カテゴリーアーカイブ:社会の見方

『リベラリズムとは何か』

2026年4月17日   岡本全勝

マイケル・フリーデン著『リベラリズムとは何か』(2021年、ちくま学芸文庫)を読みました。別の本を読んでいて、紹介されていたので、こちらを先に読みました。日本語では「自由主義」だと思います。
宣伝文には次のように書いてあります。
「政治理論の本流に位置し、現代において最も重視される思想であるリベラリズム。だが、その中身はどこか曖昧で理解しづらく、「リベラリズムとは何か」という問い自体が一つの争点であり続けてきた。ときに互いに矛盾する内容すらはらむ、この思想の核心はいったいどこにあるのか。本書では、「リベラリズム」という用語自体の歴史的変遷や思想的広がりを五つの層という視点から捉えなおし、そこに七つの中核的概念を見いだしていく」

この論点や分析について、本書の記述になるほどと納得しました。歴史的にどのように変遷してきたかが、よくわかりました。
第一は、君主権力からの解放と個人の自由の確保です。これが、リベラリズムの出発点・核となります。
第二に、市場において自由に経済活動をすることです。契約が尊重されます。
第三は、個人の個性の発展を促進するという考え方で、言論と教育の自由を重要視します。自由は固定的でなく、発展するものとなります。
第四は、第三をさらに発展させます。人間の発展への障害物がより広く認識されます。欠乏、疾病、無知、不潔、怠惰。これら障害物の除去です。国家は積極国家になります。個人と国家は切り離されたもの、対立するものではなくなります。
第五は、権力の分散から、集団の多元性へと転換します。性別、民族、宗教という分類が、否定・排除・無視されるのではなく、保護・参加になります。(本文はより難解なので、私なりに要約しました)

連載「公共を創る」で、西欧近代憲法から現代憲法へと哲学が変化してきたこと、日本国憲法が80年前につくられその後改正されていないこと、行政が現代憲法の思想に止まっていてその後の社会の変化・新しい課題に対応できていないことを論じています。この本を読んで、リベラリズム・自由主義の意味・意義が歴史的に変化していることを確認して、参考になりました。
例えば、イギリスの自由党が19世紀に支持を受け、20世紀になると凋落します。戦う敵、目指す社会像が変化していたのです。また、「進化」の過程で、それまでのリベラリズムの限界や問題、過ちが見えてきます。

政治思想は、その時々の社会課題に対応するために、内容を変えてきたのです。数学の定義はあらかじめ決まっていますが、政治思想はそうではありません。そして、対立する思想があって初めて、その意味が確定します。その点では、対立する思想との違いを説明してほしかったです。本書では、競合する他のイデオロギーからの挑戦を受けているとして、保守主義、ナショナリズム、社会主義、緑の政治、原理主義、ポピュリズムを挙げています(203ページ)。追加するなら、全体主義、独裁主義、権威主義などもあるでしょう。

ところで、リベラリズムを解説すると、ほぼ西欧の政治史になりますが、日本が出てくるか所があります。
38ページに次のような記述があります。「実際、「リベラル」というラベルを誇示する一部の政党はリベラル派とはほど遠い。その例が、日本の自由民主党であり、この政党は中道府は保守政党である」。
204ページには次のような記述があります。「現在、多くの保守的、社会民主主義的、ナショナリズム的、またはポピュリズム的(政治)システムー特にヨーロッパとアメリカ大陸の、またオーストラリア、ニュージーランド、インド、日本でもーにとって、立憲主義と法の支配を受け入れながら、明白ないし一義的にリベラルなイデオロギーを採用しないでいることは、ごく普通のことになっている」。
学問、特に輸入学問の世界に閉じこもった概念や議論で終わると、リベラリズムも国民の実践には結びつかないでしょう。「日本におけるリベラリズムの位置」

本文は220ページほどの文庫本なのですが、内容は大きかったです。読み終えるのに結構な時間がかかりました。原文が、特にその言い回し(構文)がそうなのでしょうか、日本語訳が「堅く」て、理解するのに少々難渋しました。
類書に、宇野重規ほか編『リベラリズム 基礎からフロンティアまで』(2026年、東大出版会)があります。

