投稿者アーカイブ:岡本全勝

連載「公共を創る」第273回

2026年10月8日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第273回「これまでの議論ー「提供」から「保障」へ変わる政府」が発行されました。公私二元論でなく、政府・市場・社会三元論で捉えるべきという話を続けます。

連載第146回では、サービス提供について、二元論と三元論とで見え方が違うことを模式図で説明しました。公私二元論では、公共サービスは政府が提供し、私的サービスは企業が提供します。民間委託が進められると、政府が企業などを活用する状態が現れます。
官共業三元論では、政府部門(行政)、市場部門(企業)、非営利部門(NPOなど)の3部門がそれぞれ得意なものを住民に提供します。ここでは、公的サービスと私的サービスの区別はなくなっています。そして3部門の上に、政府がもう一度出てきます。政府のここでの役割は、3部門へのルールの設定、誘導、監視です。公共的なサービスを民間主体も行うことから、継続的に安全で公平に提供されるよう、ルールを定めておくことが必要になります。このルール設定とその適正な運用がなされているかの監視が、ここでの政府の任務です。

次に、政府の役割が、福祉提供国家から安心保障国家へ転換しつつあることを述べました。この表現には、「福祉から安心へ」という目標の変化と、「提供から保障へ」という手法の変化の二つを含んでいます。
福祉から安心へという目標の変化は、「人間らしい生き方への被害」という新しいリスクへの対応を意味します。西欧近代国家は「安上がりの政府」「夜警国家」から出発し、「積極国家」「サービス国家」に転換し、さらに「福祉国家」と呼ばれるようになりました。本稿では、福祉国家からさらに「安心国家」に変化しつつあると考えています。国家の主な役割が、福祉の提供から安心の提供へと変化しているという認識です。もちろん、福祉サービスが減るのではありません。安心国家は、夜警国家の治安、福祉国家の豊かさに加えて、生活や人間らしさを含めて安心の範囲を広げるものです。
提供から保障へという手法の変化は、政府が自らサービスを提供する方式から、政府がサービスの継続的な提供と質に責任を持ち、その実施については民間を利用する方式への変化です。

頭脳明晰+やり抜く力

2026年10月8日   岡本全勝

10月1日の日経新聞経済教室に、鈴木智之・国学院大学教授の「変わる企業の採用活動」「経営視点の採用・教育を」が載っていました。詳しくは記事を読んでいただくとして、人材の認知面と非認知面について書いておられる部分の一部を紹介します。

・・・今世紀に研究が大きく進んだ分野の一つに「GRIT(やり抜く力)」がある。長期的目標への根気と熱意を意味する。考える力という面では水準が変わらない人々の間で、職業上の成果に大きな差が生じるのはなぜかという疑問を探求したものだ。
頭脳明晰でも、すぐに諦めるような性格では成果を高く望めるとは限らない・・・

未来予測の限界

2026年10月7日   岡本全勝

人工知能の負の面が見えてきました。嘘をつくだけでなく、ほかの人工知能の成果を盗んだり、不法にほかのサイトに侵入したりしています。人の制御を超えて暴走すると、世界中のコンピュータシステムが停止したり、破壊されたりするでしょう。悪いことをする点でも、人間らしくなったといえます。

技術的特異点、technological singularity、シンギュラリティという言葉があります。ウィキペディアによると「未来学の用語で、科学技術が急速に「進化」・変化することで人間の生活も決定的に変化する「未来」を指す言葉」とのこと。特に、人工知能が人を超えることを指して使われていたようです。

これまでの未来予測は、科学技術が発展し人類の生活が便利になることが多かったようです。しかし、1972年にローマクラブが「成長の限界」を発表して、手放しでは喜べないことが認識されました。その前に、原爆や化学兵器、公害なども、技術発展の負の面を明らかにしていました。ただし、人類はこれらの技術を制御することで、危機を回避してきました。
ところが、これまでの危機は人間が作っていたので、人間が制御できました。しかし、人工知能が自分で(人の関与なく)暴走すると、人間の制御が及びません。これまでの危機とは違った危険です。

