カテゴリー別アーカイブ: 知的生産の技術

生き様-知的生産の技術

インターネット検索の限界

3月19日の読売新聞文化面「読むは今」、稲泉連さんの「偶然の出会い「ぴあ」の役割」から。
・・・昨年11月、情報誌『ぴあ』がスマートフォンアプリとして“復刊”した。ライブや映画上映のスケジュールなど、都市のエンタメ情報のインフラだった同誌の休刊は8年前。
「『ぴあ』の機能はネット検索で代替できる。それが休刊の大きな理由でした」2000年の入社以来、休刊まで雑誌『ぴあ』の編集に携わり、現在はアプリ版の編集長を務める岡政人さんは語る。
では、今回のアプリ版『ぴあ』のリリースに当たって、彼らはどのような「役割」を再び見つけ出したのか。
「実際に雑誌がなくなってみると、『情報は検索で探せるものだけではない』という問題意識が僕ら自身にも生じてきたんです」・・・

・・・同誌が支持を得たのは、例えば「この週末に何をしよう」といった曖昧なニーズを一冊で満たしたからだった、と岡さんは指摘する。
「ぱらぱらと頁をめくることが、自分でも思っていなかった行動のきっかけになる。そうして出かけた先で新たな出会いや関心が生まれる。それが情報誌の果たしてきた役割でしょう。『自分のしたいこと』が明確な人なら、確かにグーグル検索があればいいかもしれない。でも、エンタメの出会いの全てが、検索で生まれるわけではない」・・・

探したい本がわかっているなら、インターネットで検索するのが便利です。しかし、本屋をぶらりと歩いて、興味深い本を見つけることは、インターネットではできません。「街歩き、文具店

鎌田浩毅先生新著『読まずにすませる読書術』

鎌田浩毅先生の新著『読まずにすませる読書術 京大・鎌田流「超」理系的技法』(2019年、SB新書)を紹介します。鎌田先生の読書術としては、『理科系の読書術』がお勧めです。今回の書は、前著の延長にあります。

今度の本は、読書家に共通の悩み、「本の自己増殖」への解決策です。買っても最後まで読めない、読まない本が増えることへの対策です。
ポイントは次の通りです。
・ストックしてあるだけの本が再び必要になる場面はない。
・「この本が人生を変えるか?」で不要な本は減らす。
・「いつか読む」では永遠に読めない。

信頼できる書評家やレファレンス本の紹介も、役に立ちます。例えば「鹿島茂先生のオール・レビューズ」。

読みたい本を買い込んでは、積ん読になっている私にとっても、先生の指摘はそれぞれ納得できます。目次で理解する、飛ばし読みするは、実行しています。役に立ちます。

では、本を買わないことを実践できるか?
う~ん、どうも私の場合は「本屋に行くこと」「本を手に入れること」が趣味であり、目的になっているようです。
「何の目的で、その本を読んでいるのですか」「何のために買うんですか」と問われると、「気に入ったから」と答えるしかないことが多いです。反省。
まだ、鎌田先生のように「解脱」できていません。先生も、トランクルーム10室にため込んだ本をカビにやられて、「解脱」されたようですから。わが家もそろそろ満杯になってきたので、容量という点から強制的に「捨てる」を実行しなければなりません。

ところで、「身体で選べば読む本をコントロールできる」として、「体癖」による、本の選び方が紹介されています。お試しください。

砂原教授、政治学の新著紹介

砂原庸介・神戸大学教授が帰国され、ブログも活発になっています。
最近出版された政治学関係の著作を、紹介してくださっています。

単なる紹介(インターネット書店のような)ではなく、意見が書かれているので、参考になります。例えば、『農業保護政策の起源』では。
・・・日本の農業政策といえば,政治家・農協・農水省が作る「鉄の三角形」が重要だと言われたり,農業補助金を増やすことを志向する農水省が国際交渉を梃子に省益を拡大する,などと言われることがしばしばあります。それに対して本書では,そのように大雑把なかたちでアクターの選好を決めて分析を行う方法はとりません・・・

