カテゴリーアーカイブ:人生の達人

女性社員の育成

2022年7月6日   岡本全勝

日経新聞「私の履歴書」、矢野龍・住友林業最高顧問、6月26日の「女性活躍 立ち遅れ挽回へ意識改革 総合職採用開始、抜てき人事も」から。

・・・話が前後するが、社長になって6年目の2004年に女性の業務企画職(一般に言う総合職)の採用を始めた。大企業ではずいぶん遅い方ではなかっただろうか。すぐには人も育たないから、ほどなく幹部候補として女性の中途採用も始めた・・・
・・・僕が社長になる前の役員の時に、専門のコンサルタントを3カ月間会社に入れて女性活躍のレベルを評価してもらったことがあった。結果は散々で、要はこんな遅れた会社は見たことがないというのが結論であった・・・

・・・女性活躍を推進する要諦は抜てきであると経営者の集まりで教えてもらい、それもすぐに実行した。
男女平等に、持っている力量で評価すべきだという考えの人もいるが、優秀なのに、不利な処遇のなかで、外との折衝や組織の統率の経験をしてこられなかっただけなのであって、それは遅まきながらでもやってもらうほうが会社のためになる。やればすぐにできるようになるのだ。
会社は社会の常識やルールのなかに存在するもので、それを制約とうるさがるようでは経営者として失格ではあるまいか。話がそれたが僕は監査役が言うことも、天の声だと思って従った。総合職で女性を採用するようになって20年近くがたち、それぞれに力を付けていて頼もしい。もう少ししたら、総合職採用の人たちも役員の年代になってくる。会社をどう変えてくれるか、本当に楽しみだ・・・
支店の本部長の接待マニュアル

支店の「本部長の接待マニュアル」

2022年6月29日   岡本全勝

日経新聞私の履歴書、6月は矢野龍・住友林業最高顧問です。21日の「住宅本部長 抜き打ちで展示場を視察」から。

・・・僕が専務時代の1998年、住宅の業界誌に販売が低迷を続ける住友林業の体たらくを手ひどく批判されたことがあった。僕は担当外だったがこれを読んで怒りに体が震えるようであった。業界の「負け犬」呼ばわりなのだ。
僕は業界誌を3月の取締役会に持っていって「こんなことを書かれて悔しくないんですか。低迷の理由として1番目に、リーダーシップ不足と書いてある。まずは我々役員が猛反省し、早急に立て直しの対策をたて、実行に移すべきです」と訴えた。
すると5月1日付で住宅本部長の辞令が出た。なら君がやれとなったのだ。

辞令当日は早速、横浜の住宅展示場に行き、現場を激励した。しばらくして仙台に行ったときのことだ。新幹線から降りると現地の幹部以下がずらりと並んでホームで待っていた。それで言うには、今夜は宴席の用意があり、翌朝は朝礼の後、市内観光と展示場の視察をして、お土産に牛タンをもたせるという。
なんでそんなことをするのかと聞くと、全国の支店に本部長の接待マニュアルがあるそうだった。お客様の営業に費やすべきエネルギーを、社内のご機嫌とりに使って何になるのか。地酒、カラオケ、形だけの朝礼や視察、お土産など、即刻やめてもらった。

それ以降は予告していくのをやめ、抜き打ちでいきなり展示場に行くことにした。僕は本部長を務めた5月からの11カ月間、全国300カ所あまりの展示場をくまなく回った。僕はこの間、結果的に1日も休まなかった。神は現場に宿るというのが僕の考えだ。現場の話をじっくり聞き、ここを直してほしいという要望には即座に対応して、会社の仕組みに反映させた・・・

「ちゃんと勉強しないとこういう鉄工所で働かなあかんようになりますよ」2

2022年6月29日   岡本全勝

先日書いた「ちゃんと勉強しないとこういう鉄工所で働かなあかんようになりますよ」に、読者から反応がありました。
「『ちゃんと勉強しないとこういう鉄工所で』の記事を読んで驚きました。高岡の小さな鋳物工場から急成長した錫製品メーカー「能作」社長の能作克治氏からまったく同じ話を聞いたことがあったからです。
能作氏も、工場案内をしたときにある母親が子どもに言った「「よく見なさい。ちゃんと勉強しないと、あのおじさんみたいになるわよ」という言葉が成長の契機になったと言っておられます。」

これは、ウエッブ「ダイアモンド」の2019年9月12日の記事「カンブリア宮殿に出演!「能作」社長が初告白!」です。
・・・そんなある日、めずらしく「工場見学をしたい」という電話があった。小学校高学年の息子とその母親だった。工場を案内すると、その母親は、信じられないひと言を放った。
「よく見なさい。ちゃんと勉強しないと、あのおじさんみたいになるわよ」
その瞬間、能作は凍りついた。全身から悔しさがこみ上げてきた。同時に、「鋳物職人の地位を絶対に取り戻す」と誓った。そこからの能作はすごかった・・・

日本社会の、汗を流すこと(工場労働や農業など)への忌避、事務職への憧れという通念がこの背景にあるようです。
経済成長期に、農村を離れ勤め人になるという大移動が起こりました。そしてさらに、工場などで働くブルーワーカーより、事務室で働くホワイトカラーへのあこがれが強くなりました。現在でも、工場労働や農業、介護職などは人手不足ですが、事務職は求職者がたくさんいます。給料などの差もありますが、それだけでなく通念が影響していると思われます。
とはいえ、私も事務職を選びました。

