投稿者アーカイブ:岡本全勝

曲解された「国富論」

2026年10月6日   岡本全勝

9月26日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「曲解された「国富論」」から。

・・・今年はアダム・スミスの「国富論」(正確には「諸国民の富」)の出版250年である。この書物によって初めて「自由な市場競争が経済発展をもたらす」とされ、さらに、それが善き社会秩序を実現するとされた。これが通説だ。現代の米国中心の経済学はスミスの市場理論を精緻化したもので、その考えに基づいて今日のグローバリズムが出現した。だから、スミスは、「経済学の父」であるだけではなく、現代のグローバリズムの生みの親ということにもなるだろう。
しかし、私見では、これはスミスに対する大いなる誤解(あるいは曲解)であり、それが、今日のグローバル経済の混乱の発端ともなっている、と思う。

スミスが自由な市場競争を説いた時、彼が批判したものは何だったのか。それは、一部の大商人が政府と結合し、世界的規模の投資や貿易によって巨額の商業的富を得るという事態であった。これは「貨幣こそが国富なり」とする重商主義への強烈な批判である。それに対して、自国の、いわば「普通の人々」による「労働と生産こそが国富なり」というのがスミスの主張であった。
とすれば、今日のグローバル経済こそが「新重商主義」とでもいうべきものではなかろうか。スミスなら、間違いなく、今日のグローバリズムを批判したであろう。
表面的に理解してしまえば、スミスの経済論を、自由競争の市場万能主義とみなせなくもない。しかし、スミスがつとに強調しているのは、一国の富は、金融取引ではなく、生産活動によるということである。そのためには、海外との交易による金銀(貿易差額)の獲得を政府が支援するのではなく、国内生産における労働の成果を自由に交換できる市場を形成することこそが国富につながるという・・・

・・・それでは、どうして、そのスミスの市場競争論が、今日のグローバリズムの理論的な支柱になってしまったのだろうか。そこには次のような事情がある。
スミスの市場経済論は、20世紀になって、米国の経済学に引きつがれた。ただそれは、スミスの真意をまったく理解しないものでもあった。
スミスが問題とした、「金融」に対する「物の生産」、「グローバリズム」に対する「国内経済」の重視、つまり経済活動は「確実な基礎」に基づくべきだというような論点は、いっさい排除された。きわめて抽象的、一般的に、自由な市場競争の拡大こそが人々の利益と富の増進をもたらすとされたのである。
かくて、自由な市場競争論によって、グローバリズムが正当化され、市場経済学は一種の「グローバリズム・イデオロギー」とでもいうべきものとなる。

ところが、現実はどうであろうか。ここで私は「市場経済」と「資本主義」を区別しておきたい。これは大事な点だが、ほとんど論じられることはない。
「市場経済」は、人々の自由競争こそが市場の調和を実現するという思想に基づいている。しかし、「資本主義」は違う。それは、あくまで「資本」の増殖をめざす運動で、市場の調和を目的とするわけではない。資本は、金融市場において金融商品へも向かうし、海外へも投下される。将来有望な新たな技術開発や市場開拓へも向かう。期待収益が大きい分野に資本は流れる。
資本を動かすものは、独占的企業でもよいし政府でもよい。投資によって無限の経済成長をめざすのが「資本主義」の原理なのである。だから、「市場経済」が市場の秩序を求めるのに対し、「資本主義」は、むしろ、市場の秩序を破壊してゆくのである。

とするなら、今日のグローバル経済を支配しているのは、「市場経済」ではなく、「資本主義」の原理といわねばならない。そして「資本」が、無限の拡張と成長を求める限り、国家間の経済競争や覇権競争はますます激化するだろう。政府は、覇権を握る上で有利な技術へ向けた投資を支援する。もはや小規模な生産者たちによる自由競争など、昔ののどかな神話に過ぎなくなる。
まさしく、これが今日のわれわれの目の前に広がっているグローバリズムの姿であろう・・・

