カテゴリーアーカイブ:人生の達人

日本語ワードプロセッサ「一太郎」

2022年3月25日   岡本全勝

日経新聞「私の履歴書」3月は、コンピューターソフト会社、MetaMoJi(メタモジ)社長の浮川和宣さん。ワープロソフト「一太郎」を生んだ、ジャストシステムの創業者です。

私は「一太郎」派です。日本語を書くには、一太郎の方が「ワード」より圧倒的に使いやすいです。縦書きの日本語を使う人が作ったソフトと、横書きのアメリカでできたソフトを日本用に改造したものとの違いです。さらに、ワードは余計なことをしてくれて、困ったものです。

一太郎は1990年代まで、圧倒的に受け入れられていました。その後、マイクロソフトの抱き合わせ販売戦略に負けてしまいました。独禁法違反ではないかと、私は思いました。24日の記事で、浮川社長も「アンフェアな商法だと」憤っておられます。
それでも、日本語で文章を書く人たちが、ウインドウズを買ったときに一緒についてくるワードを使わず、一太郎を別に買って使っていました。

マイクロソフトが、個別ソフトで勝負せず、ウインドウズをプラットフォームにして他のソフトと協業する戦略をとっていたら、違った世界ができたでしょう。
近年は、ワードしか受け付けてくれない会社が多く、一太郎で書いて、ワードに変換して送っています。「文房具へのこだわり」「日本語は縦書き

つながっていない電話に話す「風の電話」

2022年3月25日   岡本全勝

3月11日の朝日新聞オピニオン欄、佐々木格さんへのインタビュー「心の復興と共に」から。
・・・東日本大震災から11年が経った。甚大な被害を受けた岩手県大槌町の鯨山(くじらやま)のふもとにある、電話線のつながっていない「風の電話」。今も様々な喪失感を抱いて、受話器を握る人が全国から訪れる。自宅の庭園にこの電話を置いたガーデンデザイナーの佐々木格さんに、「心の復興」とそこから広がるまなざしについて聞いた・・・

――「風の電話」を庭に置いたのは、震災の前でした。
「電話ボックスの中には、『あなたは誰と話しますか』で始まる筆書きの詩を掲げています。これは、電話を置くきっかけとなった、いとこが書きました。震災の2年前の10月、彼は末期がんの床にありました。私は以前、親類の女性が息子を交通事故死で失い、失意で心の病になって亡くなったことを思い出しました。いとこと家族がつながり続けるすべが何かないかと、この電話を思いつきました」

――いとこと残される家族をつなぐための電話だったのですね。
「そういうきっかけですが、彼の遺族のためだけを考えたわけではなかったのです。何らかの理由で誰かに会えなくなって、喪失感を抱えている人が思いを伝える場所になればいいな、と思ってつくり始めました。『風の電話』と名付けたのは、風を『見えるもの』『聞こえるもの』『つながるもの』の象徴として考えたからです。英語で精神や霊魂を意味する『スピリット』は、風や空気を表すヘブライ語に由来しているそうですね」
「春になれば、周囲の植栽などを整えて仕上げようとしていた2011年3月11日、震災が起きました」

――ここ大槌町でも、多くの方が亡くなりました。
「風の電話は4月に完成した後、新聞に取り上げられたのをきっかけに、震災犠牲者の家族や友人らが次々と訪れるようになりました。亡くなった人につながる。天国につながる。そんなことはあり得ないんだと、みんなわかっていてやって来るんです。けれど、かけ終わると『気持ちが伝わったようだ』『電話の向こうで聞いていると感じ取れた』とおっしゃいます」
「妻を亡くしたある男性は、3回目に訪れてやっと、受話器に向かって思いを語ることができたそうです。電話ボックスの中で、大声で泣きながら話していました。あの中は守られた空間なので、感情を爆発させることができます。その後も男性は何度か訪れました。今は前を向いて、故郷の復興のために力を尽くしています」

