福島県双葉町避難指示、一部解除

8月30日に、福島県双葉町で避難指示が一部解除されました。避難指示が出た12市町村で、順次避難指示が解除されているのですが、双葉町の解除は大きな意味があります。
双葉町は、これまで全く帰還できなかったのです。

政府(経産省)による避難指示は、放射線量に応じて3つに分けて出されました。すぐに帰ることができる区域(解除準備区域、緑色)、しばらくして除染してから帰る区域(居住制限区域、黄色)、当分帰ることができない区域(帰還困難区域、赤色)の3つです。
他の11市町村は解除準備区域と居住制限区域があり、すでに全部または一部で帰還できています。しかし、双葉町は町の多くが帰還困難区域となって、帰ることができなかったのです。

帰還困難区の住民は帰ることができないことから、東京電力が土地建物や財産などを全額賠償し、さらに慰謝料や故郷損失賠償も払いました。多くの方は戻れないことを前提に、他の町で新しい住宅を建て、生活を始めておられます。
帰還困難区域は、当初の設定は帰ることができない区域でした。放射線量が高かったからです。ところが、当初の想定より放射線量の減衰が早く、双葉町の中心(駅前)も除染をすれば住むことができる目処が立ちました。そこで方針を転換して、町の一部を「復興拠点」として除染して、戻ることができるようにしたのです。
ここには、政府与党の政治決断がありました。戻ることができないと一度決めた場所を、除染します。東電は既に全額賠償をしているので、負担する理由はありません。そこで、国費(税金)で除染をすることにしたのです。

復興拠点は他の町にもありますが、双葉町の復興拠点は意義が異なるのです。他の町では住民は自宅には戻れなくても、町内には戻ることができました。しかし双葉町は、復興拠点をつくらないと、町には戻ることができないのです。
町長や住民の強い希望、自宅でなくてもふるさとに戻りたいという希望を叶えたいとして、この制度を考えました。私としても、双葉町の帰還困難区域一部解除は、感慨深いものがあります。
役場も、いわき市の仮庁舎から、駅前に移ります(かつての庁舎は使うことができないのです)。公営住宅も造られて、自宅に戻れない人も、町には戻ることができます。
もっとも、多くの住民は先に書いたように、新しい土地で生活を始めておられるので、直ちに戻ることは難しいでしょう。復興拠点を核に、どのような町をつくっていくか。これからの課題です。

8月が終わりました。

今日は8月31日、8月が終わりました。
暑かったですね。また、局所的な豪雨も多く、被害も出ました。

8月1日には、「「いろんなことができる」と思うのですが、終わってみると、何もできなかったと後悔することが多いです」と書きました。「8月です」。15日には、まだ半月残っていると書きました。「8月も半ば」。

皆さんは、充実した8月だったでしょうか。いろんなことができたと思います。
私は、キョーコさんのお供(ゴロゴロ鞄を引っ張る係)で、1泊と2泊の国内旅行に行きました。肝冷斎に、阪神巨人戦に連れて行ってもらいました。孫とセミ取り、花火をしました。

このホームページも、欠勤することなく、毎日記事を載せることができました。週末に書きためてあるのですが。
原稿執筆は、報告しているように、連載は締めきりを守ることができました。もう一つの論文も頑張った甲斐があって、もう一息です。
読みたい本は、あまり進みませんでした。
それでも、この暑い夏に頑張った自分を、褒めてやりましょう。

河北新報社『復興を生きる』

河北新報社編集局編『復興を生きる 東日本大震災 被災地からの声』(2022年8月、岩波書店)を紹介します。
河北新報社が、震災10年を機に連載した「東日本大震災10年報道」を、本にしたものです。2021年度新聞協会賞企画部門を受賞したとのことです。

大震災の被害については、たくさんの報道と記録があり、その後の復興についても、継続的に報道されています。しかし、10年を機にその復興を振り返ることは、価値があります。
自然災害は自然が引き起こすもので、防ぐことができない部分もあります。他方で復興は、私たち人間が取り組むものです。10年というのは一つの区切りですし、津波被災地ではほぼ復興工事は完了しました。
町がどのように復興したか、産業や暮らしがどう変わったか。それを検証して欲しいです。復興庁も、インフラの復旧だけでなく、産業となりわい、人とのつながりやコミュニティの再生も支援しました。インフラの復旧だけでは、町の暮らしが戻らないと気づいたからです。

