カテゴリー別アーカイブ: 知的生産の技術

生き様-知的生産の技術

文房具へのこだわり

私は文房具が好きです。文房具店を覗くのは、楽しいですよね。「筆記具は、文字が書ければ良い」というのも一つの考え方ですが、書きやすいペン、お気に入りのペンで書くと、筆が進み、また良いアイデアが出てきます。これらについては、「知的生産の技術」という分類に何度か書きました。「ペンについて」「ボールペンについて」「紙について」。

先日、題名にひかれて買った、片岡義男著『万年筆インク紙』(2016年、晶文社)と、ジェームズ・ウォード著『最高に楽しい文房具の歴史』(2015年、エクスナレッジ)を読みました。
前者は、万年筆を愛用しておられる片岡さんの、万年筆への思い入れを書いたエッセイです。まあ、すごい入れ込みようですね。作家にとっては、紙とペンは重要な生産設備、いえアイデアを生みだす重要な相棒です。「そうだよなあ」「そうなんだろうなあ」と思いつつ読みました。
後者はロンドン在住の作家で、「文房具愛好家」を名乗りブログを書いているようです。インターネットなどで調べたと思われる、鉛筆、万年筆、ボールペン、サインペン、付箋、クリップ、ホッチキスなどの歴史です。「なるほどねえ」と雑学が増えます。
日本発の文房具、サインペン、消すことができるボールペン、カラフルなボールペンなども紹介されていて、「よく調べてあるなあ」と思うとともに、意外なところに日本発を見つけて、うれしくなりました。

私は、原稿などはパソコン(ワープロ)それも「一太郎」で書くのですが、最初の構想は、万年筆かサインペン(プラマン)で紙に書きます。なめらかに書けることが条件です。
万年筆は、改まった手紙を書く場合と、この思考の整理(頭の中を見える化)する場合で、使い分けています。
片岡さんの文章に、私の使っている「柔らか向け」のパイロット製の万年筆が登場していて、「やはりこれが使いやすいんだ」と自信を持ちました。
日本語と英語では、ペン先の使い方が違うのですよね。また、きっちりした文字を書く場合(F、Mのペン先)と、思考をペン先に伝えて構想を練る場合(M以上の太さと柔らかさ)とでは、ペン先は違うのです。

「東大教師が新入生にすすめる本」

東大出版会のPR誌「UP」4月号は、恒例の「東大教師が新入生にすすめる本」です。毎年楽しみにしています。
それぞれの学問では、どのような本が教えられているのかが、わかるのです。もちろん研究の最先端は、もっと専門的な研究書が出ているのでしょうが、それは私には歯が立たないでしょう。大学生が読める本程度が、私にはちょうどです。政治と行政分野は常に関心を持ちつつ、本屋を覗いていますが、それ以外の分野でどのような本が取り上げられているかが、勉強になります。
「こんな本があるのだ」「これって、買ったけど読んでいないよなあ」と思いつつ読んでいます。先生方の紹介文が、勉強になります。「この本は、このように読むんだ」とです。また、先生方の若き日の学問との苦闘が書かれていたりして、これもまた勉強になります。

新聞の書評欄もそうですが、本屋で見ても買わなかった本を、識者の解説や書評を見て「それなら読もう」という気になります。問題は、買うけど読まない本がたまることです。
過去の分は、『東大教師が新入生にすすめる本 2009‐2015』(2016年、東大出版会)にまとめられています。「UP」は、大きな本屋では、無料で配っていることがあります。

書斎の資料整理

いよいよ、書斎の整理に着手しました。本棚は引っ越してすぐに満杯になり、その後読んだ本や買った本は、床に山積みになっています。最初の頃は、それもかわいかった(必要とあれば取り出せた)のですが。気がつくと、50センチ以上の山脈になっていて、取り出すどころではありません。11年間に、たくましく増殖しています。
困ったものです。見ない=使わない=捨てれば良いのですが、その「きっしょ」(関西弁で「きっかけ」のこと)が立ちません。仕事では決断の早い私ですが、本を捨てることに関しては優柔不断です(反省)。
かつて大学教授の研究室を訪れたときのことを思い出します。天井まである大きな本棚はもちろん、通路にも本や資料が山積みされていて、その間の獣道(けものみち)を通って、先生の机までたどり着きました。人様のことを笑えません。

4月から大学で講義も始めるので、その資料を入れる空間を作る必要があり、遂に本棚の一部を整理しました。かつて出講していた大学での講義の資料、書いていた原稿の資料(中断したままのもの)を、捨てました。本棚の良い場所を、それらのファイルボックスが占領していたのです。講義資料はデジタルにして、パソコンや記録媒体(USBメモリ)に保管してあります。原稿もデジタルで保存し、記事にもなっています。しかし、その準備のために集めた資料がたくさんあるのです。
資料を見ると、「良く集めたな」「こんな資料もあったよな」という思い出の旅です。我ながら、よく調べていたものです。私の関心は、「日本の政治と行政」「官僚の役割」です。いずれ文章にして世に問おうと考えてたのですが、総理秘書官や大震災対応の仕事について、それどころではなくなったのです(言い訳です)。

それぞれに有用な資料なのですが、10年近く経つと価値が下がります。もう一度読み返したい資料もありますが、そんなことをしていては、新しい準備に取りかかることができないので、えいやっと捨てました。やれば、できるのです。
けっこうな空間を確保できました。ところが、既に集めてある資料をそれらのファイルボックスに入れると、すぐに埋まってしまいました。いよいよ、本の整理に着手しなければなりません。

広辞苑、還暦

広辞苑が、刊行以来60年になるのだそうです。すなわち、1955年生まれで、私と同い年です。戦前からあるのだと思っていました。
私が使い出したのは、中学生の時です。田舎の中学生にとって、広辞苑は権威であり、あこがれでした。一つの単語を引いては、近くの単語を読みと、知識の源でした。小学生や中学生の時は、百科事典を読むのが楽しみでした。知らないことばかりでしたから。また、教科書のほかに適当な本もありませんでした。
国語辞典の話に戻ると、社会人になってからは、職場では「岩波国語辞典」を使っています。こちらは1,800ページでコンパクトです。もっとも、パソコンで調べることも多くなりました。一つの単語を調べるには、インターネットが便利でしょう。しかし、学生が勉強するなら、印刷物の辞書をお薦めします。知識が横に広がります。

パワーポイントは嫌い

私は、「パワーポイント」(プレゼンテーション用のコンピュータのソフト)が、嫌いです(2011年11月6日)。1枚当たりの情報量が少なく、観客とのアイコンタクトが切れてしまうからです。講演の時も使いません。仕方なく使うときもありますが、画面操作は別の人にお願いします。
印刷しても嫌いです。用紙を横長に使うのは、人間工学に反します。とはいえ、最近の資料は、この様式を使うことが多いようです。
資料をもらって、困ることがあります。省資源のために、両面印刷が普通です。そのときに、あなたなら、2ページ目(1ページの裏)を、どちらを上に印刷しますか。上辺で綴じる場合は、裏面は表面と上下を逆にします。左辺で綴じる場合は、裏面も表面と同じ上下になりますよね。ところが、会議で配られる資料に、両者が混在していることがあります。左上をホッチキスした資料には、両方が混在しています。資料1は上下に開くのに、資料2は左右に開くのだったり。
あなたも、困ったことがありませんか。紙を横長に使うから、こんな混乱が起きるのです。紙は縦長に使うものです。