カテゴリーアーカイブ:歴史

福井ひとし氏の公文書徘徊13

2026年6月1日   岡本全勝

アジア時報』6月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第13回「政党内閣に九片の「冰心」ありや?」が載りました。29ページもの力作です。
今回は、原敬内閣(1918年・大正7年組閣)の閣僚の紹介です。もう100年以上前のことになります。平民宰相、本格的な政党内閣です。朝敵の藩から立身出世するだけでなく、政党を取り仕切り、政権につく。並大抵のことではありません。

原首相と8人の閣僚とその功績を、公文書や新聞記事で紹介しています。よくまあ、こんなことを思いつき、たくさんの公文書を調べるものですね。感心します。盛岡市にある原敬記念館をも、調査しているようです。ここでも見たような・・・

この連載は、国立公文書館にある公文書を材料にして、歴史的事件などに立ち会った人たちの動きを紹介する「近代史読み物」です。役所は古代中国、律令国家以来、前例主義です。それがないときはどのように「切り抜けるか」。官僚の知恵が試されます。そして官僚は文書で仕事をするので、その過程が残っているのです。

意識の鎖国

2026年5月24日   岡本全勝

日本の投資の停滞」(4月20日)で、滝澤美帆・学習院大学教授の「日本は「イースト型」の経済成長を促せ」(4月2日の日経新聞経済教室)を紹介しました。そこには、次のようなことが書かれていました。
「日本の労働生産性(時間当たり)はこの30年間、主要先進国で最低水準にとどまり続けている。深尾京司・経済産業研究所理事長の研究によれば、1人当たり国内総生産(GDP)を基準に見ると、日本が技術フロンティアから著しく乖離した局面は鎖国下で産業革命に乗り遅れた江戸時代末期、太平洋戦争前後に続いて、1990年代以降が3度目だという」

日本が海外との交流をやめて「内向き」になった時代は、平安時代(中期以降、遣唐使船の停止)、江戸時代(鎖国)、戦時中があります。内に閉じこもると、それなりに安定した社会ができますが、外からの刺激と競争がないと残されてしまいます。
「失われた30年」は、これらと並べることができるかもしれません。
鎖国をしているわけではないのですが、特に国際化が進んだ現在では、海外で戦わないと地位が低下するのです。内に閉じこもった企業だけでなく、海外への留学生や旅行客の減少など。国民が「世界一になった」と満足したことで、海外との競争を怠ったように見えます。意識の鎖国です。第2の鎖国とも言えるかもしれません。

古代の朝鮮半島や中国との交流から始まり、南蛮貿易、明治時代と、文物や思想などを輸入することで、日本は発展してきました。それを考えると、平安時代、江戸時代、戦時中に続く、第4の鎖国なのかもしれません。
もう一つは、「先進諸国に追いつく」という「この国のかたち」が機能しなくなったことも挙げられます。目標・手本とすべき国や文明が明確でないのです。佐伯啓思先生「日本の方向を決めるのは」2

福井ひとし氏の公文書徘徊12

2026年5月1日   岡本全勝

アジア時報』5月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第12回「石油の国・ニッポン」が載りました。詳しくは、記事を読んでいただくとして。

20世紀は、石油の世紀でもありました。動力源が人力や家畜から石油に、エネルギーが木炭や石炭から石油に、そして電力の源も石油に、自動車の燃料として、さらに化学製品へと、世界の活動は石油に浮かぶようになりました。今回の記事は、石油の世紀の幕開けに対応した明治政府(の公文書)から始まり、太平洋戦争(この戦争は石油を確保する争いでもありました)、戦後の石油確保の苦労、そして石油危機へと、話が進みます。

若い人はご存じないでしょうが、1978年に起きた石油危機(第一次)は、それはそれは大変なものだったのです。私は大学1年生でした。トイレットペーパーがなくなることを想像してください。もっとも、トイレットペーパー生産が停止したのでもなく、国民がたくさん使うことになったのでもありません。業者が便乗して値上げを狙って、出荷を抑えたというのが真相のようです。街からネオンサインが消え、暗い夜になりました。ただし、戦時中の物資不足を経験した父と母の世代は、衝撃は少なかったでしょう。

今回のイランとアメリカの戦争で、石油や石油製品の品不足が心配されています。石油危機に懲りて、日本政府は石油の備蓄に取り組みました。そのおかげで、現在のところ、大きな影響は出ていないようです。石油があることが普通の生活になじんだ若者には、なかなか想像がつかないと思います。しかし、少し歴史を遡れば、よく似た事案があります。
世界には石油備蓄が少なく、困っている国もあるようです。日本も余裕ある備蓄があれば、融通することができるのですが。そこまではありませんかね。

最後に「油断大敵」の語源が紹介されます。油がなくなることではないのですね。いつものことながら、執筆者の博学博識ぶりと、公文書を漁ってくる努力には脱帽します。

昭和100年記念式典

2026年4月29日   岡本全勝

今日4月29日は、武道館で開かれた昭和100年記念式典に出席しました。式辞の後は、音楽演奏でした。これは良い企画だと思います。昭和と言えば「サザエさん」の主題歌かなと思いましたが、1曲目は「上を向いて歩こう」でした。最後はたぶん美空ひばりさんの「川の流れのように」だろうと思ったら、これは当たりました。
三波春夫、村田英雄、島倉千代子、谷村新司、山口百恵さんが出てきませんでした。あなたなら、どんな曲が思い浮かびますか。戦前戦中なら軍歌、戦後は、「ガード下の靴磨き」、高度成長期は「ああ上野駅」、「万博音頭」などを思い浮かべる人もいるでしょう。さまざまな苦労や楽しみがあったのです。
式が始まる前に、昭和時代の風景が写りました。しかし、式では、昭和天皇の肖像も出てこず、戦前、戦中、戦後、高度成長期の景色も出ませんでした。