東武4人死亡事故「意見を述べると怒られる」

2026年10月5日   岡本全勝

10月1日の読売新聞に「ずさんな現場浮き彫り…東武4人死亡事故「意見を述べると怒られる」「余計なことを言うともめ事になる」」が載っていました。紙面では「東武4人死亡 非番の上司現場で指示 指揮混乱」という見出しです。
記事を読むと、非番の職員が現場に出てくることも疑問ですが、仕事熱心な社員だったのでしょうか。その人が、部下である現場指揮者に代わって指示を出したとのこと。それが混乱の原因のようです。部下はこの上司に意見を言えない関係、社風だったのでしょう。事務の職場でもありそうなことで、職場が混乱するのですが、作業現場では死を引き起こす事故が起きます。

・・・ 栃木県鹿沼市の東武日光線新鹿沼駅構内で、除草作業中の作業員4人が特急列車と接触して死亡した事故で、東武鉄道は30日、事故原因などを分析した中間報告書を国土交通省に提出した。報告書は、現場責任者の作業指揮者が作業員の退避先や列車の見張り場所を指示していなかったと指摘。事故当日、指揮権限のない上司が現場で指示を出し、指揮系統の混乱を招いていたことを明らかにした。

報告書によると、7人は東武建設と下請けの建設会社の従業員で、警備会社に所属する3人が列車の見張り役を務めていた。
このうち東武建設社員の作業指揮者は、東武鉄道の規定に反し、作業員らに見張り場所の指定や避難先を確実に共有することなどを怠った。ホーム上から列車の接近を作業員に知らせる「列車見張り員」は、事故直前までほかの作業員とともに線路内に立ち入っていた。

死亡した作業員4人のうち1人は作業指揮者の上司だった。除草作業全体を統括する「現場代理人」という立場で除草作業の経験も豊富だったが、この日は非番で、現場に来る予定はなかった。ところが、現場代理人は見張り員などへの指示も出し、除草作業の経験がなかった作業指揮者は事故当時、記録用の写真撮影をしていた。作業指揮者は会社の調べに「(現場代理人に)任せれば安心と考えていた」と説明しているという。

列車見張り員は事故直前、現場代理人に「列車到着3分前」と伝えたが、現場代理人のジェスチャーを作業続行と受け止め、除草作業は中断されなかった。
列車見張り員は疑問に思ったが、「意見を述べると怒られると思った」と説明している。別の作業員は「余計なことを言うともめ事になるので、遠慮していた」と話しているという・・・

人工知能があなたのすべてを見ている

2026年10月5日   岡本全勝

9月24日の朝日新聞に「私の全部、見透かされてる? AIとの対話から資産、趣味、心の内側までも」が載っていました。他人には言わないこと、家族にも言わないことを、機械には入力してしまいます。「資産運用の見直しを相談したり、不動産購入の契約書をチェックしてもらったりした時だ。子どもの年齢も、旅行先のホテル探しを頼んだ際に伝えていた」とあります。すると・・・。

・・・日本人の約半数が利用したことがあるといわれる生成AI(人工知能)。ふと気がつけば、仕事や人間関係、健康上の悩みまで相談できる「心の友」と化している。「友」は私が何に悩み、何を好み、どんな価値観を持っているか熟知しているかのようだ。だが待てよ。AIが知っているということは、その向こうのAI企業にも知られているってことでは? 何を知っているのか、AIで探ってみた。

実験に協力してくれたのは、データ保護のためのサービスを開発している株式会社データサイン社長、太田祐一さんだ。
太田さんは、グーグルのジェミニを使い始めた昨年8月31日から約1年間のチャット履歴をダウンロード。これをオープンAIのChatGPT(チャットGPT)に読み込ませ、会話の人物像をプロファイリングさせた。データ量は96MB。文字にして新書約320冊分に上った。

「うわー。全部、当たってる」。結果を見た太田さんは苦笑いした。
チャットGPTが言い当てたのは、氏名、住所、年齢、両親や妻の氏名、子どもの年齢、年収、資産、よく使うホテルに趣味。健康の悩みまで当てている。
「これだけの情報があれば、僕を詐欺にひっかけるのは簡単だな」と太田さん。だが、チャット履歴を見直すと、ほとんどは自ら入力した内容だった。
資産運用の見直しを相談したり、不動産購入の契約書をチェックしてもらったりした時だ。子どもの年齢も、旅行先のホテル探しを頼んだ際に伝えていた。
「予想以上にたくさんの情報を入れちゃってましたね」と、恥ずかしそうに頭をかく太田さん。「生成AIには、検索とは比較にならないほど大量の機微に触れる情報を渡しがちだ」と分析する・・・

