移民との共存

10月13日の朝日新聞オピニオン欄、アメリカの政治学者・ジャスティンゲストさんの「移民とつくる「私たち」」から。移民が増えることで、「この国のかたち」をどうつくるかが問われています。

・・・外国からやってきた人が住民の多数になりつつあるコミュニティーは、日本にもすでにいくつも存在する。そこでは、「私たち」と「彼ら」を分ける意識が生まれる一方、共に生きる道を探る動きもみられる。米国の白人労働者層や、移民が多数派になった国々の調査で知られる米政治学者に、「私たち」の再定義について聞いた・・・

――新著「Majority Minority」では、少数派である移民が多数派になった国や地域を調査していますね。私は外国人住民が半分以上の埼玉県川口市の芝園団地に住んでいるのですが、ナショナル・アイデンティティーの再定義について論じていることに関心を持ちました。
「私が調査した国や地域(シンガポール、トリニダード・トバゴ、バーレーン、モーリシャス、米ハワイ、米ニューヨーク)は、いずれの社会も最終的には反動を経験しました。移民が増えると人々は不安になり、人口動態の変化を心配するようになったのです。こうした経験をした国々では、多様化する社会における国や国民の定義とは何か、『ナショナル・アイデンティティー』をどのように新たにつくり出すかという問いが生まれます」
「つまり、ナショナル・アイデンティティーを何らかの形で調整し、より包摂的なものにするのかしないのか、という選択です」

――では、日本はうまく対応できているのでしょうか。
「日本がしていることは、外国人に『一時的な労働者』というレッテルを貼ることです。『よく思わないかもしれませんが、彼らは長く日本に住むわけではないので心配しないで下さい』というものです。私は二つの理由から、これは有害だと考えています。一つには、外国人労働者のなかには在留期間を更新すれば無期限に住める人々もいるので、『一時的』という説明は正直ではありません」
「もう一つの問題点は、国家にとっての弊害です。外国人に『あなた方は一時的滞在の労働者だ』と言うことは、相互理解のための人間関係に投資していないことになるからです。彼らはイノベーター、発明家、経営者として社会に貢献する権利も与えられないかもしれない。外国人の側も社会に溶け込もうとしなくなり、人々は『外国人は社会に溶け込もうとしないからいらない』と考える負のサイクルに陥ってしまいます」

――日本の場合は、労働力や競争力確保のために外国人は受け入れるが、民族的なアイデンティティーは保ちたいという考えが、定住を前提としない受け入れにつながっていると思います。
「そうでしょうね。ただ問うべきは、『Who we are(私たちは何者か)』とエスニシティー(民族性)を、デカップル(切り離すことが)できるかどうかです。私はできると思います。『日本人とは何者か』ということには、市民的な要素が含まれていると思います」

――市民的な要素とは、例えばどういったものですか。
「まずは米国について考えてみましょう。米国には、民族や宗教とは関係なく、地球上のどの国とも違う、アメリカを特徴づけるあるものがあります。その一つが『可能性』という考え方で、アメリカンドリームという概念につながるものです。これは人種や宗教、民族とは関係ありません。市民的なものです」
「日本では、外国人が日本人の真骨頂である特性を取り入れることは、そんなに不可能なことなのでしょうか。私自身は、どの国でも可能だと考えています。例えば忠誠や協調、信頼といった価値観や、細部にまで気を配ることです。これらは、たとえ自分の家族がこの国にルーツや先祖を持っていなくても、外国人が取り入れ、見習い、体現し、愛するようになることができる日本人の特徴だと思います」