ホームページの改築

このホームページの、一部改築を行いました。
日々思ったことを書き連ねる際に、設定してある分類(この表紙の左欄にあるカテゴリー)に分けます。一つの記事が、二つ以上の分類に属する場合もあります。両方の分類に入れることも可能なのですが、私はできる限り、一つの分類に位置づけることにしています。

ところが、記事が増えていくうちに、既設の分類がそぐわなくなることがあります。そこで、時々、分類を再編しています。いま使っているホームページ作成ソフトは優れもので、大分類や中分類を自由に設定できて、自由に移し替えできます。

今回は、まず、「社会」という分類から、「歴史」を独立させました。
歴史に関する記述が増えて、「社会」に入れておくには、多くなりすぎました。といえば簡単ですが、これまで「社会」に入っていた400記事から、歴史に分類すべき記事を選別して、移植する必要があります。

次に、大分類として「社会の見方」を立てて、大分類「行政」から「マスコミ論」「社会」「社会と政治」「経済」を、大分類「生きざま」から「生き方」「ものの見方」をここに移植しました。「歴史」も、ここに入れました。

生き方」には、私の生き方とともに、人生の先輩たちの生き方も入って、混在していました。そこで、私の生き方は、「体験談」に移植しました。

いつか改築しなければと思っていて、方針は立ててあったのです。まあ、過去の記事は、よほどのことがない限り読むことはありません。調べたいときは、語句で検索するので、どの分類に入っていても困らないのですが。
過去の記事を読むと、いろんなことを書いていますね。また、「こんな本も読んだんだ」と、すっかり忘れていることに気がつきます。

天皇による社会統合

5月2日の朝日新聞「皇室に親しみ、ふわっとした国民統合」から。

・・・平成の間に価値観やライフスタイル、家族の形は多様化した。反面、経済状況の悪化や人口減少で、社会制度のひずみが露呈。格差は広がって、社会に分断も生じている。
東京大学の佐藤俊樹教授(56)=社会学=は「経済成長が続くことを前提として社会を統合するという戦後政治の想定は崩れ、憲法によって保たれる社会秩序に『空白』が生じた。それを埋めたのが、平成の天皇だった」とみる。
被災者ら、より厳しい状況に置かれている人々に対し、天皇が光を当て、国民が苦境を分かち合うというメッセージを発したことで、社会の統合に寄与したという見方だ。
「裏返せば、国民は不満をある程度解消され、議論や思考を深めてぶつけ合わずにすんだ。天皇のおかげで良い意味でも悪い意味でも、ぬるくて快適な日本の社会機構を続けられたとも言える」・・・

平成時代から引き継ぐもの4

平成時代から引き継ぐもの3」の続きです。

その他に、平成30年間の変化から、いくつか拾ってみましょう。朝日新聞「数字で平成の30年を振り返ると」など。
大学進学率が、25%から53%へ。もっとも、18歳人口が193万人から118万人に減って、大学生は207万人から291万人に増えたのです。
非正規労働者が、800万人から2100万人へ。高学歴が増えたのに、生活が不安定になりました。人生設計が、親の時代と大きく変わったのです。
農業の担い手は、324万人から145万人へ。しかも、65歳以上が7割で、40代以下は1割です。産業としては危機的状況です。それは、農村の風景をも変えていきます。
訪日外国人客が、283万人から3119万人へ。これは、京都に行くと実感できます。産業としては、期待できます。
交通事故死者は、11086人から3532人へ。シートベルトの義務づけ、飲酒運転の厳罰化などによります。
自殺者は、22436人から34427人を経て20840人へ。3万にを越えたときがありましたが、少し減っています。
数字では示すことができませんが、ボランティア活動が広がりました。阪神・淡路大震災で活躍し、ボランティア元年と呼ばれたのは、平成7年(1995年)です。東日本大震災でも、組織ボランティアであるNPOが大活躍しました。

こうしてみると、「失われた20年」と言われる割には、日本社会はその良さを維持し、改善している面もあります。それが、国民が、平成時代に良い感じを持っている理由でしょう。
問題は、経済です。ジャパン・アズ・ナンバーワンと有頂天になった経済界が、その後、長期にわたり停滞を止めることができなかった。罪深いと思います。
政治と行政への批判もあるでしょうが、平成は政治・行政改革の時代でもあったのです。「行政改革の現在位置~その進化と課題」。もちろん、まだ十分とは言えませんが。

さて、平成を振り返り、良い方向に変えることができたことと、悪い変化を止めることができなかったことを教訓に、変化・改革を続けなければなりません。

歴史教育と歴史学2

歴史教育と歴史学」の続きです。

多くの学問は、大学での学問や研究者の最先端と、高校までの授業内容・大学入試問題がつながっています。しかし、歴史学は違うと、思います。
その第一の理由が、他の学問では、基礎知識を覚え、それを基に応用があるのに対して、学校の歴史教育には、覚えた事実を基に、何か思考するということがないのです。

それは、これまでの歴史学の内容と方法に問題があったのではないか、というのが私の考えです。
これまでの歴史学が、主に政治史であって、出来事の羅列であったからです。英雄たちや政治家がどのような政治体制をつくって、どこを支配したかを覚えさせられます。しかし、それでは、次につながりません。
民衆が出てくるのは、革命の時くらいです。経済が政治を規定するという、マルクス史学(経済学)も、大きな流れでは真理を含んでいますが、それ以上の展開はないです。

歴史学も、新しい事実(遺跡や古文書)を発見して、新しい知見をもたらしてくれます。しかしそれは、知識が増えただけで、「考える学問」とは違います。
英雄の歴史や戦争、王朝の興廃も、読み物として面白いですが、それは小説の世界です。
社会が、どのような原因でどのように変化したか。そのような「分析」なら、「考える学問」だと思います。
出来事の歴史ではなく、経済の発展、民衆の生活水準の発展、文化の変化など、「原因と結果」を説明するような歴史学なら、「知識の記憶と応用」があると思うのですが。
この項続く

平成時代から引き継ぐもの3

平成時代から引き継ぐもの2」の続きです。
前回、引き継ぐ財産と教訓を、説明しました。もう一つの要素を、挙げておきましょう。「変化」です。財産も、固定したものでなく、変化の途中にあります。

例えば、人口とその構成です。2010年を頂点に、総人口は減りつつあります。そして、その内容は、高齢化が進んでいます。この傾向が変わらないと、ますますこの状況が進みます。
また、現在の経済成長率を前提とするなら、中国との経済規模はさらに広がります。先進諸国の中での、一人当たりGDPも低下します。

皆さんは、この30年間の変化として、何を思い浮かべますか。日常生活では、携帯電話とスマートフォンでしょうか。パソコンとインターネット、プリペイドカードもでしょう。
平成時代の変化には、意図したものと、そうでないものがあります。社会の変化は、なかなか政府や有識者の主張通りには、いかないものですが。

意図して変わったものを、いくつか挙げましょう。
クールビズ。かつては、真夏もネクタイを締めていました。
禁煙。これは、一気に進みましたね。食堂でも職場でも、灰皿がありました。駅や新幹線でも、吸っている人がたくさんいました。
男女共同参画社会。女性の社会進出は大きく進みました。まだ、不十分な面もありますが。
介護保険も、大きく社会を変えました。
働き方改革。これは現在進行形です。

30年前に、昭和から引き継いだ社会が、これだけ変化したのです。また、国民が変えたのです。
この変化のうち、良いものを引き継ぎ、良くないものの変化を止めなければなりません。「変える力」も、日本国民の財産です。この項続く