立命館大学法学部「公務行政セミナー」講師

今日6月10日は、立命館大学法学部「公務行政セミナー」の講師に行ってきました。立命館大学では、公務員を目指す学生の教育に力を入れています。地方公務員、国家公務員になる人も増えているとのことです。

この講座は、国家公務員や地方公務員の先輩たちが話をするようです。柳至先生からの依頼は
・自身の経験に沿ってどのように仕事をしてきたのかといった話
・公務員を目指す学生へのアドバイス
でした。

私は少々珍しい経験をしたので、それを話しました。もっとも、話したいことはたくさんあって、焦点を絞らざるを得ませんでした。皆さんに直接役に立つことは少ないでしょうが、「こんなこともあるのだ」と視野を広げてもらえればと思い、話しました。付録として、学生時代に何に心がけたらよいか、面接官はどこを見ているかなども、お教えしました。
70人の学生が、目を輝かせて聞いてくれました。講義後の質問も、鋭かったです。少々疲れましたが、話し甲斐がありました。

立命館大学では、対面授業が再開されていて、校内は若い人でいっぱいでした。帰りのタクシーの運転手さんも「にぎわいが戻るのはよいことですね」と、喜んでおられました。ちなみに卒業生だそうで、「最近の後輩たちが頑張ってくれて、立命館大学の評判が上がって、うれしいですわ」とも。

うつ病、ウイルスも関与か

5月21日の日経新聞「カラダづくり」は「うつの発症にウイルスが関係?」でした。
疲労が蓄積すると、心の病になる確率が高くなります。この記事によると、ウイルスも関与しているとのことです。

・・・疲労がたまるとヒトヘルペスウイルスが活性化し、口唇ヘルペスを発症するように、うつ病にもウイルスが関与することがある・・・
・・・近年、うつ病の発症に脳の炎症が関わっていることが明らかになった。この炎症を引き起こす要因の一つとして「HHV(ヒトヘルペスウイルス)―6が関与している」と、東京慈恵会医科大学(東京・港)の近藤一博ウイルス学講座教授は指摘する。
HHV-6は日本人のほとんどが乳児期に感染する突発性発疹の原因ウイルスで、通常は血液中に潜伏している。ところが体が疲れると、再活性化し唾液(だえき)中に放出される。
疲れた際に発症しやすい口唇ヘルペスは単純ヘルペスウイルスが引き起こすが、HHV-6はより疲労に反応しやすく「唾液中のHHV-6の量で疲労度が測れる」(近藤教授)。
うつ病の発症にHHV-6が関与するしくみについて、近藤教授は「唾液からHHV-6が鼻の奥にある嗅球(臭いを感じる器官)に移行・潜伏感染し、そこでSITH-1と命名したたんぱく質を発現させる。それが嗅球のアポトーシス(細胞死)を引き起こす」と説明する。このアポトーシスが脳内のストレス物質を増やし炎症を促すというのだ・・・

連載「公共を創る」執筆状況報告

恒例の、連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆状況報告です。前回のぼやきは3月17日でした。

あの頃は、4回分も原稿を書きためていたのに、あっという間に貯金がなくなりました。このひと月は、自転車操業状態です。1週間に1回分ずつ締め切り間際に、編集長に提出する事態が続いています。右筆からは「次号は間に合うのですか」と心配される始末。
社会と政府との関係のうち、5月からは国民や社会の政府に対する意識を議論しています。事前には、簡単に書けると考えていたのですが。まとまった時間が取れません。

これからも講演会が続いたり、私的な催し物が続いたりして、時間が取れません。夜の意見交換会もびっしりで。反省。
宿題ができていなくて、いろいろと嘆くのび太君に対して、ドラえもんが言います。「そんなことを言っていないで、少しでも手を付けたら」と。

法令でなく要請で規制することの弊害

5月26日の時事通信社コメントライナーに、武部隆・時事通信総合メディア局専任局長が、「マスク着用「マナー」は変わるのか」を書いておられます。
日本はコロナ禍において、マスク着用を法令ではなく、要請ですませました。罰則付きの規則でなく、マナーとしたのです。ところが、それは弊害を生んでいます。
武部さんのお子さんは、感覚過敏と自閉症で、マスクを着用できません。すると、外出できないのです。理髪店は当初はマスクなしでの調髪を認めてくれていたのですが、途中から「マスクなしの来店お断り」となりました。どうやら他の客から文句が出たようです。

武部さんは、法令による禁止の例として、障害者が利用する自動車の駐車例外を挙げています。申請すれば、駐車禁止の場所でも駐車できる章票が交付されます。これを出しておけば、県が指定した場所に限り駐車禁止の罰則は適用されません。
法令で規制しないことは一見やさしそうに見えますが、このような事情のある人にとっては冷たい方法です。

コミュニケーションと伝達との違い

コミュニケーションは、いまや日本語になっています。辞書では、伝達・通信・交流・意思疎通など、情報が伝えられることと書いてあります。しかし、日本語のコミュニケーションは、伝達や通信といった情報を伝える意味ではなく、双方が述べ合って相手の言っていることを理解しようとすることに使われます。

すなわち、ある人が別の人に一方的に話をするだけでは、コミュニケーションとは言わず、相手に理解してもらうこと、あるいは理解してもらおうとすることが必要です。
それが問われるのは、双方に意見の違いや事実認識の違いがある場合で、それを前提に話し合うことが含まれています。
伝達ではなく、認識の相違がある場合の確認であり、共通認識を目指す作業です。