マレーシア政府研修での写真が届いたので、載せておきます。初級職と中間管理職を一緒に講義したので、写真も2枚です。
研修員のアンケートの回答も送っていただきましたが、私の意図が通じているようでよかったです。話の途中でも班別討議でも、たくさんのしかも広範な質問が出て、それに答えたこともよかったのでしょう。講義はその分短くなるのですが、研修生の満足度は上がります。


マレーシア政府研修での写真が届いたので、載せておきます。初級職と中間管理職を一緒に講義したので、写真も2枚です。
研修員のアンケートの回答も送っていただきましたが、私の意図が通じているようでよかったです。話の途中でも班別討議でも、たくさんのしかも広範な質問が出て、それに答えたこともよかったのでしょう。講義はその分短くなるのですが、研修生の満足度は上がります。


9月26日の日経新聞夕刊に「会社員の48%、課題図書を最後まで読めず」が載っていました。
・・・本の内容を音声で聴く「オーディオブック」を手がけるオトバンク(東京・文京)は会社員の読書に関する調査結果を発表した。会社指定の課題図書を最後まで読めなかったと回答した割合は47.6%だった。理由は興味を感じなかったり、時間が不足したりといった回答が多かった。
0〜69歳の会社員を対象に8月にインターネットを通じて調査し400人から回答を得た。
会社から指定された課題図書や推奨図書について、「ほとんど読まなかった」が14.8%、「途中で挫折した」が32.8%だった。
読了できなかった理由を複数回答で聞いたところ「本に興味や必要性を感じなかった」が48.3%と最多で、「本を読む時間が足りない」が31%で続いた。「活字を読み進めるのが苦手」は27.6%だった。
日常の読書習慣については、「全く読まない」が48.5%だった。1カ月あたりの読書数で、2冊以上とした割合の合計は32.4%だった・・・
4月に参加した「世界銀行のウクライナ復興支援講師」、世界銀行東京開発ラーニングセンターのユーチューブに、研修の模様が載りました。
私のインタビューも、少しだけ出てきます。動画の1分39秒以降です。
Technical Deep Dive on Integrated Urban Recovery and Transformation in Ukraine
「ドイツに見る短時間勤務2」の続きです。田中洋子・筑波大学名誉教授の「市民の議論生かしたドイツの働き方改革」9月17日から。
・・・働きやすさを実現させたドイツと日本は、何が違うのか。ドイツは、将来の労働に関する国民的な議論を経験し、政府がその声を形にしたという経緯をたどった。日本では政府が音頭を取る形で働き方改革を進めるが、雇用慣行を崩すには至っていない。
二つの国は・・・産業構造が似ているため、社会や家族構造も似たものになった。製造業に勤める労働者はほとんど男性だったことから、1970年代には「男性稼ぎ主型モデル」が確立された。男性が家族を養って昇給や社会保障、福利厚生を享受し、女性は主婦になるか家計補助のために短く働いた。これも同じだ。
その後、女性の教育水準が上がり続けたドイツでは、高学歴なのに家にいて社会で力を発揮しないのは、社会的にも経済的にも矛盾だと考えるようになり、仕事と家庭の両立のための企業内施策が展開された。この点も日本とほぼ同じである。
両国が大きく分岐したのは、2000年代半ば以降だ。日本では過労死やハラスメント、非正規、格差社会といった問題が大きくなったが、この頃にドイツは働き方や労働時間の柔軟化を進めた。日本がコスト削減や低賃金雇用を増やした時期に、ドイツは個人の生活重視のため労働時間短縮に着手していた。
これを進めやすい背景は確かにあった。80年代から労働時間をポイントとしてためて好きな時に休みと交換できる制度があり、それが2000年代に広がった。フレックスタイムも事業主が提案するほどになっていた。
90年代には、これからの労働はどうあるべきかについて研究者や労働組合、女性団体などが熱い議論を交わした。インターネットが出現したこともあって、技術革新が進めば進むほど、これからは短く働くことがトレンドとなると考えられた。来るべき社会では育児も介護もボランティアの時間も、賃労働と同じ価値を持つ営みだという考えが根付いた。
こうした市井の声を連邦政府が形にしたのが、パートタイム法だ。パートを社会インフラにし、誰もが短時間労働者になれるようにした。
日本はこうはならなかった。ドイツで労働の未来論が盛んだった頃、日本はバブル崩壊にあえぎ、企業は人件費を削減していた。世界で多様な働き方に関する議論が行われた時代があったのに、日本はそれを取り込むことなく今に至っている・・・
連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第272回「これまでの議論ーサービス提供での三元論」が発行されました。
公私二元論では、公益を担う政府と私益を追求する企業が異なる論理で世の中を支えています。それに対し、政府・市場・社会三元論では、三つの領域はそれぞれに得意な分野がありますが、相対立するものではなく協働して世の中を支えていると考えます。企業は私益を追求するだけでなく、その活動を通じて世の中を支えています。前回は東日本大震災での例を挙げて説明しましたが、もう一つの例として、助け合いの仕組みである保険を取り上げました。
第145回の図表「官の提供、民の提供」で、どのようなモノとサービスを、政府、企業、NPOが提供しているのかを、分野ごと(安全、教育・文化、福祉・衛生、社会資本・交通・通信、産業、その他)に、代表的な事業を挙げて分類しました。これを見ると、たくさんの分野で三つの部門が同じようなサービスを提供していることが分かります。
例えば教育では、幼稚園、小中学校、高校、大学は、国公立(独立行政法人を含む)と、私立(学校法人)が存在しています。医療にあっても、同様です。介護保険サービスは民間に開放され、自治体のほかに企業やNPOが担っています。
経済学や行政学の教科書では、行政が提供する公共サービスと、企業が提供する民間サービスとは異なるものと説明されます。しかし、事業主体による区分はあまり有効ではありません。そのことを明るみに出したのは、民営化です。「小さな政府」を目指し、またサービス向上のために、官が担っていた業務を民間に移したり、民間に開放したりしたのです。それらが問題なく進み、公共サービスが特殊であると言えなくなりました。
これらを見ると、利用者にとって重要なのは誰が担うかではなく、サービスの継続的な提供と、一定以上の質が確保されることです。すると、行政の役割は、そのままでは企業が提供しない、しかし必要なサービスをどのように提供するかということとともに、国民生活に重要なサービスについては、提供主体は私企業であれ、NPOであれ、役所であれ、継続性と安定性を保障し、価格や品質の妥当性を監視することの2点になるでしょう。