マスク氏、週40時間の出社を求める

2022年6月28日   岡本全勝

米電気自動車大手テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)が従業員に対し、少なくとも週40時間はオフィスで働くよう求めたことが報道されました。
・・・米ワシントン・ポスト紙が確認したテスラ従業員向けの5月31日付のメールで、マスク氏は週40時間の出社を求めたうえで、「もし姿を見せなければ、あなたが辞職したとみなす」と述べた。週40時間は、1日8時間勤務だと週5日出社することになる。同紙によると、マスク氏は宇宙ベンチャー「スペースX」の従業員にも同様のメールを送ったという。
テスラ従業員向けのメールでは「あなたがより地位が高いほど、あなたの存在は可視化されるべきだ。だからこそ私もずっと工場に住んでいた」としたうえで、「そうしていなければ、テスラはずっと前に破綻していた」と述べた。
マスク氏は「こうした要求をしない企業もあるが、彼らが最後に偉大な新製品を出したのはいつか?」とも明記。
「テスラは地球上で最も興奮する、意義のある製品を生み出してきたし、これからもそうしていく。これは電話をかけるだけでは起きない」と訴えた・・・(2022年6月2日、朝日新聞ウエッブニュース

パーソル総合研究所の小林祐児・上席主任研究員へのインタビュー「週40時間出社 マスク氏発言 理解の鍵は米国のオフィス回帰」(6月2日、朝日新聞ウエッブニュース)から。
――マスク氏の発言をどう受け止めますか
前提として、米国は新型コロナウイルスの感染が拡大する前から、テレワークの先進国でした。
国土が広いために自動車出勤が中心で、皆が同時刻にオフィスに集まるため、都市部では渋滞問題が深刻でした。
会社側が交通費を支給するという慣習も薄いので、ガソリン代節約という目的も相まって、1990年代から徐々にテレワークの導入が進んできています。
一方で、「場所を大事にする」という考えも根強くあるのが米国です。
象徴的なのが、アップルやグーグルなど世界的な企業を生み出したシリコンバレー。この場所には、今でも世界中から起業家や優秀なIT技術者が集まります。
マスク氏の発言を理解する鍵は、ここにあると思います。

――どういうことでしょう
テレワークが良い悪いという単純な議論ではなく、「革新的なイノベーションには人と人との物理的な近さが必要だ」という考え方です。優秀な人材が集まり、顔を合わせて議論することで、イノベーションや新しいアイデアが生まれる。こうした考え方を背景に、実はコロナ禍の前から「オフィス回帰」の流れは起きていました。
特にオフィス回帰が顕著だったのは、IBMや米ヤフーなどのIT業界です。
IT業界は仕事自体がテレワークとの相性が良い分、テレワークの実施が進みすぎた。各企業が、新しいアイデア出しやイノベーションの停滞感を抱えることになり、「テレワークではなくてオフィスで働く」という揺り戻しがこの10年あまりで出てきています。
マスク氏の発言の根底にあるのは、このように「イノベーションや新しいアイデアを生むためには出社することが必要だ」という価値観だと思います。

「ちゃんと勉強しないとこういう鉄工所で働かなあかんようになりますよ」

2022年6月27日   岡本全勝

朝日新聞ウエッブニュース「「3K」鉄工所を変えた引率教諭の一言 「ちゃんと勉強しないと…」」(2022年6月21日)から。

大阪府南部、岸和田市の「廣野鐵工所」。1945年創業の農機具部品メーカーで、社員は約150人。クボタのトラクターの部品などを製造している。
3年前、民間団体が選ぶ「日本で一番大切にしたい会社」の審査委員会特別賞を受賞。その翌年には中小企業庁の「はばたく中小企業300社」に選ばれた。
企業理念の最初に掲げるのは「社員の成長と幸せづくり」。決して大げさには聞こえない。

社長の廣野幸誠(ゆきせい)さん(65)に尋ねた。「なぜ、社員のためにそこまでできるのでしょう」
2006年に社長に就いた廣野さん。「実はですね……」。決して忘れることのない約40年前の出来事を語った。
当時の廣野鐵工所は大阪府泉大津市にあった。ある日、近くの小学生が工場見学に訪れた。入社間もない廣野さんが出迎えた。地元の子どもたちに会社のことを知ってもらうチャンス。作業工程をわかりやすく説明し、お土産にノートやペンを手渡した。
工場見学の最後に、引率していた若い女性教諭が言った。「さあ、お礼を言いましょう」
「ありがとうございました!」
子どもたちの元気な声に廣野さんはホッとした。だが、教諭の次の一言に耳を疑った。
「みなさん、いいですか。ちゃんと勉強しないとこういう鉄工所で働かなあかんようになりますよ」
驚きと怒りに全身が震えた。でも、言い返すのは子どもたちの手前、我慢した。教育委員会には「二度と工場見学は受けない」と伝えた。
ただ一方で、「たしかにそうかもな」と教諭の言葉を受け入れる感情が、徐々に芽生えた。

会社の工場は当時、「きつい」「汚い」「危険」と、3Kそのものだった。
溶接の油のにおいが充満し、あちこちから立ち上る油煙で工場の向こう半分は見えなかった。小さな扇風機しかなく、夏は作業服を脱いでランニングシャツ1枚で働く作業員が多かった。
このままではあかん、会社を変えなくては――。当時社長だった廣野さんの父元吉さんと改革を始めた。
最新の機械を導入し、若手社員でも短期間で戦力になれるようにした。若手社員はどうすれば定着してくれるのか、社員の満足度はどうやったら上がるのかを考え続けてきた。たどり着いたのは、会社に社員の居場所を作る、社員のがんばりを会社が認めることだった。

40年前の女性教諭の一言が、会社を変えるきっかけになった。「今ではあの先生に感謝しています」。心からそう思っている。