「歴史」カテゴリーアーカイブ

如月の望月に桜は咲いたか2

如月の望月に桜は咲いたか」の続きです。
友人の古文の先生に聞いてみました。次のような回答をもらいました。なるほど、写実の世界ではなく、願望の世界なのですね。

・・・西行は、この歌を少なくとも、亡くなる三年前には詠んだようです。
西行が亡くなったのが1190年2月16日、この歌へのコメントが載せられている歌合せの記述があり、それは1187年のものらしいです。西行の切なる願いが歌われたものととらえられます。

そして、2月15日は、釈迦入滅の日とされている日だということが大きいのではないかと思われます。出家をした西行がお釈迦様にあやかってと思うのは想像に難くないです。
また、春は1月、2月、3月で、2月15日は、春のど真ん中。中秋の名月も秋のど真ん中、旧暦8月15日、かぐや姫もこの日に月の都に帰ったのだろうと思わせます。

実際の山桜の咲き誇る状態とは別に、お釈迦様にあやかり、春のど真ん中にあの世に行きたいという西行の心が詠まれていると考えるのはいかがでしょうか・・・

国立西洋美術館、梶光夫さんの西洋七宝展

先日の休日に、上野の博物館をハシゴしてきました。桜も見頃で、大変な人出でした。

一つは、国立西洋美術館です。サンディエゴ美術館所蔵の西洋絵画展です。なかなかよいものを、集めています。元をたどると、中世・近世の西洋の寺院や金持ちが持っていたものが、売りに出されたり取られたりして流失した後、美術館に入ったのでしょう。

別に、「梶コレクション展―色彩の宝石、エマーユの美」もやっていたので、どんなものか見ました。エマーユとは、西洋の七宝です。きれいな、細かく手の込んだ作品が、たくさん並んでいました。梶光夫さんが一人で集められたとのこと。

ん? 梶光夫さんとは、聞いたことがある名前だなあ。「青春の城下町」の梶光夫さんと同名。若い人はこの歌を知らないでしょうが、私が子どもの頃に流行った歌です。昭和39年、東京オリンピックの年です。
私の好きな歌の一つです。♪流れる雲よ城山に 登れば見える君の家 灯りが窓にともるまで 見つめていたっけ会いたくて~。歌詞も旋律もよいですねえ。
梶さんは歌手をやめて、宝石商を継がれたと聞いていました。家に帰ってインターネットで調べたら、やはり同じ人でした。

と書いていたら、11日付けの日経新聞文化欄にご本人が書いておられました。
東京芸術大学美術館の「相国寺展」もよいですよ。

福井ひとし氏の公文書徘徊

アジア時報』4月号に、福井ひとし氏の「連載 一片の冰心、玉壺にありや?――公文書界隈を徘徊する」の第1回「一五〇年に一度だけ、摂政設置の詔(御署名原本周辺)」が載りました。詳しくは、記事を読んでいただくとして。

「一片の冰心、玉壺にありや」とは、難しい表現ですが、唐の王昌齢の詩に基づいた言葉だそうです。唐詩と公文書の関係は、本文を見てください。筆者の学識と意図がわかります。

今回の話は、1921年(大正10年)に書かれた「摂政設置」の公文書を扱っています。大正天皇がご病気になられ、皇太子(後の昭和天皇)が摂政になります。では、その決定は、どのようになされるのか。大正天皇が御病気で指名・署名できない(できないから摂政を置くんです)となると、皇太子が行いますが、すると自分で自分を摂政に任ずることになります。ほんとにそれでいいのか。法的な根拠は? 筆者だけでなく、当時のやんごとない人たちも心配していたようです。牧野宮内大臣たちはどう説明するのか。
今回は、それだけでなく、もう一つの事件が絡んできます。摂政設置準備を進めていた原敬首相が、突然暗殺されるのです。摂政設置作業はどうなってしまうのか。
二つが絡むので、この文章は難しいですが、それなりにスリリングです。お楽しみください。

最後に、略歴が載っています。現在は国立公文書館首席研究官です。「役人時代、国会予算委員会で答弁、総理と米大統領を先導、両憲法の原本と毎日一緒に暮らしている、のが人生三大レガシー」とのことです。
挿絵も、本人が書いているとのことです。

