カテゴリー別アーカイブ: 体験談

生き様-体験談

故・古川貞二郎さん

今日は、古川貞二郎さんのお別れ会に行ってきました。私は、中央省庁改革本部事務局勤務(1998年~2001年)の際に、古川官房副長官にお仕えしました。

その時の仕事は、「省庁改革の現場から」(2001年、ぎょうせい)にまとめました。私たちの任務は、「省庁改革基本法」に定められた方針を、具体化するのが任務です。
事務局は、新しくできる各省を担当する班と、共通事項を担当する班などからなっていました。共通事項の3つは、「内閣および内閣と各省との関係など」「行政の減量(組織などの削減)」「独立行政法人の制度設計」です。
そのうち、内閣などは岡田秀一参事官(経産省、後に経済産業審議官)、独立行政法人は井手憲文参事官(運輸省、後に観光庁長官)で、減量担当が私です。組織削減の難しさは、日経新聞夕刊コラムにも書きました。「鯉が包丁を持つ」。

省庁改革本部は内閣直属だったので、参事官の私の上司は事務局次長・事務局長で、その上が副長官でした。
総理出席の会議で進捗を報告するとともに了解を得るために、事前に副長官に説明に行きます。「君たちも苦労するねえ」と、言葉をかけてもらいました。それだけなら、通常の上司と部下なのですが。
それぞれに難しい仕事で、そう簡単には行きません。会議の席でもそのような話が出ますし、この3人は率直に説明します。すると、後ほど、古川副長官からお叱りを受けます。それが重なると、この3人は自分たちのことを「しかられ3兄弟」と自嘲していました。

省庁改革本部に呼ばれた時、私は43歳。富山県総務部長からの転勤でした。
うまく進んだ話はほとんど覚えていないのですが、このような話は鮮明に覚えています。今となっては、懐かしい思い出です。

コロナ感染拡大第7波での会食

いったん収まる傾向にあったコロナ感染が、7月から第7波、これまでにない拡大になっています。
私も、予定していた夜の異業種交流会を、いくつか延期しました。身元の分かった人、少人数に限定しているのですが、それでも心配ですよね。いくつかは、予定通り実施。参加者に確認すると、「先月、かかりましたから」という「安心できる人」が何人もいました(苦笑)。皆さん回復して、後遺症もないので、参加できるのですが。

ある会合では、参加者の一人であるお医者さんが、抗原検査器具で検査をしてくださいました。私は初めての経験です。上を向いて、鼻の奥まで長い綿棒を突っ込まれました。結構痛い思いをしました。数分で陰性とでました。
皆さん、結果が出るまで、やや不安な面持ちで、器具の表示(1本線が、指定の場所に出るかどうか)を見守っています。全員陰性が確認されたので、安心して開会、盛り上がりました。
ある参加者は「会費を払ってから、検査するのか。陽性だったらどうするの」と言いましたが、先生曰く「直ちに帰ってもらいます」、主催者は「店は料理を用意しているので、会費はいただきます」とキッパリ。

抗原検査器具が無料で配布され、本人が検査できるようですが、実際はどうでしょうか。自分で、あんな鼻の奥まで、つらい思いをして綿棒を入れるでしょうか。鼻の入り口では検査にならないそうです。

追悼、安倍元総理

安倍元総理が襲撃され、お亡くなりになりました。
治安の良い日本で、驚くことが起きました。白昼の公共の場でこのようなことが起きるとは。外国ではあっても、日本では起きないと考えていました。

安倍元総理には、私が麻生総理秘書官を勤めていたときや、安倍内閣で復興に携わっていたとき(復興庁、内閣官房参与・福島復興再生総局)に直接ご指導をいただきました。
東日本大震災復興については、官邸や現地で何度も話を聞いてもらい、方向性について了解をもらって事業を進めることができました。総理執務室に入ると、必ず「ご苦労さん」と言いながら、席に座ることを勧めてくださいました。私は、何が進んでいないか、どのようしたら進むかを説明しました。総理が忙しいことは秘書官を経験していて分かっていたので、できるだけ簡単な資料で説明しました。その度に「わかった、その方向でやってよ」との言葉をもらうことができました。与党の復興加速化本部からの提言を受けてもらい、前例のないことや官僚では決定できないことを、総理指示の形で出してもらいました。「安倍総理在任中の業績、震災復興」「安倍総理からのねぎらい

