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見えないものを見えるようにする

10月24日の朝日新聞夕刊に「女性たちの力、「気づいて」 50年前の「女性の休日」、映画化した監督」が載っていました。印象的なのが「目に見えないものが見えるようになった」という表現です。

・・・世界経済フォーラムが公表するジェンダーギャップ指数で16回連続世界1位のアイスランド。男女平等への歩みが始まるきっかけとなった1975年の「女性の休日」から、24日で50年になる。この日を描いたドキュメンタリー映画を制作した米国人のパメラ・ホーガン監督は、「女性たちが連帯すれば、想像もできないことが成し遂げられる」と語り、日本の女性たちに対し、「社会の中で自分が持つ力に気づいてほしい」とエールを送る。

「女性の休日」とは、75年10月24日、アイスランドで女性の90%が一斉に仕事や家事を「ストライキ」した運動を指す。「女性がいなければ社会は動かない」ことを可視化させ、男女平等を訴えるためだった。
この日、首都レイキャビクなど各地で集会が開かれ、2万5千人以上が参加したとされる。アイスランドではこの出来事がきっかけとなって女性の社会進出が進み、5年後の80年には世界で初めて民主的な選挙による女性大統領が誕生した・・・

・・・50年前のアイスランドはジェンダー平等の先進国ではなかった。たった一日がなぜこれほど大きなインパクトを与えたのか。
ホーガン監督はある女性から「あの日、目に見えないものが見えるようになった」と言われたという。「これがどれほど深い意味を持つか考えてみてください。女性の仕事の多くは目に見えないもの。女性が当たり前のように行っていたことが突然、その国の機能にとって非常に重要だと理解されるようになったのです」・・・

今まで当たり前だと思っていた事実が、違う観点で見るとおかしいことに見えます。実態は変わっていないのに。
この「女性の休日」の場合も、そうでしょう。ただし、社会の既成勢力や常識が、「これはおかしい」と受け入れる素地も必要です。日本では、「夫は働きに出て、妻が家庭を守る」という常識が長く支配的でした。片働き家族と共働き家族の数が逆転したのは1990年代半ばでした。しかし、その後も、保育園が不足したり、夫が家事に参加しないことから、女性が働きに出るには大きな障害がありました。
公共交通機関のバリアフリーも、同じです。乳母車や車椅子での移動がどれだけ不便だったか。見えるようになると、これまでおかしさが見えてきて、改善が進みます。
その延長でいうと、報道機関や研究者の役割は、これまで見えていなかった事実を見えるようにすることでもあります。

社会の仕組みの相互補完性

変化によって形と関係はつくられる」の続きにもなります。相互補完性と題名に書きましたが、相互連関性でもあります。

生物は単独で進化するのではなく、競争相手や環境との相互作用で進化していきます。そして複雑な生態系をつくっています。
奄美諸島で、毒蛇ハブを駆除するためにマングースを放ちました。しかし、マングースはハブではなく、アマミノクロウサギなど島在来の希少種を襲ったのです。もしハブが駆除されたら、今度はハブを天敵としていた小動物が増加して、その影響が出るのでしょうね。動物同士の関係も、簡単なものではありません。

それと同様に、社会環境や社会の仕組みも、複雑に絡み合ってできています。スイッチを一つ押すと一つ電灯がつくようなものではなく、一つボタンを押すといろんなところに波及します。
ここでは、子育てを巡る最近の変化と対応を取り上げましょう。
つい最近まで、働く女性が子どもを持つと、会社を辞めることを余儀なくされていました。働きに出るには、保育園が必要です。保育園が足らなくなって、増やしました。保育園を増やすと、働く女性が増えて、さらに保育園が足らなくなりました。病気の子どもを預かってくれる病児保育も必要でした。でも、保育園を造っただけでは、親が働きに出るには不十分です。
父親も子育てすることが「常識」になりました。町にある公衆トイレ、男性用にもおむつを替える台や、幼児を座らせる席も増やさなければなりません。乳母車が円滑に通れるような通路やエレベーターも。エレベーターが混んでいる場合には、周囲の人が譲る気風も必要です。
父親も育休を取ることができるように、勤務先に求めています。残業が当たり前の職場では、父親も母親も子育てができません。「子どもが熱を出した」と保育園から電話がかかってきたら、早退しなければなりません。それを認める職場である必要があるのです。
施設や制度だけでなく、父親、職場、社会の意識を変える必要があります。まだまだありますが、これだけも関連しているのです(もっと良い事例があるでしょうが、今日はこれしか浮かばないので)。