福井ひとし氏の公文書徘徊16

2026年10月4日   岡本全勝

『アジア時報』10月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第16回「「大政翼賛会」の作り方―設立の手順と根拠」が載りました。

大政翼賛会と言っても、名前を聞いたことはあっても、どんな組織だったかは、多くの人は知らないでしょう。1940年10月、第二次近衛内閣の下で新体制運動の結果結成された国民統制組織です。ぎょうぎょうしい割には、何をしたのかよくわかりません。今回の論考を読むと、当初の意図とは異なり、尻すぼみになったようです。

行政学・行政法学的には、国家行政上どのように位置づけるのか、どのような根拠と手続きで作られたのか、興味深い事例のようです。詳しくはこの論考を読んでいただくとして、内閣の決定で作られるのですが、法律や勅令もない、不思議な位置づけの組織になります。

51ページに、第一回準備会の議事録で「女の腐つたようなことを言ひ合ふよりもこの場で心の底からお互に意見を吐露せねばならん(金光氏、憤然自席より「女の腐ったとは何だ!不謹慎極まる!」との発言があり、それに対して「取り消さぬ、断じて取り消さぬ」との応酬が載っています。こんなやりとりがあって、記録されているのですね。

ところで、漢文の素養が高い筆者です。末尾に「翼賛」の語源が出てきます。中国の三国志に出てくるとのことです。

優秀だが困った人

2026年10月4日   岡本全勝

9月28日の読売新聞「論壇キーワード」、常見陽平さんの「ブリリアント・ジャーク 組織の問題を映す言葉」から。詳しくは記事をお読みください。

・・・「ブリリアント・ジャーク(Brilliant Jerk)」という言葉がある。個人としての能力や業績は極めて優秀(Brilliant)だが、協調性に欠け、周囲に悪影響を及ぼす嫌な人(Jerk)を指す。
この言葉が広く知られるきっかけの一つになったのが、動画配信大手Netflixの企業文化である。同社はかつて「No Brilliant Jerks」を掲げた。現在は表現こそ変わったものの、どれほど優秀でも、同僚を礼節と敬意をもって扱えない人物を容認しないという考え方は受け継がれているようだ。端的に言えば、「いくら仕事ができても、嫌な奴は要らない」ということだ。
ここで問題にされているのは、会議で人を侮辱する、手柄を横取りする、立場の弱い相手にだけ威圧的に振る舞う。こうした行動を繰り返し、職場の人々を 萎縮させる人物である。

似た概念に「トキシック・ワーカー」がある。本人が高い成果を上げていても、攻撃的な言動やルール違反によって職場全体に損害をもたらす「有害な働き手」という意味だ。成果の高い人なら「トキシック・ハイパフォーマー」とも呼ばれる。最近は「フレネミー」という言葉も耳にする。友人(friend)のように振る舞いながら、実は敵(enemy)でもある人物のことだ。

厄介なのは、ブリリアント・ジャークは組織の中でしばしば守られることだ。「数字をつくるから」「重要な顧客を持っているから」「あの人がいないと仕事が回らないから」。そんな理由で上司や人事が見て見ぬふりをする。過去の実績が、いつの間にか免罪符のようになる。被害を訴えた側が「あの人との付き合い方を覚えた方がいい」と諭されることさえある。
しかし、本当にその人は「成果を上げている」のだろうか。本人の売り上げや実績だけを見れば優秀かもしれない。だが、その人のために何人が辞めたのか。会議で発言しなくなった人は何人いるのか。尻拭いや人間関係の調整にどれだけの時間が使われているのか。見えにくい損失まで含めれば、評価は変わるはずだ・・・

・・・こうした言葉は、本人への評価であると同時に、組織の問題を映す言葉でもある。ブリリアント・ジャークは、勝手に生まれるのではない。彼らを重用する組織のあり方もまた、問われている・・・