カテゴリーアーカイブ:歴史

100街道を歩く

2026年4月11日   岡本全勝

4月10日の日経新聞文化面に、長澤純一さんの「100街道踏破まであと一歩 9000キロ歩き続け、歴史を追体験」が載っていました。肩書きに「元総務省職員」とありますが、自治省の先輩です。

・・・お江戸日本橋と京の三条大橋を結ぶ東海道、松尾芭蕉がたどった奥州道中――。日本全国の街道を25年以上かけて歩き続け、あと1つで100街道踏破を達成するところまで来た。
きっかけは26年ほど前に遡る。赴任先の福岡県で副知事を務め、激務の日々が続いた。その上、単身赴任は寿命を縮めるという。健康のためにも積極的に外を出歩いていた。そんな時に地元紙で「唐津街道を歩く」という催しを見つけた・・・

かつての街道を歩いておられます。明治時代の地図を頼りに、長い行路は何度かに分けてです。目的地に急ぐのではなく、道ばたの史跡や景観を楽しみながらです。すでに9000キロを歩かれたとのこと。「百街道一歩の道中記
100街道は、長澤さんが選んだようです。文化庁が選んだ「歴史の道百選」はありますが。百名山のように有名になるかもしれません。

吉田徹著『ミッテラン』

2026年4月10日   岡本全勝

吉田徹著『ミッテラン 現代フランスを率いた理想と野望』(2026年、中公新書)を紹介します。帯には「戦後フランス初の左派大統領」「高貴にして卑俗なる人生」とあります。
著者は「まえがき」で、この本の二つの趣旨を述べています。政治には、政治家(ステーツマン)と政治屋(ポリティシャン)がいます。しかし政治家も、汚い手を使ってでも選挙に勝たなければ、また政敵を蹴落とさないと、政治家として政策を実現できません。高貴さと卑俗さとを併せ持っています。ミッテランは、その二つを体現していました。
もう一つは、ミッテランの人生を追うことで、フランスの政治史、世界の政治史を学ぶことができるからです。

ミッテランの政治活動は、3つの時期に分けることができます(228ページ)。
第一は、1946年に始まる第四共和制で、戦時中のレジスタンス活動組織化の手腕が買われ、最も若い閣僚として将来を嘱望された時代。しかし、1058年の第四共和制崩壊とともに、不遇の時代に入ります。
第二は、長い時間をかけた、復活の時代です。瀕死の社会党を復権させ、1981年の左派政権へと実を結びます。
第三は、1981年から95年までの二期14年にわたる大統領時代です。しかし、意図していた社会主義は、国際政治と国際経済の中で実現することができず、国家の舵取りに苦労します。

こんな波乱な人生を過ごしたこと、政権を取るまでの苦労を知りませんでした。政治とは、かくも過酷な人生の仕事です。勉強になります。お勧めします。

また「あとがき」で、次のように述べています。
「本書が目指すところは3つあった。ひとつは当然ながら、フランスの一時代を築いたフランソワ・ミッテランという人物がいかなる存在であったかを、過不足なく伝えること。2つ目は、彼の存在と、時代によって異なる力学のもとに置かれるフランスの政治と社会の相互作用を描くこと、最後には、この2つを通じて、フランスという国の20世紀後半の足跡を辿るとともに、政治という、不可思議な営みの本質を探ることである」
この目的を十分に達成していると思います。伝記はしばしば分厚い本になりますが、えてしてその人の人生を追うことに終始しがちです。新書という分量で、著者が掲げたこれらの目的を達成することは難しいことです。

220ページの8行目。「昭仁天皇」とありますが、現在の上皇陛下をさすのなら「明仁天皇」ではないでしょうか。

福井ひとし氏の公文書徘徊11

2026年4月2日   岡本全勝

アジア時報』4月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第11回「雪のむら消え(下)―文官たちの「二・二六」」が載りました。詳しくは、記事を読んでいただくとして。

二・二六事件の裁判記録。松本清張さんも、もう現存していないと考えていた資料が、国立公文書館に残っているのです。GHQに接収された後、厚生省を経て、法務省に渡され、それが後に発見されます。
裁判といっても通常の裁判所ではなく、陸軍の軍法会議です。なるほど、陸軍内に検事役や裁判官役がいたのですね。今回の記事は、それを丹念に追っています。

