カテゴリーアーカイブ:社会の見方

移民との共存

2022年10月23日   岡本全勝

10月13日の朝日新聞オピニオン欄、アメリカの政治学者・ジャスティンゲストさんの「移民とつくる「私たち」」から。移民が増えることで、「この国のかたち」をどうつくるかが問われています。

・・・外国からやってきた人が住民の多数になりつつあるコミュニティーは、日本にもすでにいくつも存在する。そこでは、「私たち」と「彼ら」を分ける意識が生まれる一方、共に生きる道を探る動きもみられる。米国の白人労働者層や、移民が多数派になった国々の調査で知られる米政治学者に、「私たち」の再定義について聞いた・・・

――新著「Majority Minority」では、少数派である移民が多数派になった国や地域を調査していますね。私は外国人住民が半分以上の埼玉県川口市の芝園団地に住んでいるのですが、ナショナル・アイデンティティーの再定義について論じていることに関心を持ちました。
「私が調査した国や地域(シンガポール、トリニダード・トバゴ、バーレーン、モーリシャス、米ハワイ、米ニューヨーク)は、いずれの社会も最終的には反動を経験しました。移民が増えると人々は不安になり、人口動態の変化を心配するようになったのです。こうした経験をした国々では、多様化する社会における国や国民の定義とは何か、『ナショナル・アイデンティティー』をどのように新たにつくり出すかという問いが生まれます」
「つまり、ナショナル・アイデンティティーを何らかの形で調整し、より包摂的なものにするのかしないのか、という選択です」

――では、日本はうまく対応できているのでしょうか。
「日本がしていることは、外国人に『一時的な労働者』というレッテルを貼ることです。『よく思わないかもしれませんが、彼らは長く日本に住むわけではないので心配しないで下さい』というものです。私は二つの理由から、これは有害だと考えています。一つには、外国人労働者のなかには在留期間を更新すれば無期限に住める人々もいるので、『一時的』という説明は正直ではありません」
「もう一つの問題点は、国家にとっての弊害です。外国人に『あなた方は一時的滞在の労働者だ』と言うことは、相互理解のための人間関係に投資していないことになるからです。彼らはイノベーター、発明家、経営者として社会に貢献する権利も与えられないかもしれない。外国人の側も社会に溶け込もうとしなくなり、人々は『外国人は社会に溶け込もうとしないからいらない』と考える負のサイクルに陥ってしまいます」

――日本の場合は、労働力や競争力確保のために外国人は受け入れるが、民族的なアイデンティティーは保ちたいという考えが、定住を前提としない受け入れにつながっていると思います。
「そうでしょうね。ただ問うべきは、『Who we are(私たちは何者か)』とエスニシティー(民族性)を、デカップル(切り離すことが)できるかどうかです。私はできると思います。『日本人とは何者か』ということには、市民的な要素が含まれていると思います」

――市民的な要素とは、例えばどういったものですか。
「まずは米国について考えてみましょう。米国には、民族や宗教とは関係なく、地球上のどの国とも違う、アメリカを特徴づけるあるものがあります。その一つが『可能性』という考え方で、アメリカンドリームという概念につながるものです。これは人種や宗教、民族とは関係ありません。市民的なものです」
「日本では、外国人が日本人の真骨頂である特性を取り入れることは、そんなに不可能なことなのでしょうか。私自身は、どの国でも可能だと考えています。例えば忠誠や協調、信頼といった価値観や、細部にまで気を配ることです。これらは、たとえ自分の家族がこの国にルーツや先祖を持っていなくても、外国人が取り入れ、見習い、体現し、愛するようになることができる日本人の特徴だと思います」

上野誠著『万葉学者、墓をしまい母を送る』

2022年10月21日   岡本全勝

上野誠著『万葉学者、墓をしまい母を送る』 (2022年、講談社文庫)を紹介します。友人が勧めてくれたので、読みました。

上野誠・奈良大学名誉教授による、親族の死と葬式をめぐる考察です。
・半世紀前の祖父の自宅での死と地域での葬式と、最近の母の病院での死と家族だけの葬式。その民俗学的比較。
・遺体を湯灌する際の怖さ。
・祖父がつくったとても立派なお墓と、それが維持できなくなり墓じまいをすること。その民俗学的、経済学的考察。
・両親の面倒を見ていた兄の死で、実家を離れていた弟が高齢になった母を引き取り、見取り、葬式を出すこと。その体験談。
大家族が核家族になり、自営業が勤め人になり、子どもたちが家を離れます。地方都市での商店・問屋が成り立たなくなり、大きな家やお墓を維持できなくなります。私の体験と一部共通することがあるので、身につまされる思いで読みました。