人は未来に夢を持って、社会がよくなることを想像してきたのですが、負の面を想像することはおろそかになっていたようです。そんなこと、想像したくないですからね。
科学技術の未来予測ではありませんが、産業経済分野でも予想は当たりませんね。何が売れるか予測できたら、大もうけするでしょう。経済学者や金融関係者は、世界金融危機を予測できませんでしたし。

曲解された「国富論」2

2026年10月7日   岡本全勝

「曲解された「国富論」」の続きです。

・・・ところで、今日の経済学がスミスからの継承を怠ったもうひとつの論点がある。スミスは、18世紀英国では、経済学者というよりもむしろ「道徳哲学者」として高名であった。
「道徳感情論」というもうひとつの主著においてスミスが述べるのは、ある人のある行動の是非を判断するものは、中立的な観察者がどのぐらい共感できるかにあるという。この他者からの共感こそが、道徳的判断の基礎となる。
そのとき、社会はそれなりの共通の価値観を持っており、そこに公正な秩序も形成される。スミスの市場経済論が、直接的ではないにしても、「道徳感情論」を背後に持っていることは間違いない。

彼は、しばしば「私益は公益なり」と訴えたといわれ、人は自己利益を追求すればよい、後は市場の「見えざる手」が適切な秩序を実現してくれる、という。だが、これも無条件の「利己心」を称賛したものではない。経済活動も、「中立的な観察者」による共感に依存するのである。それは、社会的に是認されるような、ある種の「公正さ」を必要とするのだ。

現代の米国流の経済学は、経済行為を、道徳的判断などという価値観から引き離した。経済活動にも、社会的に是認できるものと是認しがたいものがある、という当然の価値判断をいっさい拒絶した。その結果、利益や収益の比較、効率性や成長率への寄与だけが判断の基準になったが、しかし、それもまた、ひとつの価値判断なのである。その結果として失ったものは、経済活動の「公正さ」や「社会の安定」といったもうひとつの価値判断なのである・・・

連載「平成の地方制度改正をひもとく」

2026年10月6日   岡本全勝

月刊『地方自治』9月号に、山﨑重孝・元自治行政局長、元内閣府次官の「「平成の地方制度改正をひもとく」を終えて」が載りました。「平成の地方制度改正をひもとく」は、月刊『地方自治』に連載されていた座談会です。山﨑君が座長になり、自治行政局の幹部が、平成時代に行われた地方自治法など地方制度改正を振り返るものです。合計42回、3年半にわたる長期連載になりました。

法改正を担当した官僚がそのいきさつを書いて残すことは、これまでもありました。この連載の特筆すべき所は、1度の法改正を扱うのではなく、平成3年から29年までの約30年間(準備期間を入れるともっと長くなります)を振り返っていることです。
地方自治制度は、自治体の有り様を規定するだけでなく、国家統治の一部をなしています。基本法中の基本法です。他方で、住民や地域に関することなので、社会の変化を強く受けます。
各回の法改正を追うだけではその位置づけは理解できず、このような通時的な分析が重要なのです。なぜそのような改正が必要になったのか、何を意図して改正したか。日本社会の変化と、この国のかたちをどのように作るか。その重要性を理解していただけると思います。

私が若い頃は、自治法の改正はなく、あっても根幹ではありませんでした。「不磨の大典」と呼ばれてもいました。時代の変化に適応させるためには、解釈で補っていたのです。ところが、平成の間に14回の改正を行ったとのことです。かつては地方制度調査会が答申を出しても法改正につながらなかったのが、実現するようになったのです。

あまりの大部なものなので、通読は難しいでしょうが、第38回から第42回までで総括がなされています。
そこでは、かつての団体委任事務と機関委任事務の区別の困難さ、戦後改革によってできた地方自治制度が戦前の仕組みを引きずっていたこと、分権改革の効果、マイナンバー制度導入の影響なども言及されています。