・・・本書を読んで改めて思ったのは,強い強いと言われてきた日本の政府はホントはずっと弱かったんじゃないかなあということです。私の方はもともと自分の住宅の研究でそう思ってたのですが,佐々田さんの農政の話を読んでその思いをより強くしたといいますか。何ていうか現状に働きかけて大きく変更しようというのがずっと難しくて,一応議論としては出るんですが結局採用されることはない,という感じ。官僚の方は,そんなに強く権利義務を変更するようなことはできないという前提のもとに,feasibleな中で一番望ましい政策を選好するようになるというか,そういう理屈を編み出していくような気もします。もちろん強い強いと言われてきたのは産業政策が本丸なのわけですが,その辺に新たな研究が生まれてくるとまた違う話が出てくるのかもしれません・・・

そうですね。官僚の議論が採用されるのはサービスを拡大する場合と、方向変換で成功したのは占領軍を背景にした戦後改革でしょうか。

たくさんの新著が紹介されています。こんなにもたくさんの本が出ているのですね。研究者も、追いかけるのが大変でしょうね。
私も本屋に行っては、政治学や社会学の棚を見るようにしているのですが。先生のブログで見て、初めて知る本もたくさんあります。
問題は、興味を引かれる本がたくさんあるのですが、なかなか読む時間を作れないことです。買っては積んどく本が増えます。そのうちに、買ったことも忘れています。もちろん、読んでも内容を忘れるのですが。

会読の持つ社会的、政治的意義

江戸時代の授業方法」の続きです。
会読が、政治問題討論の場と、変わっていくのです。「図録」p17。

会読では参加者の身分にとらわれず、平等な関係に立ちます。従来、政治には関与できなかった低い身分の者でも、発言が可能になるのです。そして、主義主張が共通する者たちは、(政治)集団を形成します。学校を経由して藩の要職に就くと、派閥を形成します。
公家の学校だった学習院で学んだ公家たちも、政治化し、幕末の政局に関与します。さらには、尊攘過激派も出入りします。

会読が、参加者が自発的に集会をするという結社の性格を持ち、幕末の言論の場を作り、同士を育てたのです。それは、藩を超え、広いつながりを作ります。
幕末維新の言論空間、人材登用の素地をつくったのです。政治が、制度や為政者によってのみつくられるのではないことが、わかります。

江戸時代の授業方法

国立公文書館の展示「江戸幕府最後の闘い」を見て、いろいろと勉強になったのですが、その一つに、江戸時代の授業方法があります。
江戸後期には、幕府の昌平坂学問所のほか、各藩の藩校や私塾がたくさんできます。そこでは、素読、講釈、会読の3つの方法で、教えたのだそうです。「図録」p12。
素読は、ご存じの通り、意味内容を教えず、ただ声を上げて丸暗記します。「しのたまわく・・・」でしょう。これは、7歳~15歳くらいの初学者が対象です。
次に、講釈に進みます。先生が生徒たちの前で、書物の中の1章、1節について内容を説明する一斉授業です。これは、日本の小中学校の古典的授業風景ですね。

興味深いのは、会読です。素読を終了した程度の学力を持つ者たちが集まって、ある書物について問題点を出したり、意見を出したりして集団研究をする、共同学習です。
会読には、テキストを読む会読と、講ずる輪講があります。輪講は、10人前後の生徒が1グループになり、一人が指定されていたテキストのか所を読み、講義します。そのあと、他の生徒から読み方や質問などが出され、講師はそれに答え、討論を行うのだそうです。今で言う、ゼミに当たりますね。
しかも、身分社会の江戸時代に、輪講では参加者の身分にとらわれず、平等な関係に立ちます。また、参加者が自発的に集会をするという、結社の性格を持っていました。自主ゼミです。この項続く。