今回は、民間人が対象です。北一輝と西田税は思想的主導者として死刑になりますが、それ以外にも関わった民間人がいたのです。特に、亀川哲也さん。聞いたことのない名前ですが、暗躍しています。ほかに、日立創業者・久原房之助、明治大学総長・鵜澤総明、共産党書記長・徳田球一、柳家小さん師匠、津雲国利さんなどが出てきます。
25ページにわたる力作です。

美術館、日本の特徴

2026年3月28日   岡本全勝

3月9日の日経新聞に「「日本のモナリザ」どこ? 名品乏しい常設展、国は文化財通年公開へ」が載っていました。

・・・ルーヴル美術館の「モナリザ」鑑賞はパリ観光の王道ルートだが、日本では観光客にとっての「定番」が乏しい。目玉となる作品が短期間しか公開されていないのが一因だ。文化庁は2027年度までに国立美術館の所蔵品を原則通年展示にする方針だ。ただ日本の文化財は傷みやすい素材も多く、保存と活用のバランスが課題となる・・・

記事では、アムステルダム国立美術館の「夜警」、ワシントンナショナルギャラリーの「散歩、日傘をさす女性」などが常設展示され観光資源となっているのに対し、日本では、俵屋宗達「風神雷神図屏風」(京都国立博物館)、草間彌生さんの作品群(国立国際美術館)など海外の愛好家も多い作品が通年展示されていないことが指摘されています。

記事にも書かれているように、これには次のような背景もあります。すなわち、日本の博物館や美術館では目玉の作品を常設展示するのではなく、海外の著名な作品を呼んできたり、ある芸術家の作品を集めた企画展が多いのです。これは、日本に居ながらにして世界の名品を見ることができるという利点がありますが、海外からの訪問客には受けませんね。

ここにも、明治以来、海外の文物を輸入してきた日本の姿が見えます。博物館はそれを紹介する機能・場だったのです。
先日、東京国立近代美術館の下村観山展に行きましたが、良かったです。そして、外国からのお客さんも多かったです。
もっと自信を持って、日本の作品を海外客に見てもらいましょう。日本の美術品を海外の人に見てもらうのは、立派な「輸出産業」であり、日本の地位を引き上げるもの(ソフトパワー)です。フランスなどに負けない文化立国を目指したいものです。
他方で、過去の日本文化を誇るだけでなく、未来に何を残すかも課題です。

墨の生産量、80年で3%に

2026年3月22日   岡本全勝

3月5日の読売新聞夕刊「伝承のサイエンス」は「奈良墨 黒の秘密 小さい芯・炎から良質の煤」でした。

・・・1400年前の飛鳥時代に中国から朝鮮半島を経て製法が伝わったとされる墨。神社仏閣の多い奈良では伝統的に墨の需要が高く、今では全国の固形墨の9割以上が奈良県で生産され、「奈良墨」は国の伝統的工芸品に指定されている。その原料に科学の光を当て、墨への理解を深める取り組みが行われている。
墨は610年に朝鮮半島の僧・曇徴が日本に初めて製法を伝えたとされる。写経や文書の作成、学問に欠かせず、奈良の地で墨作りが発展した。興福寺(奈良市)の灯明を使って作った墨は、黒みが強く光沢を放ち、高い評判を集めた。
昔ながらの固形墨は、菜種油や松材などを不完全燃焼させた時に出る黒い微粒子の凝集「煤(すす)」と、動物の骨や皮を煮出したコラーゲンなどを含む天然の接着剤「膠(にかわ)」を、10対6ほどの割合で混ぜて作る。香料を加えて練り、型に入れた後、数か月かけて乾燥させる・・・・

詳しくは記事を読んでいただくとして、私が気になったのは次の文章です。小学校と中学校では書道を習いましたが、その後は筆を使いませんねえ。
・・・奈良製墨組合によると、1935年に2265万丁(1丁=墨15グラム)だった固形墨の生産量は2013年に70万丁となり、たった80年で3%にまで落ち込んだ。書道人口の減少に加えて手軽に使える液体墨の普及が拍車をかけ、組合員数も減少した・・・