昭和の64年は、前半の20年(戦前戦中)、後半の44年(経済発展)で大きく違います。そして100年というと、その後に平成と令和(停滞期)があります。
明治100年という区切りもありました。「明治百年記念式典」。1968年、東京オリンピック(1964年)と大阪万博(1970年)に挟まれた、高度経済成長のまっただ中でした。この年に西ドイツを抜いて世界第2位の経済大国になりました。1967年には人口が1億人を超えました。私は13歳、中学生でした。まだ世間がよくわからない子どもでしたが、世間では日本が100年かけて、世界の大国になったのだ、豊かになったのだという感慨があったのだと思います。
その明治100年に比べると、昭和100年は「どんな時代だったか」とは言いにくいです。あなたなら、何を思い浮かべますか。

その後、近くにある国立公文書館の「昭和の日本人とフロンティア―南極・深海・宇宙への挑戦―」へ。公文書の展示の前に、映像があります。NHKが協力したらしく、これは見応えがありました。お勧めです。5月24日までやっています。
南極探検のところで、置き去りにされ生き延びた犬(タロとジロ)の写真があります。ほかに、猫も行っていたのです。知ってましたか。

『リベラリズムとは何か』

2026年4月17日   岡本全勝

マイケル・フリーデン著『リベラリズムとは何か』(2021年、ちくま学芸文庫)を読みました。別の本を読んでいて、紹介されていたので、こちらを先に読みました。日本語では「自由主義」だと思います。
宣伝文には次のように書いてあります。
「政治理論の本流に位置し、現代において最も重視される思想であるリベラリズム。だが、その中身はどこか曖昧で理解しづらく、「リベラリズムとは何か」という問い自体が一つの争点であり続けてきた。ときに互いに矛盾する内容すらはらむ、この思想の核心はいったいどこにあるのか。本書では、「リベラリズム」という用語自体の歴史的変遷や思想的広がりを五つの層という視点から捉えなおし、そこに七つの中核的概念を見いだしていく」

この論点や分析について、本書の記述になるほどと納得しました。歴史的にどのように変遷してきたかが、よくわかりました。
第一は、君主権力からの解放と個人の自由の確保です。これが、リベラリズムの出発点・核となります。
第二に、市場において自由に経済活動をすることです。契約が尊重されます。
第三は、個人の個性の発展を促進するという考え方で、言論と教育の自由を重要視します。自由は固定的でなく、発展するものとなります。
第四は、第三をさらに発展させます。人間の発展への障害物がより広く認識されます。欠乏、疾病、無知、不潔、怠惰。これら障害物の除去です。国家は積極国家になります。個人と国家は切り離されたもの、対立するものではなくなります。
第五は、権力の分散から、集団の多元性へと転換します。性別、民族、宗教という分類が、否定・排除・無視されるのではなく、保護・参加になります。(本文はより難解なので、私なりに要約しました)

連載「公共を創る」で、西欧近代憲法から現代憲法へと哲学が変化してきたこと、日本国憲法が80年前につくられその後改正されていないこと、行政が現代憲法の思想に止まっていてその後の社会の変化・新しい課題に対応できていないことを論じています。この本を読んで、リベラリズム・自由主義の意味・意義が歴史的に変化していることを確認して、参考になりました。
例えば、イギリスの自由党が19世紀に支持を受け、20世紀になると凋落します。戦う敵、目指す社会像が変化していたのです。また、「進化」の過程で、それまでのリベラリズムの限界や問題、過ちが見えてきます。

政治思想は、その時々の社会課題に対応するために、内容を変えてきたのです。数学の定義はあらかじめ決まっていますが、政治思想はそうではありません。そして、対立する思想があって初めて、その意味が確定します。その点では、対立する思想との違いを説明してほしかったです。本書では、競合する他のイデオロギーからの挑戦を受けているとして、保守主義、ナショナリズム、社会主義、緑の政治、原理主義、ポピュリズムを挙げています(203ページ)。追加するなら、全体主義、独裁主義、権威主義などもあるでしょう。

ところで、リベラリズムを解説すると、ほぼ西欧の政治史になりますが、日本が出てくるか所があります。
38ページに次のような記述があります。「実際、「リベラル」というラベルを誇示する一部の政党はリベラル派とはほど遠い。その例が、日本の自由民主党であり、この政党は中道府は保守政党である」。
204ページには次のような記述があります。「現在、多くの保守的、社会民主主義的、ナショナリズム的、またはポピュリズム的(政治)システムー特にヨーロッパとアメリカ大陸の、またオーストラリア、ニュージーランド、インド、日本でもーにとって、立憲主義と法の支配を受け入れながら、明白ないし一義的にリベラルなイデオロギーを採用しないでいることは、ごく普通のことになっている」。
学問、特に輸入学問の世界に閉じこもった概念や議論で終わると、リベラリズムも国民の実践には結びつかないでしょう。「日本におけるリベラリズムの位置」

本文は220ページほどの文庫本なのですが、内容は大きかったです。読み終えるのに結構な時間がかかりました。原文が、特にその言い回し(構文)がそうなのでしょうか、日本語訳が「堅く」て、理解するのに少々難渋しました。
類書に、宇野重規ほか編『リベラリズム 基礎からフロンティアまで』(2026年、東大出版会)があります。