2020年2月に新型コロナウイルスが拡大したとき、政府は感染拡大防止のために、一斉休校を打ち出しました。その唐突さが問題を生じさせました。首相がその方針を表明したのは木曜日の夕方で、休校は翌月曜日からでした。保育園や学校、学童保育が休みになると、働いているお父さんとお母さんのどちらかが、仕事を休んで面倒を見ることになります。それぞれ、月曜日の仕事の予定が入っていたでしょう。そのような影響を考えなかったのです。

多党化時代の野党

10月24日の朝日新聞オピニオン欄「多党化時代の野党」。

・・・多党化のなか、各党の動きがめまぐるしい。自民党は日本維新の会と連立を組んで与党にとどまった一方、野党は首相指名で足並みがそろわなかった。野党の役割と、その現在地とは・・・

砂原庸介・神戸大教授「監視役だけでなく、政権を」
・・・野党に求められる役割は、一般的に言えば政権党へのオルタナティブ(別の選択肢)を提示することです。政権党と野党は、あらかじめ決まっているものではありません。それぞれが政策のパッケージを提供して、有権者に選んでもらうというのが基本的な発想です。同時に政権交代を起こすことで「いまの政権与党に罰を与える」という有権者の感覚もあります。有権者から見て野党が選択肢になることが前提です。
野党には政府を監視する役割もあります。もちろん大事ですが、監視だけをずっと仕事にするわけではない。監視して問題があった場合に辞めさせるくらいなら、自分たちが政権をとって正しいと思うことをやればいいのです。昔は自民党だけが政権をとるのが前提でしたが、今はそうでもない。自分たちを常に野党だと自己規定することはありません。実現したいことがあるのなら連立政権に参加してもいいはずです・・・

多党化が進む要因のひとつに国政選挙の比例代表部分があります。特定の有権者の明確な支持をもたらすような政策を訴えることが個々の政党の得票の伸びに関わってきます。
もうひとつは地方自治体の選挙です。地方選挙では、地方議員が個人で選挙を戦っている傾向があり、そんな地方議員にとって、自分の所属する政党が、ライバル関係にある他の地方議員の政党と協力するのは支持しにくい。政党がまとまりにくい理由です。
もう少し政党単位で物事を考えるようにするためには、都道府県議会や政令指定市議会を中心に、地方議会の選挙への比例代表制導入が考えられます。日本の地方選挙は世界的に見ると極端に個人中心の選挙です。地方で政党の存在感が増せば、多党化しても有権者も政党のイメージを持ちやすくなるのではないでしょうか・・・

大島理森・元衆院議長「別の軸、かたまり作る責任」
・・・今回、自民と日本維新の会は政策合意し、閣外協力で連立することになりました。今後、信頼関係を築き、責任を共有して安定した政治運営をしていただきたい。その過程で連立与党の世界観、国家観といったものが出てくるでしょう。
これに対して野党はどうあるべきか。
政策ごとに連携する「部分連合」を志向する政党もあるように見受けられますが、あまり肯定しません。いずれ政権をとるという志を持たないといけない。そうでないと政治から緊張感が失われます。私には2度下野した経験があります。それでも我々は一日も政権奪還を忘れなかった。それが野党の務めです。

とはいえ、多党化が進み一党で政権をとるのは難しくなっている。とすれば、野党も与党に対応する「連立形態」をつくり、与党とは別のビジョンを示して対抗する他ありません。
現状では、野党第1党の立憲民主党がいかにして大きなかたまりを作れるかでしょう。立憲には3年余り政権を担ったメンバーがいます。その経験を踏まえ、党として何を目指すのかを明確にしてほしい。例えば、働いている人々にどうアプローチするか、中国を含むアジアなどにどう対応するのか。立憲にはその責任があると思うのです。
既成政党への不信が高まり、新興政党に支持が向かう多党化の今、問われているのは政党の意義です。ここで政党が踏ん張り、二つのグループを形成できれば、有権者に政権の選択肢ができる。公明の連立離脱を契機に、日本に新しい民主主義を作っていただきたい。老兵としてそう思います・・・

参考「二大政党制より二大陣営対立へ

機械は人を楽にしない2

機械は人を楽にしない」の続きです。
有名な経済学者であるケインズは1930年の小論「Economic Possibilities for our Grandchildren」(孫たちの経済的可能性)で、経済問題は100年以内に解決する。1日3時間労働や週15時間労働で暮らせるようになると書いています。原文はなかなか難解で、直截にはそのようには書かれていません。

I draw the conclusion that, assuming no important wars and no important increase in population, the economic problem may be solved, or be at least within sight of solution, within a hundred years. This means that the economic problem is not—if we look into the future—the permanent problem of the human race.