『日本漢字全史』

沖森卓也著『日本漢字全史』(2024年、ちくま新書)を読みました。
宣伝には、次のようにあります。
「古代における漢字の受容、漢文・漢語の定着と万葉仮名の展開、中世の漢字・漢文の和化、和漢混淆文と字音の独自変化、江戸時代の漢学・漢字文化の隆盛、そして近代以降の漢字簡素化・字形整理」

すぐに読めると思ったのですが、内容の濃いもので、時間がかかりました。関心ある方には、お勧めです。
ところで、室町時代や江戸時代に、庶民はどの程度、漢字を読めたのでしょうか。

中国では、漢字については、このような内容の歴史は書けないでしょうね。音韻の変化はありますが。日本のように、全く違う言語(日本語)に受容して、それを飼い慣らした歴史はないからです。
漢字を音読みして事物を示すこととともに、訓読みして日本語に漢字を当てるということをしました。偉大な発明です。もっとも、それで漢字の書き方だけでなく、音読み、訓読みを覚えなくてはなりません。さらに人名訓もあります。「頼朝」と書いて「よりとも」と読むのは、音でも訓でもないです。
日本では、漢字を受容したから、ひらがな、カタカナも生まれたのですが。もし、漢字を受け入れていなかったら、何かしら表音文字をつくったのでしょう。
漢字を輸入することは、文字だけでなく、思想や制度を輸入することでした。その点では、効率的な方法を使ったものだと思います。また、慣れているからでしょうが、漢字交じりの文章は、ひらがなだけの文章より、早く読むことができ、意味を理解できます。

ところで、日本における漢字の将来は、どのようなものになるのでしょうか。
日本は、千年以上続いた中国と漢文の受容から、欧米と英語の受容に切り替え中です。
私は、いずれ英語が共通語(日本だけでなく世界で)になり、日本語が古語になるのではないかと想像しているのです。楽しくない予測ですが。

ご飯にふりかけ

3月15日の朝日新聞別刷りに「ふりかけ」が載っていました。

・・・あつあつご飯にふりかけると、何杯でもぺろっと食べられちゃう? そんな「ふりかけ」がじわりと人気を集めています。サケ、梅といった定番から、ポテトチップスや焼き肉の風味を再現したものまで、味も食感も日々進化しています。日本では嗜好(しこう)品になりつつありますが、栄養を補う食べ物として海外から注目も。好みの味を探してみてはいかがでしょう・・・

・・・鮮やかな黄色が特徴で、ふりかけの代名詞ともいわれる「のりたま」(丸美屋食品工業)。今年、65周年を迎えた。1960年の発売当時、のりやたまごはぜいたく品で、旅館の朝食をヒントに、家庭で手軽に味わってもらいたいと開発された。ふりかけは魚を主原料としたものが中心だったため、たまごを原料にしたものは新しかったという。
8回のリニューアルを経て、いまでは国内向けに1日10万袋、年間で7・2億食(1食あたり小袋2・5グラムとした場合)製造されている。売り上げ(数量ベース)は2024年までの24年間で約2倍になった。

勢いがあるのは「のりたま」だけではない。調査会社の富士経済によると、ふりかけ販売量は13年の1万5530トンから、23年は1万7200トンに。一方、農林水産省によると、米の1人当たりの年間消費量は13年度の56・8キロが23年度は51・1キロ(概算値)に減った。米消費の減少にもかかわらず、ふりかけ消費が増えたのは、物価高騰でおかずを控え、ふりかけに頼るケースが増えているためとみられている・・・

へえ、ですね。お米の消費量が減っているのに、ふりかけの消費量が増えているとは。食材の高騰の余波だと、考えものですが。
私も子どもの頃、「のりたま」をかけて食べた記憶があります。私が5歳の時に売り出されたのですね。ほかに、海苔の佃煮「磯じまん」とか「江戸むらさき」も。おいしかったです。食卓には「味の素」も乗っていたような。しかし、中学生の頃には、これらは食べなくなったと思います。ほかのおかずが増えたのかなあ。