カテゴリーアーカイブ:歴史

福井ひとし氏の公文書徘徊16

2026年10月4日   岡本全勝

『アジア時報』10月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第16回「「大政翼賛会」の作り方―設立の手順と根拠」が載りました。

大政翼賛会と言っても、名前を聞いたことはあっても、どんな組織だったかは、多くの人は知らないでしょう。1940年10月、第二次近衛内閣の下で新体制運動の結果結成された国民統制組織です。ぎょうぎょうしい割には、何をしたのかよくわかりません。今回の論考を読むと、当初の意図とは異なり、尻すぼみになったようです。

行政学・行政法学的には、国家行政上どのように位置づけるのか、どのような根拠と手続きで作られたのか、興味深い事例のようです。詳しくはこの論考を読んでいただくとして、内閣の決定で作られるのですが、法律や勅令もない、不思議な位置づけの組織になります。

51ページに、第一回準備会の議事録で「女の腐つたようなことを言ひ合ふよりもこの場で心の底からお互に意見を吐露せねばならん(金光氏、憤然自席より「女の腐ったとは何だ!不謹慎極まる!」との発言があり、それに対して「取り消さぬ、断じて取り消さぬ」との応酬が載っています。こんなやりとりがあって、記録されているのですね。

ところで、漢文の素養が高い筆者です。末尾に「翼賛」の語源が出てきます。中国の三国志に出てくるとのことです。

東京駅前の再開発ビル

2026年9月21日   岡本全勝

東京駅前、と言っても八重洲口ですが、真ん前に再開発ビルができました。私も工事途中から時々見ていたのですが、なんとも奇妙な風景なのです。
建物本体は立派な高層ビルなのですが、入り口は狭く、両側に小さなビルが残っています。それが質屋と消費者金融で、見慣れたケバケバしい看板が出ています。周辺のビルも再開発で立派になったので、いかにも場違いな感じがします。残念に思います。街の風格を損ないますよね。強制的に買収に応じさせる方法はないので、買収金額の折り合いがつかなかったのでしょうか。入っている企業も、評判を下げると思うのですが。

『プレジデントオンライン』が「東京駅直結の超一等地に建つ新施設なのに…2400億円投じたトフロム八重洲に「消費者金融」と「質店」が並んだワケ」(9月16日)を載せていました。写真を見てください。

もっとも、少し東北方面(日本橋方面)に進むと、昔ながら雑然としたお店が並んでいます。少し進んだ先にある日本橋や京橋は、日本を代表するような立派な通りで、きれいなビルが並んでいます。八重洲口は再開発の途中なのです。街づくりは、長い目で見なければなりません。
さて、買収に応じなかった二つのビル、いつまでこの状態が続くのでしょうか。

福井ひとし氏の公文書徘徊15

2026年9月2日   岡本全勝

『アジア時報』9月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第15回「発車オーライ!──日本バス史点描」が載りました。

今回は、バスについてです。よくこんな話題を考えますね。鉄道ファンは多いですが、バスは・・・。
路線バスは、戦前は県庁(国の出先機関)の認可なので、多くの資料は県に、あるいは引き継いだ地方運輸局にあるのでしょうか。今回の記事は、国に残っている公文書を基に調べています。
冒頭に出てくる「田舎のバスはおんぼろくるま~」という歌は、私の子どものころに歌いました。覚えていた歌詞は違っていましたが。
9月20日がバスの日とは、知りませんでした。1903年のこの日に、乗り合いバスが初めて走ったのだそうです。京都でです。

東京都美術館、大英博物館日本美術コレクション展

2026年8月14日   岡本全勝

キョーコさんのお供をして、「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱〜海を越えた江戸絵画」を見に、東京都美術館に行ってきました。行列に並び、30分待ちでした。館内も混んでいました。それだけの価値のある内容でした。お勧めです。

これだけもの立派な絵画が、ロンドンで残されているのですね。国内にも、これだけそろえている美術館はないでしょう。イギリス人が、幕末維新のころに、これらを手に入れ、収蔵したのです。貧乏した社寺が売りに出し、当時はそんなに価値があると思われずに、海を渡ったのでしょう。でも、大英博物館にあるから、残ったのですよね。

「海を越えたふすま絵、約150年ぶりの再会」は、以前にニュースで見ました。元の所有者である談山神社は、明日香村(石舞台の横の道)を登った山の上にあります。立派な絵があったのですね。

「史観」がなくなった21世紀

2026年8月4日   岡本全勝

7月21日の読売新聞「歴史貫く「国民の物語」 失われた30年…「日本史はいかに物語られてきたか」 河野有理・法政大教授に聞く」から。
豊かさという「坂の上の雲」を目指し、坂を登り切った日本。成熟社会になって、次の目標を見つけられないでいる日本。私が「公共を創る」で主張していることと通じるものがあります。

・・・日本人は、自分たちを歴史の流れの中に位置づけられなくなっているのではないか――。政治思想史が専門の法政大教授・河野有理氏は、新刊『日本史はいかに物語られてきたか』(新潮選書)をまとめ、そんな不安を抱いたという。

河野氏は本書で、坂本多加雄や山本七平、司馬遼太郎、松本清張、吉本隆明ら、戦後の学者や作家ら20人の、それぞれの歴史の見方(史観)を論じた・・・見えてくるのは、多様な史観が競合していた思想空間の豊かさだ。その背景として河野氏が挙げるのは、戦前にあった二つの「正史」の喪失。天皇を中心とする史観と、経済が歴史を動かすと考える共産主義的な史観(史的唯物論)で、それらの重しがなくなった分、自由に語れるようになったのだと見る。
だが、21世紀に入ると、国民の歴史への関心は依然として高いままなのに、史観がほとんど出されなくなったという。本書でも論じられる百田尚樹氏の『日本国紀』(2018年)は、史実を淡々と記す一方、特に前近代では物語に不可欠なキャラクターがおらず、歴史の因果関係や時代区分にもほとんど関心が払われていないことを指摘。歴史を貫く物語や史観がないと結論付けた。

史観がなくなった大きな理由の一つとして、冷戦終結後、左派中心の学界では、国民国家単位の歴史を等閑視する風潮が強まったことを挙げる。国民の物語よりマイノリティーへの注目が大切だとの理屈だ。
一方の右派は、冷戦終結後、日本が歩むべき道があやふやになり、歴史の中のどこに自分たちを位置づければいいか分からなくなり、危機感を抱いたという。それが、新たな国民の物語を目指した「新しい歴史教科書をつくる会」の結成(1997年)につながったと説明する。
だが学界はその動きを激しく批判し、突き放した。河野氏は、「つくる会」の危機意識は振り返れば的を射ており、貴重な問いかけだったと指摘。「左派も日本という国を前提に物事を考えており、物語を持っている。だから、よりまっとうな物語について、左右が議論すべきだった」
前後して、学問の細分化・専門化も進行。「エビデンス志向」が強まり、事実誤認がSNSなどで徹底攻撃されるようになった。その結果、学者や作家が専門以外の分野に言及するのを避けるようになり、史観や通史も語られなくなった・・・

・・・なぜ物語が重要なのか。それは、自分たちが背負っている物語は、国としての行動原理、ビジョンそのものだからだ。「個人でも会社でも、ビジョンがなければ決断は常にその場限り。『失われた30年』は、多くの国民が合意できる物語づくりに失敗した30年でもあった。皇室の維持について真剣に議論している今は、生産的な議論をする好機でもあると思う」・・・