東京目線の災害報道

2026年4月17日   岡本全勝

4月1日の朝日新聞「社会と新聞をつなぐ 新パブリックエディターに3氏」。
・・・朝日新聞社のパブリックエディター(PE)に1日、飲料メーカー・チェリオコーポレーション社長の菅(かん)大介さん(44)、京都大学大学院法学研究科教授の曽我部真裕(そがべまさひろ)さん(51)、クリエーティブディレクターの辻愛沙子(あさこ)さん(30)が就任しました。新聞への期待や注文、新PEとしての抱負を聞きました・・・

菅大介・チェリオコーポレーション社長の「前向く力、もらえる記事を」から。
・・・忘れられない報道があります。2011年の東日本大震災直後から6週間、自社の飲料計17万本を被災地に届けました。そのさなか、朝日新聞出版の週刊誌AERAの表紙に、「放射能がくる」との見出しと防護マスク姿の人のアップ写真が掲載されたのです。
衝撃を受けました。被災地で人々が寒さに耐えていた時期です。被災地に思いを寄せることなく、東京からの目線で恐怖をあおっているのではと怒りがこみ上げました。「AERAイコール朝日新聞」と受け止めていた私はそれ以来、朝日新聞から距離を置くようになりました・・・

女性トイレの行列解消は国の仕事か

2026年4月16日   岡本全勝

社会の問題、特に地方行政について鋭い指摘をしている「自治体のツボ」、4月15日は「女性トイレの行列解消は国の仕事か」でした。

・・・国交省は男女が等しく快適に過ごせるよう、トイレの待ち時間を平等にせよ、と施設管理者らを指導していくようだ。利用者が男女同数なら、女性用を多く設計することも求めるそう。ま、内容はいいけれど、国に言ってもらわないとやらないのか、民間は。
NHKホールだけでなく、歌舞伎座も映画館も混雑している。行列を放置する商業施設は選ばれなくなるが、唯一無二の殿堂、歌舞伎座あたりはあぐらをかいて手を打たない。だから国が出てきてしまうのか。そもそも施設を造る前から配慮しておくべきことだ。
女性用トイレの混雑放置という事象に国がお出ましになる事態は、いかに日本が女性の社会進出に関心がないか如実にあぶり出すものといえる。競技場などは男性トイレを開放するなどの対策をとっているようだが、女性が人の集まる場所に出かけるのは難儀だろう・・・

続きは、原文をお読みください。

消費税ゼロ、経営者「反対」66%

2026年4月16日   岡本全勝

3月31日の日経新聞1面に「消費税ゼロ、経営者「反対」66% 給付付き控除は「賛成」86% 社長100人アンケート」が載っていました。
・・・高市早苗政権が導入を目指す飲食料品の消費税ゼロに日本の主要企業の経営者は否定的な見方を示している。日本経済新聞の「社長100人アンケート」では回答の66.3%が「反対」だった。物価高対策としての効果に懐疑的で、財政悪化への警戒感が強い。一方で、給付付き税額控除には所得再分配の手段として支持が集まっている。
アンケートは国内主要企業の社長(会長などを含む)を対象に3月2〜19日に実施し、143社から回答を得た・・・
反対の理由は、代替財源が確保できないから(71%)、景気押し上げ効果は限定的でコストに見合わないから(67%)などです。

4月1日には「ブランシャール氏に聞く積極財政 成長投資「正しい」、消費税減税「異論」」が載っていました。
・・・26日の政府の経済財政諮問会議に有識者として出席した米マサチューセッツ工科大学のオリビエ・ブランシャール名誉教授が日本経済新聞のインタビューに応じた。高市早苗政権の責任ある積極財政の考え方に「正しい」と賛同した。食料品の消費税率を2年間0%にする政府・与党案については「少し異論があるかもしれない」と語った・・・

食料品の消費税率を2年限定で0%にするという高市政権の案について。
・・・私はその案に少し異論を唱えるかもしれない。食料や誰もが必要な商品の税率を所得再分配の観点で引き下げるのは良い考えだ。ただ私が必需品の減税を検討するなら、他の品目の税率を引き上げるだろう。そうでなければ財政赤字を増やし、財政の信認を低下させる。実行するなら予算に中立であることを徹底すべきだ。
なぜたった2年間なのかも論点だ。低所得者層を真剣に支援するならそれは恒久的措置出あるべきだ。景気循環も時限的な減税の理由の一つにはなる。景気後退期に一時的に減税すれば、再増税前に人々の消費を増やすインセンティブになる。これは景気後退期には有用な政策だが、今の日本はそうではない・・・