――風の電話には、思いを引き出す力があるのですね。
「電話をかければ神がかり的なことが起きるわけでもないし、ここには医者も心理療法士もいません。いとこの書には『風の電話は心でします』とあります。ここを訪れた人は、自ら内面を出して、何に悲しんでいるのか、怒っているのかを話すことで、心と向き合っている。そして自分を納得させるため、前に踏み出そうとしているのでしょう。心理学者のユングによると人の心には欠けたものを補おうとする働きがあるそうですが、電話ボックスに身を置いて受話器を取ることで、自分自身の心が持っている治癒力を呼び覚ますのかもしれません」
「被災して、家族や大切な人を亡くした心の傷を抱える人はたくさんいます。苦しみや悲しみはずっと残り続けるかもしれません。それでも電話ボックスに置いてあるノートには、その悲痛な思いより、『あなたの分まで生きる』というような記述が目につくようになりました。自分の方へ意識を向けかえているような言葉が、年々増えているように感じます」

――この11年間で、風の電話の受話器を取った人はのべ4万5千人にのぼります。

集中できる机の上

2022年3月19日   岡本全勝

3月5日の日経新聞「すっきり生活」は「ロジカル片付け術 集中力を高める部屋にするには」でした。

・・・長引く新型コロナウイルス禍で、テレワークに集中できないという悩みをよく聞く。家族が気になる、誘惑に負けてしまうなど理由は様々。集中力を高める部屋づくりのコツを紹介しよう。

あなたのデスクの写真を撮ってほしい。何種類のモノが写っているだろうか。積ん読している本、未処理の書類、ぎっしり詰まったペン立て……。デスクはモノ置き場ではなく作業場であり、余白があるほど集中できる。もし「今週1度も触っていない」アイテムが机の上に1つでも乗っていたら注意したい。
人が視覚刺激を処理するとき、ボトムアップ型注意とトップダウン型注意が相互に働いているという。このうちボトムアップ型注意は、自らの意志と関係なく、目に入った刺激から潜在的に働くもの。デスク上に散らかった荷物は、意図せずともあなたの潜在意識に入り込んでしまう。

ボトムアップ刺激の中でも特に厄介なのが、未完了のタスクを想起させるモノだ。米国の心理学者、リンダ・サバディン博士は著書の中で「先延ばしは人の自尊心を傷つけ、想像のエネルギーを奪う」と述べている。参考書や自己啓発本を、背表紙が見える形でズラっと並べている人は要注意。手元では精緻な経理処理をしながら、心の中では資格試験の勉強が進まないことを憂いているといったことになりかねない。これでは目の前の処理をミスしたり、やる気がそがれたりして当然だ・・・

・・・もちろん家中を整理整頓するのがベストではあるが、完璧に仕上げるには最低で30時間の作業が必要。時間がない人は、まずは気になるモノから順に、視界から消してみよう。ポイントは3秒以内に視界から消せる仕組みをつくること。部屋着をいちいち畳んでタンスにしまったり、洗濯機に入れたりするルールは、面倒すぎて三日坊主を招く。リビングに置いた大きめのカゴに投げ入れておいて、仕事が終わったあとにまとめて処理すればよい。
漫画やゲームはフタ付のケースにしまう。山積みの書類はリマインダーをセットしてファイルに。原始的ではあるが、視覚から物理的に消してしまうことで、集中力は驚くほど高まる。だまされたと思って試してみてほしい・・・

これは、役に立ちます。原文をお読みください。

安藤宏『「私」をつくる 近代小説の試み』

2022年3月14日   岡本全勝

安藤宏『「私」をつくる 近代小説の試み』(2015年、岩波新書)が、分かりやすかったです。宣伝には、次のように書いてあります。
「小説とは言葉で世界をつくること.その仕掛けの鍵は,「私」──.言文一致体の登場とともに生まれた日本近代小説の歴史は,作品世界に〈私〉をどうつくりだすかという,作家たちの試行錯誤の連続であった.漱石や太宰などの有名な作品を題材に,近代小説が生んだ日本語の世界を読み解く,まったく新しい小説入門」

