カテゴリー別アーカイブ: 歴史

『中世イングランドの日常生活』

中世イングランドの日常生活』(2022年、原書房)を読みました。イギリス旅行で、「中世イギリスに生まれ変わったら、どんな生活をしたのだろう」と妄想したことがきっかけです。羊ではなく、農夫に生まれたらと思って、この本を買いました。

表紙に、「生活必需品から食事、医療、仕事、治安まで」と書いてあるとおり、かなり詳しく書かれています。
もしその時代に生まれたら、労働がつらいことや食事がおいしくないこと以前に、衛生状態と医療環境が悪いことに耐えられないでしょうね。21世紀を経験している私だから思うので、それを知らなければ、当時の状況が当たり前と思うのでしょう。
それは、古代や中世の日本に生まれ変わっても同じでしょう。今の時代、それも日本に生まれてよかったことを、改めて感謝しなければなりません。

9月にイギリスに旅行して、早いもので1か月が経ちました。同世代の知人とイギリス旅行の話をしたら、彼曰く「イギリスにいたとき、あそこも行こうと思ったんだけどな。また、来ることができるだろうと先延ばししたんだ。もう行くことはないかな」と残念がっていました。行けるときに行っておかないと、行けなくなります。
教訓「悩んだらやってみる」。参考「変わりたくない日本企業」。この記事が同じ日に掲載することになったのは、偶然です。

タクシー運転手の思い出

9月26日の朝日新聞投書欄「ひととき」に、「父を誇りに思う」という話が載っていました。
・・・横浜で一人暮らしをする80歳の父が、個人タクシーを廃業した。沖永良部島から出てきて神戸で働いていた時、亡き母との結婚が決まり、横浜に来たのが24歳。二種免許を持っているならと勧められ、タクシー会社に就職した。
カーナビなんてない時代、右も左も分からない新米ドライバーを支えてくれたのは乗客のみなさんだった。「運転手さん、次の信号、右折ね」など、道案内してくれた上にチップまでくれた、いい時代だったと父は懐かしむ・・・

これを読んで、思い出しました。私が25歳の時だったと思います、自治省の駆け出しの頃の出来事です。上司が、仕事が終わった頃(終わったと言うより、その日の一区切りがついたと言うべきでしょうか)、新宿に飲みに連れて行ってくださいました。
自治省の建物の前で、タクシーを拾います。私が助手席に座って、運転手さんに行き先を告げます。霞ヶ関から新宿ですから、そんな難しい経路ではありません。運転手さんが、道路地図帳を開き始めました。40年前は、カーナビゲーションがありませんでした。
「運転手さん、行き方がわからへんの?」と聞くと、「ええ、まだ東京で仕事を始めたばかりで、不慣れなんです」とのこと。「私が教えるから、出発して」と促しました。道案内しながら、事情を聞きました。

全:よくそれで、タクシー運転手が務まるねえ。
運:そうなんです。この間まで神戸でやっていたのですが、東京に出てきました。
全:試験があるでしょう。
運:ええ。試験官が乗って、行き先を告げられ、うまく行けるかどうか試験があります。2回不合格で、これでだめなら神戸に帰ろうと思っていたんですが。3回目は知っているところが出て、受かったのです。
全:よかったねえ。がんばってね。

万葉集のアサガオは桔梗?

山上憶良が「秋の七草」について、二首詠みました。
「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花」
「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴 朝顔の花」

そして、この朝顔を桔梗だという説を聞いたことがあります。
私は、この説に疑問を持っていました。桔梗の花は朝だけではありませんよね。数日咲いていたと記憶しています(不確かです)。朝顔と名付けられるくらいですから、朝に開くそして昼には閉じるくらいでないと、そんな名前はつかないでしょう。
朝顔が夏に咲くので、秋の七草にはふさわしくないと考えたのかもわかりませんが、我が家の朝顔は10月になっても咲いています。「温暖化の影響だ」「当時の朝顔とは異なる品種だろう」という批判もあるでしょうが。

インターネットで調べたら、「朝顔、桔梗、槿、昼顔、のあさがお説の検討」に次のように書かれていました。
・・・古代のアサガホはカホガハナのうちの、朝に咲くことが特徴である花である。このアサガオには、現在の朝顔、桔梗、槿、昼顔、のあさがおなどの説がある。朝顔は十月十一月に咲くこともある。源氏物語のアサガホは、長月に咲いている例もあるが、つる性の植物で、現代と同じ朝顔と考えてよい。桔梗説について。源氏物語にも枕草子にもキキヤウとアサガホとが出てくるので、この時代には別の植物をさしていたことは明らかである・・・

チャーチル著『第二次世界大戦2』

ウィンストン・チャーチル著『第二次世界大戦2―彼らの最良のとき』(みすず書房)が出版されました。
いよいよチャーチルが首相になって、劣勢で困難なイギリスを率います。

昨年8月に『第二次世界大戦1―湧き起こる戦雲』が出版され、今年が第2巻です。それぞれに約900ページの分厚さです。チャーチルは、よくこれだけのものを、しかも晩年に書けたものですね。

『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』

小野寺拓也・田野大輔著『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(2023年、岩波ブックレット)を、積ん読の山に見つけて読みました。
宣伝文には、次のように書かれています。
「「ナチスは良いこともした」という言説は、国内外で定期的に議論の的になり続けている。アウトバーンを建設した、失業率を低下させた、福祉政策を行った――功績とされがちな事象をとりあげ、ナチズム研究の蓄積をもとに事実性や文脈を検証。歴史修正主義が影響力を持つなか、多角的な視点で歴史を考察することの大切さを訴える」

本書では、それらの「俗説」を取り上げ、「その政策がナチスのオリジナルな政策だったのか」「その政策がナチ体制においてどのような目的を持っていたのが」「その政策が「肯定的な」結果を生んだのか」という3つの視点から検討します。
どの政策も、ナチス独自で考えたものではなく、既にドイツや他国で試みられていたものであること。各政策が、それぞれに適切な目的を持っていたこともあるが、次第に戦争へと利用されること。フォルクスワーゲンも、国民には1台もわたらなかったように、かけ声倒れが多かったことを、説明します。

ヒットラーと側近も、国民の支持を獲得するために、様々な国民向けの政策を、大胆に実施します。もっとも、それが持続し、成果を出すところまで行っていないのです。
誤解を恐れずに言うと、その目的や結果を別にして「既にドイツや他国で試みられていたものを、ナチスが大々的に実行した」ことは、評価されてもよいと思います。それができないのが、通常の政治ですから。「だから独裁政治が良い」とは言いません。

ブックレットなので、100ページあまりで、読みやすく、お勧めします。