日本におけるリベラリズムの位置

2026年4月15日   岡本全勝

3月28日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思さんの「揺らぐ、リベラリズム」から。いつもながら、鋭い分析です。原文をお読みください。

・・・先の衆議院選挙における、中道改革連合の、とりわけ旧立憲民主党の大敗は何を意味するのだろうか。「リベラルの敗北」というのが大方の回答だ。だがそれでは「リベラル(リベラリズム)」とは何なのであろうか。
「リベラル」とはかなり幅を持ったいくぶんあいまいな言葉だが、その中心にあるのは「個人の自由についての平等な権利」だ。そこで、「個人の自由」を制限する、国家、家族、企業組織、宗教、伝統的慣習、共同体社会に対して、それは懐疑の目を向ける。
他方では、民主主義や人権、福祉などの社会的正義の実現を主張する。「自由な個人による民主的な政治の実現」と「古い伝統や因習の打破」によって社会の進歩をめざす。これが「リベラル」の核にある思想であろう。

戦後の日本も、個人の自由、民主主義、人権思想などを受け入れた。しかしそこにもうひとつ独特の事情が加わった。その結果、戦後日本には、「日本」をめぐるふたつの立場ができあがった。ひとつは、平和憲法の理想こそ日本の国是だとする護憲平和主義であり、他方は、日本の国家の安定を日米安保体制に委ねるとする現実主義である。
ところがそこに米ソの冷戦が始まった。その中で、護憲派は社会主義へと傾斜し、他方、日米安保体制の現実派は、米国の自由主義へと傾斜し、ここに戦後日本の政治と思想を特徴づける「革新」と「保守」の対立が生じた。
だが、この「保革対立」は、あくまで日本の特殊事情によるところが大である。それは、敗戦後の日本が、GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策のもとで復興し、日米安保体制のもとで「戦後」へと移行したからだ。その結果、「革新派」の平和主義は、実際には、米国による安全保障と米国が与えた憲法を前提としたものであり、他方、「保守派」の現実主義も端的にいえば米国への「従属」を意味していた。実際には、どこにも「リベラル」などなかった・・・

・・・そこで日本に戻ろう。冷戦以降の日本の左翼革新派は、マルクス流の階級闘争や社会主義の夢を放棄し、米国流の「リベラル」に接近した。21世紀の日本の「リベラル」の課題は、もはや階級闘争ではなく、移民受け入れ、人々の個性や性的多様性の重視、夫婦別姓、それに反原発、反安保法制であり、その根本には護憲がある。
だが、米国流の「アイデンティティー・ポリティクス」を持ちこんでも大衆の心情を動かすことはできない。反原発も反安保法制も、今日の現実の前では、ほとんど説得力を持ちえない。
米国が敷いた「リベラルな国際秩序」が機能不全になれば、日本の安全保障は、切実な現実問題となってくるのであり、もはや護憲平和主義を唱えるだけではどうにもならない。これが、今日の状況なのである。
少し強い言い方をすれば、米国流の「リベラル」を持ち込み、米国が与えた平和憲法をそのまま護持することだけを唱えてきた「リベラル」が影響力を失うのも当然だろう。いや、そもそも日本には固有の「リベラル」などというものはなかったのではなかろうか。

ところで、このように書いてくれば、実は、問題は「リベラル派」に限られるものではないことに気づくだろう。「保守派」も同様なのではなかろうか。
戦後日本の「保守勢力」は、社会主義へと接近する「左翼革新勢力」から「日本を守る」という使命を自らに課した。日米安保体制もそのためであった。「保守」が大きな意味をもったのは、冷戦下で「革新」にそれなりの影響力があったからだ。ところが、社会主義も崩壊し、左翼勢力は米国流の「リベラル」へと変身してゆく。そうなれば、一体、「保守」の存在理由をどこに求めればよいのだろうか。
しかも、戦後、日本は、政治、経済、文化、学術のほとんどの分野で米国を模範とし、それに追従してきたのである。米国は、基本的に「リベラルな価値」を社会の核に据えた国であり、日本の保守勢力も、日米の親密な同盟とは「リベラルな価値の普遍性」を実現するものだと述べてきた。だとすると、その米国における「リベラルな価値」の失墜は、「リベラル派」のみならず、「保守派」にとっても大きな試練になるだろう・・・