For many ages to come the old Adam will be so strong in us that everybody will need to do some work if he is to be contented. We shall do more things for ourselves than is usual with the rich to-day, only too glad to have small duties and tasks and routines. But beyond this, we shall endeavour to spread the bread thin on the butter—to make what work there is still to be done to be as widely shared as possible. Three-hour shifts or a fifteen-hour week may put off the problem for a great while. For three hours a day is quite enough to satisfy the old Adam in most of us!

100年近く経ちましたが、ケインズの予言は当たらなかったようです。
機械化で、一つの作業に要する時間は減ったのでしょう。しかし、減った時間を埋めるような需要が生まれたのです。「需要を生んだ」という方が適切でしょう。
科学技術と産業の競争は、機械化による労働の短縮とともに、他方で新しいものやサービスを生みます。それらは、人の欲望を刺激します。
それは、人の暮らしをより忙しくしたようです。そして、「もっと働け」と鞭を入れるようです。1980年代のバブル経済期に、豊かになったのに、「24時間働けますか」と長時間労働をあおる栄養剤の宣伝がありました。

これまでにないものや他人が持っていないものを、手に入れようとします。それらは、あれば便利なものだけでなく、なくても日常生活に困らないものもたくさんあります。他方で、他人より金持ちになろうという欲望もあります。
どこかで「足るを知る」には、ならないのでしょうか。
ケインズは、この文章の前で、人間のニーズ(欲求)を2種類に分け、自分で感じる絶対的ニーズと、他人との比較で感じる相対的ニーズに分けています。しかし、前者の水準も上がっていきます。

企業にあっては、競争にさらされていますから、ある時点で立ち止まることは許されないのでしょう。競争にさらされない、伝統的なお菓子とかを除いて。
私たち消費者は、どうでしょうか。「なくてもすむもの」を買わずに暮らす。そのための経費は減るので、短時間労働で暮らす。といった暮らし方が広まることはないのでしょうか。より豊かになりたいという欲望がある限り、難しいですかね。
肝冷斎が憧れる隠遁生活は、現代社会では不可能でしょうか。

グローバリズムとリベラルへの不信

9月27日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「航海士なき世界で」から。

・・・今日、グローバリズムはほぼ信頼を失っている。そのことは欧米をみれば一目瞭然である。それでは、グローバリズムとは何であったのだろうか。
人、モノ、資本、情報、技術の国境を越えた移動を一気に高めるというグローバリズム(地球一体化)は、米国を中心とする冷戦後の世界標準となった。その柱は何かといえば、次の二つである。
一つは、米国流の「リベラルな価値」の世界化である。列挙すれば、個人の自由、民主的な政府、法の支配による世界秩序、合理主義や科学的思考、人種・ジェンダーの多様性、移民受け入れ、市場競争による効率性など。この普遍的な価値観で世界を画一化し、世界秩序を生み出す思想である。
もう一つは、先端的な科学技術のイノベーションと自由競争による経済成長追求であり、それによって世界中の富を拡張できるという信念である。

そしてこの両者ともに行き詰まってしまった。こういう意識がトランプ大統領を誕生させたのだ。
まず「リベラルな価値」からいえば、とりわけ民主党系のリベラルな政治家、官僚、ジャーナリズム、有名大学の学者、各種の専門家などの「上層の知的エリート」が進めてきたグローバル政策が、結局、米国社会の格差を生み、社会不安を作り出し、米国の経済力の低下を招いた、という意識が強い。つまり、「リベラル派のエリート」に対する大衆の不満と不信が膨れ上がった。
その結果、米国では、反エリート主義、反エスタブリッシュメントの心情が拡散していった。それが、既存の政治スタイルや既存のメディア、ハーバードのような伝統的大学といった権威に対する反感を募らせていった。その受け皿がトランプ氏であった。
一方、イノベーションと経済成長主義も今や十分な成果を上げられない。グローバル競争は国家間対立をもたらし、イノベーションは、膨大な研究開発費や資金を必要とし、しかもそれが一部の投資家へと富を集中させる。本当に国民の生活につながるという見通しはまったくない。冷戦以降の先進国の経済成長率は確実に低下しているのである。

これが、米国を中心にした今日のグローバリズムの素描である。そこに米中対立やら欧州の右派の台頭など不安的要因はいくらでも付け加えることができる。
その中で、米国はどこへ向かっているのか。グローバリズムを超える何かをトランプ政権は準備しているのだろうか。そうは思えない。それは信頼できる航海士を失ったさまよえる巨船のように世界を混乱させている・・・