官僚は、総理にはうまく行っていることを説明するのが「通常」でしょう。私だって良い話をして、総理に喜んでもらいたいのですが。私の役割はうまく進んでいないか所を報告し、それを解決する方法と方向について了解を得て、関係機関を動かすことでした。官僚にとって、うまく行っていないことや嫌な話を聞いてくださる総理は、とてもありがたいものです。

1年に4回(福島2回、岩手、宮城)現地に入ることを、通例としてもらいました。合計43回です。復興が進んでいるか所とともに、進んでいないか所も見ていただきました。総理が現地に入ると、被災者や復興関係者はとても喜び、元気が出ました。
政権復帰直後に福島を視察された際に、政府の原発事故対応が不十分であること、関係機関がばらばらで全体の統一を取る仕組みがないことに気づかれ、「次官級を現地に置く」と指示されました。それが、後に私も勤めることになった福島復興再生総局事務局長の職です。

ある日の岩手県沿岸視察の帰り道、途中休憩の売店で私がソフトクリームを買おうとしていたら、「全勝さん、何買うの?」と声がかかりました。「総理、疲れた帰り道では、ここのソフトクリームおいしいんですわ」と答えると、「じゃあ、僕の分も買ってよ」とのこと。「了解です。しかし総理、この周囲にいるみんなも欲しがってますよ」と申し上げると、笑いながら「分かったよ」と財布を出してくださいました。とたんに、その周辺にいたたくさんの職員たちが、売り場の前に並びました。で、総理と私の分だけでなく、たくさんの人数分の代金を払ってもらいました。みんな「総理にソフトクリームをおごってもらった」と大喜びしました。
ご冥福をお祈りします。

講義は難しい

これまで何度も講義や講演をしましたが、何度やっても、しゃべることは難しいです。まず、本人の実感と反省があります。「今日はうまく話せたな」「観客の受けがよかったな」と思うときと、「今日はいまいちだったな」と思うときがあります。他方で、研修講義などでは、参加者による評価が出ます。なかなか満点は、もらえません。

市町村アカデミーでの研修生による講師の評価を見ると、高い評価の講師とそうでない講師がいます。中には全員が高評価の講師がおられます。尊敬します。
他方で、研修生の評価が低い講師がいます。その理由は、研修生の聞きたいこととズレていた場合や、内容はよいのに講師の言いたいことがうまく伝わらなかった場合があるようです。
前者は、学校側が講師に講義の趣旨目的を十分伝えていなかったことも考えられます。これは、事前の説明と打ち合わせで防ぐことができます。

後者は、伝え方が下手なのです。いくつか型があります。
・資料を棒読みする講師。
・早口、小声で聞き取りにくい講師。
・内容を詰め込みすぎで、消化不良になる。結局何を伝えたいのかが分からない。
この3番目は、公務員によく見ることができます。私もよくやりました。今も、時々やってしまいます。
昔は「時間が余ったらどうしよう」と心配して、たくさんの内容を準備したものです。これは、ダメでした。たくさんのことを伝えたいと思うのが、逆効果になっています。過ぎたるは及ばざるがごとし。

その対策は、私の場合は、講義の最初に「今日はこれだけを持って帰ってください」と、要点を3つほど挙げることです。そして、思い切って資料を簡素化することです。
公務員の講師は、しばしば執務で使っている説明資料を投影して説明します。これは絶対ダメです。
パワーポイントの資料は文字数が多くて、投影されても聴衆は読み取ることができません。投影するなら、絵や写真で、文字なら3行ほどの要点にしましょう。たくさんの資料を伝えたい場合は、講義とは別に「持ち帰り資料」にするとよいです。

オクラホマミキサー

オクラホマミキサーって、覚えていますか。フォークダンスです。
私は、中学校の体育の時間と、高校の学園祭でやりました。中学では、友人が「女の子と手をつなぐのは嫌だ」と言って、先生に叱られていました。高校では「あの人と踊れるのかな」と胸がどきどきしました。相手の女性は、一人飛ばしでしたよね。

6月5日の日経新聞文化欄、講談師の神田茜さんの「オクラホマミキサー」を読んで思い出したのです。あのメロディーも、そして曲が終わる際の「チャンチャン」も。
神田さんが上手に、若い男女の気持ちを書いておられます。「思春期に初めて手をつないだフォークダンス」と。占領軍が「健全な男女関係」を築くために導入したとも。
オクラホマミキサーとは振り付けの名前で、曲の名前は「藁の中の七面鳥」というのだそうです。

「好きな男の子と手をつなげるかもしれない」と頭がいっぱいになった神田さんは、当日、男女の人数あわせで男子の列に入れられ、好きだったM君とは手をつなげなかったのです。