1960年の明日香村、おばあちゃんが死んだときは、親族と隣近所をあげての葬式でした。座棺(丸い風呂桶のようなもの)に収め、籠に乗せて、葬列をつくって、山の上の墓地まで行きます。土葬です。近所の人が集まって料理をつくり、墓を掘りに行きます。仏壇の前で、おばさんたちが念仏を唱え、大きな数珠を繰ります。その輪の中に座らされた記憶があります。
村でも、その後は火葬になり、葬式は家から出すのではなく、斎場を使うようになりました。このあたりは、上野先生と同じです。

お墓は、山の上の埋め墓とお寺の境内の参り墓の二つありましたが、岡本の墓は近年に、参り墓に集めました。村の地主で名家だったので、お寺の境内の一番良い場所に大きな石の墓があります。私の曾祖母が建てたそうです。
本家の当主(伯父)と跡取り(いとこ)が亡くなり、次男だった私の父が本家の屋敷や墓の管理をし、父の死後は私の弟が管理をしています。長男である私は東京にいて、勤め人なので、まったく役に立ちません。弟夫婦に感謝です。
戒名をもらうのに多額のお金が必要であることについて、上野先生はお寺を維持するために必要だと説明しておられます。その点は納得しますが、大きな家やお墓の維持は、地主制度がなくなり、自営業をやめて勤め人になると、子孫にとって負担は大変になります。

「立派な墓をつくると家は栄える」と言うことについて、上野先生は「家が栄えると立派な墓がつくられる」と読み替えておられます。私の若いときも、見合いの聞き合わせ(相手の家の近所に行って、その家がどのような家かを調査する)の際に、お墓を見るとその家の格が分かると聞いたことがあります。昭和は遠くなりました。

30年の経済低迷の原因

2022年10月21日   岡本全勝

10月12日の日経新聞経済教室は、小林慶一郎・慶応大学教授の「長期停滞、対症療法脱却を」でした。そこに、30年間の経済低迷の理由が述べられています。分かりやすいです。特に、2010年代の原因を、人的資本の劣化だと指摘しておられます。

・・・ここで、過去30年の経済低迷の原因として想定できるものを列挙してみよう。1990年代は不良債権、00年代は不良債権処理の後遺症、低金利環境による過度なリスク回避、10年代は人的資本の劣化であろう。

90年代には、不良債権処理が遅れたために不確実性が日本全体にまん延し、様々な問題を引き起こした。05年に不良債権問題は正常化したが、15年間も処理にかかったことで後遺症が残った。企業活動が萎縮し、低成長が長引いたのだ。
90年代末の銀行危機のあと、雇用を重視する日本企業の伝統は崩れ、非正規雇用が急増した。一橋大学の深尾京司特命教授らの22年の研究によると、00年代には非正規雇用が増えたことなどで賃金が下落し、労働分配率が低迷した。この時期に人的資本への投資が低迷し、その結果が時間を経て顕在化したのが10年代の低成長だと指摘している。
00年代に不良債権処理で虚弱化した経済をゼロ金利で支えたことは、短期的には効果があっただろう。しかし想定外に長くゼロ金利が続いたため、景気刺激効果は薄れ、副作用も出てきた。低金利環境が経営層のリスク回避を過度に助長し、低成長をさらに固定化したのである。
雇われ経営者の立場で考えれば、低金利で資金調達できるのだから、低収益でもリスクのない事業をしておけば債務不履行を起こしてクビになることはなく、老後も安泰である。だから、リスクのある事業にあえて挑戦しない・・・