文学評論というより、明治以降の小説を「私=書く主体と書かれる主体」を切り口にした、日本社会分析です。

第4章「「私」が「私」をつくるー回想の読み方、つくり方」72ページに、次のような文章があります。
・・・自分で自分の書いた日記を読み返し、そこに描かれている「私」の姿にとまどいや自己嫌悪を感じた経験はないだろうか。
描かれている「私」はたしかに自分であるはずなのだけれども、まるで別人のようにも感じられる。いっそ赤の他人ならよいのだろうが、一見異なる人物が実はほかならぬこの自分自身でもある、という二重感覚がわれわれをとまどわせ、羞恥や嫌悪の引き金になるのである。
いや、こうした言い方はあまり正確ではないかもしれない。たとえば写真で過去の自分の姿を見た時、われわれが感じるのは羞恥や嫌悪よりも、むしろ「こんな自分もいたのだ」というおかしみや懐かしさである。画像が外面的、形態的な客観性を保持しているのに対し、日記は言葉で書かれているために、本来外にさらされることのないはずの「内面」を露呈してしまっている。そのためにわれわれは勝手な「内面」づくりにいそしんでいた、まさにその行為にいたたまれなさを感じるのだ。
日記に登場する「私」は実にさまざまだ。友人と喧嘩したときの記述は自分に都合よく正当化されてしまっているかもしれないし、失恋したときの記述はこの世の悲劇を一身に背負ったヒーロー、あるいはヒロインになってしまっていることだろう。その時々の要請に従ってフィクショナルに仮構された「内面」が、今、読み返している「私」と同一であることを強いられるがゆえに、われわれはいわく言いがたい羞恥と嫌悪を感じてしまうのである・・・

インターネットが進めたチーム研究

2022年3月14日   岡本全勝

3月3日の日経新聞夕刊「私のリーダー論」、坂村健さんの「決定に責任持つ覚悟を」から。

――良いリーダーには何が必要だと思いますか。
「リーダーのあるべき姿は、どんな組織なのか、どんな経済環境やビジネスモデルなのか、といった条件によって変わってきます。こういう人ならどんな組織のリーダーにもなれる、なんて人はいませんよ。和をもってよしとするのがいい状況もあれば、リーダーシップを強く出してチームを引っ張っていかないといけない状況もあります」
「ただ共通しているのは、自分が決定したことに対して責任を持つ覚悟ではないでしょうか。リーダーとは決定権を持つ存在です。自分の組織がどうなっているのか、リーダーは状況をしっかり把握しないと、次にどうすべきかを決めることはできません」

――若い頃からチームのリーダーとしてプロジェクトを進めてきたのでしょうか。
「僕が学生の頃、研究はチームで行うものではなかったです。当時は個人主義で、一人で研究するスタイルが主流でしたから。研究者としてのキャリアのスタート地点ともいえるトロンを始めたのは1984年です。79年に慶応義塾大学の大学院を修了し、すぐに東京大学の助手になりました。その後、講師になろうとしていた頃です」
「まだ今ほどコンピューターが進歩していなかった時代です。普及し始めていた大型コンピューターの研究は一人で行うのは難しかった。そういう中で、70年代にマイクロコンピューターが登場したことで、これなら研究チームを組まなくてもできそうだと考え、一人でプロジェクトを立ち上げたのです」

――研究の進め方が個人からチームへ、変わってきたのはいつごろからでしょう。
「チームの力が強くなったのは、インターネットが普及し始めた頃でしょうね。80年代にインターネットは民間開放されました。それまでは軍事技術だったのです。やはりインターネットの普及が、人と人とが密接に連携することを簡単にしたんですよ」
「昔はとにかく連絡を取り合うのが大変だった。電話をかけるか、手紙を書くか、直接会うかしかないでしょう。研究の途中で24時間いつでも相談できない。いまはメールもあるし、SNS(交流サイト)もある。遠く離れている人と連携しやすくなった。環境の変化がいまのチームの基礎になっていますね」