政府や自治体もその記録を残していますが、地元の新聞社という立場から復興を振り返ってもらうことは、政府と自治体にとっても有意義だと思います。時に厳しい意見もありますが、今後起きるであろう大災害の際に教訓となります。
当事者も関係者も最善を尽くしたのですが、初めての経験でもあり、手探り状態でした。振り返って「こうすればよかった」ということもあるでしょう。第10章で、復興庁が取り上げられています。

私の発言も、93ページ、212ページに載っています。2021年3月18日の記事は、収録されていないようです。

夏休みの宿題と残業時間

8月21日の読売新聞、森川暁子・編集委員の「自分に気づける 夏休みの宿題」から。

2018年、学習塾「明光義塾」が小学5年〜中学3年までの子を持つ保護者600人に、子供が前年の夏休みの宿題にどう取り組んだかを尋ねたインターネット調査がある。
「計画を立て、コツコツ」が34・2%で「計画はなく、気が向いたときに」が39・2%。案外ちゃんとしてると思ったが、「終了間近にまとめて」(15・7%)と「夏休み中に終わらなかった」(3・8%)を合わせ約2割ギリギリ組がいた。

兵庫県立大准教授の黒川博文さん(34)(行動経済学)らは16年、ある会社の協力を得て労働時間に関する調査を行った。回答者はオフィスワーカー146人。性格など個人の特性を尋ねる中で、子供のころの夏休みの宿題についても質問した。
残業時間と照らし合わせると、夏休みの宿題を遅くやった人ほど、午後10時以降の深夜残業時間が長かったという。「宿題をするのが遅いというのは、努力を後回しにし、楽しいことを優先することです。大人になっても一部、そうした後回しの傾向が残るのでは」と、黒川さん。残業の理由はそれだけではないだろうが、深夜にこの原稿を書きながら身につまされた。
「もちろん、ずっと変わらないわけではありません。どこかの時点で、つい後回しにする自分の癖に気付き、工夫して乗り越える人もいると思います。大事なのは気付くことです」

まだ宿題を追い込み中の人が、これからできる工夫はないか、黒川さんに尋ねた。
「『来週までに50ページ』といった漠然とした目標だけではなく『毎日5ページ』のように、具体的にできる範囲の目標を設定すると達成しやすい。強めの方法だと、スマホを家に置いて図書館に行き、宿題しかできない状況を作るというのもあります」
自由研究や工作などは「このテーマにする」と、決めないと始まらないのでさらにハードルが高い。
「いきなり『アイデアを出す』というのは大変です。5分でも、とにかく何かを書いてみるところから、でどうでしょう」

連載「公共を創る」執筆状況

恒例の、連載原稿執筆状況報告です。
第130回(9月29日掲載予定)の原稿を書き上げ、右筆にズタズタにされて、編集長に提出しました。これで、8月締めきり分の原稿を、遅れずに提出することができました。問題は、その先です。

第4章「政府の役割再考」2「社会と政府」は当初、(1)「社会を支える民間」、(2)「政府の社会への介入」、(3)「政府の役割の再定義」で構成して、その次に3「近代憲法構造の次に」で締めようと考えていました。
ところが、(2)「政府の社会への介入」が思いのほか長くなったので、いったん切ることにしました。そして(2)の後半に予定していた内容を、(3)「社会をよくする手法」と独立させることにしました。

で、次の原稿は、その中の構成を考えなければなりません。いくつか素材は集めてあるのですが、それらを並び替えるとともに、全体を調整しなければなりません。これは結構大仕事で、重要なのです。先日から着手しているのですが、他の原稿も抱えていて、進みません。

また、その後の構成を、3「政府の役割の再定義」、4「社会は創るもの」に変更することにしました。まあ、書いて行くうちに変わることもありますが。