・・・低金利が低成長をもたらす副作用は、低金利環境が長引くことで生じる。経済や企業経営を活性化するために、四半世紀も続くゼロ金利環境を、段階的に正常化する道筋を考えなければならない。
次に人的資本の劣化については、独マンハイム大学のトム・クレッブス教授が03年の論文で理論モデルを提唱している。クレッブス教授は、賃金所得の変動リスクがなんらかの理由で増大すると、人的資本の蓄積が減ると指摘している。
労働者にとって、人的資本投資(教育や研修を受けることなど)のリターンは賃金なので、賃金の変動リスクが増えるということは、人的資本投資のリスクが増えるということにほかならない。人々はリスクの高い投資(自分の人的資本を増やす投資)を避けるので、経済全体で人的資本が減少する。つまり、賃金の変動リスクが上昇すると、人的資本投資が減少し、経済成長率が下がる。
クレッブス教授の議論は、00年代に日本で非正規雇用が増えて雇用リスクが上昇したため、人的資本が劣化して経済成長率を押し下げたことを示唆している。もちろん、本人の選択による人的資本投資の減少だけでなく、非正規雇用の労働者に対する教育訓練コストを企業側が削減したという要因も、人的資本の劣化に影響したとみられる・・・

優先座席に座るかどうか

2022年10月20日   岡本全勝

障害者などのための電車の優先座席が適正に使われているかを調べた調査があります。「どうすれば「優先席」を優先利用できるのか~罰則? 社会の目? それとも……」(ウェブ論座、10月10日)
全国6地区で比較調査したところ、札幌での適正利用率が飛び抜けて良く、関東は極めて悪いです。札幌市営地下鉄は「専用席」だそうです。

私が利用する地下鉄丸ノ内線でも、元気そうな若者が優先座席に座って、スマートフォンに熱中しているのを見かけます。外見だけでは判断できませんが。テニスの用具を持って、これから練習に行くと見える人が座っているのを見ると、「なんやこの人?」と思います。
私は「あなた元気そうなのに、優先席に座っていますね。あそこの高齢者や子ども連れに譲ってあげませんか」とは、よう言わないので、黙って見ています。根性無しです。
私にできるのは、まずは優先席に座らないこと。普通の座席に座っていて、そのような人が乗ってきたら、座席を譲ることです。

今日も、二人連れの高齢者が乗ってきて、私の隣が一つ空いていたので、二人で座ることができるように座席を譲りました。「すみませんねえ」とおっしゃるので、「いえ、私の方が若いですわ」と笑いました。小さな満足です。

近藤和彦訳『歴史とは何か』

2022年10月19日   岡本全勝

近藤和彦先生の新訳による、エドワード・カー『歴史とは何か』(2022年、岩波書店)を読み終えました。『歴史とは何か』は、清水幾太郎訳の岩波新書で何度か読んだので、「もうよいや。ほかに読まなければならない本もあるし」と最初は通り過ぎたのですが。
『歴史学の擁護』を読んだこともあり、近藤先生とはホームページ上でのお付き合いもあるので、読んでおこうと再考しました。なお、先生に引用してもらった私のページはその後ホームページのサイトを変えたので、次のページになっています。「覇権国家イギリスを作った仕組み

新書でなく、四六版で400ページと大きなものなので、少々根性を入れて読みました。もっとも本文は260ページほどで、清水訳とはあまり変わりません。紙の質が違うので、分厚いようです。
近藤先生の丁寧な訳注があり、また解説があるので、読み飛ばすわけにはいきません。「なるほどこういうことなのか」と思うところが多かったです。そのいくつかは、このホームページで紹介しました。「モノとコト2」「過去との対話と未来との対話

清水訳も何度か読み返したのに、今回学ぶところが多かったのは、次のような理由でしょう。
まず、寝転がらずに、本と正対して読んだこと。
清水訳の一部分は覚えていましたが、ほとんど忘れていたこと。
『歴史学の擁護』などの知識もあったので、理解が深まったことでしょう。もっとも、歴史学者は私以上に深く読まれるのでしょう。

歴史とは何か、事実を羅列した年代記と歴史学との違い、客観的な事実とは何か、歴史における因果関係とは何か(偶然と必然。クレオパトラの鼻が低かったら・・・)、自然科学と歴史学・社会科学との違いを考えたい人には、お勧めです。