「曲解された「国富論」」の続きです。
・・・ところで、今日の経済学がスミスからの継承を怠ったもうひとつの論点がある。スミスは、18世紀英国では、経済学者というよりもむしろ「道徳哲学者」として高名であった。
「道徳感情論」というもうひとつの主著においてスミスが述べるのは、ある人のある行動の是非を判断するものは、中立的な観察者がどのぐらい共感できるかにあるという。この他者からの共感こそが、道徳的判断の基礎となる。
そのとき、社会はそれなりの共通の価値観を持っており、そこに公正な秩序も形成される。スミスの市場経済論が、直接的ではないにしても、「道徳感情論」を背後に持っていることは間違いない。
彼は、しばしば「私益は公益なり」と訴えたといわれ、人は自己利益を追求すればよい、後は市場の「見えざる手」が適切な秩序を実現してくれる、という。だが、これも無条件の「利己心」を称賛したものではない。経済活動も、「中立的な観察者」による共感に依存するのである。それは、社会的に是認されるような、ある種の「公正さ」を必要とするのだ。
現代の米国流の経済学は、経済行為を、道徳的判断などという価値観から引き離した。経済活動にも、社会的に是認できるものと是認しがたいものがある、という当然の価値判断をいっさい拒絶した。その結果、利益や収益の比較、効率性や成長率への寄与だけが判断の基準になったが、しかし、それもまた、ひとつの価値判断なのである。その結果として失ったものは、経済活動の「公正さ」や「社会の安定」といったもうひとつの価値判断なのである・・・