園を造っただけでは、親が働きに出るには不十分です。
父親も子育てすることが「常識」になりました。町にある公衆トイレ、男性用にもおむつを替える台や、幼児を座らせる席も増やさなければなりません。乳母車が円滑に通れるような通路やエレベーターも。エレベーターが混んでいる場合には、周囲の人が譲る気風も必要です。
父親も育休を取ることができるように、勤務先に求めています。残業が当たり前の職場では、父親も母親も子育てができません。「子どもが熱を出した」と保育園から電話がかかってきたら、早退しなければなりません。それを認める職場である必要があるのです。
施設や制度だけでなく、父親、職場、社会の意識を変える必要があります。まだまだありますが、これだけも関連しているのです(もっと良い事例があるでしょうが、今日はこれしか浮かばないので)。

2020年2月に新型コロナウイルスが拡大したとき、政府は感染拡大防止のために、一斉休校を打ち出しました。その唐突さが問題を生じさせました。首相がその方針を表明したのは木曜日の夕方で、休校は翌月曜日からでした。保育園や学校、学童保育が休みになると、働いているお父さんとお母さんのどちらかが、仕事を休んで面倒を見ることになります。それぞれ、月曜日の仕事の予定が入っていたでしょう。そのような影響を考えなかったのです。