カテゴリー別アーカイブ: 歴史

16世紀スペイン衰退の理由

J・H・エリオット著『スペイン帝国の興亡』(1982年、岩波書店)。スペイン旅行をきっかけに、本の山から発掘し読みました。上下2段組、430ページの本なので、布団で読むには3週間近くかかりました。読み物としては易しく読めるのですが、1469年から1716年までの250年の歴史であり、知らない人名がたくさん出てきて、こんがらがります。

どうしてスペインが世界一の大国になり、どうして没落したか。この本も、それを追った本です。スペインが領土を広げたのは、婚姻と相続です。それらを、相続や独立などで失います。
次に、スペイン本国、カスティーリヤの没落についてです。本書は、各地方の権力が強く、王政を強くする中央集権の試みが挫折したことに、焦点を当てています。また貴族たち特に大貴族と教会の力が強く、王が意向を通すことができません。経済的にも、貴族や教会が土地と農民を支配するとともに、農業や産業の振興に力を入れません。中世の大国が、近世の国家に転換できなかったことに、没落の原因があるようです。

大国の興亡は、経済力、軍事力などに理由があるようですが、地理的、自然的条件だけでなく、国民の意識や政治による舵取りも重要な要素です。本書はその点も指摘します。第8章栄光と苦難に、次のような分析が書かれています(334ページ)。黄金時代と言われたフェリペ2世(在位1556年-1598)から衰退したフェリペ3世(1598年-1621年)の時代です。

絹産業で栄えたトレド市は、経済発展を持続するため、リスボンまでタホ川を航行可能にしようと試みます。途中まで完成したのですが、放棄されます。技術的な問題などもあったのですが、決定的な理由は、セビーリャ市の反対です。彼らが行っているトレドとリスボンの商取引が脅威を受けるからです。これ以外の計画も、個人間や都市間の対立を乗り越えることができず、公共事業への投資の消極性、そして行動する意欲を奪う無気力が指摘されています。

「何を提案しても採用されないから、やめておこう」「今のままでも問題ない」という閉塞感と無力感は、日本のいくつかの職場でも聞く話です。

「先の大戦」、内容と名称

10月2日の日経新聞夕刊、斉藤徹弥・編集委員の「「新しい戦前」に必要な思考 多面的で柔軟な外交が重要」に次のような話が載っています。

・・・筑波大学名誉教授で国立公文書館アジア歴史資料センター長の波多野澄雄さんは「先の大戦は4つの異なる戦争が重なったものだ」とみています。
まず日中戦争です。1937年から45年まで戦った一番長い戦争です。2つ目は日米戦争で、太平洋を舞台に多くの犠牲者を出しました。3つ目が東南アジアでの日英戦争です。フランスやオランダを入れてもよいでしょうが、東南アジアの独立に影響を及ぼしました。最後が45年8月から1カ月弱の日ソ戦争です。

先の大戦は、多大な犠牲を払い、あらゆる人に影響を与えました。その教訓も多岐にわたり、理解するのは容易ではありません。このように戦争を4つに分けて考えれば、それぞれの戦争の目的や被害、残した負の遺産などを考えやすくなるでしょう。戦争を多面的にみることができるようになるかもしれません・・・

4つに分けるのは、わかりやすいです。
では、全体を何と呼ぶか。「先の大戦」と呼びますが、悩ましいです。「第二次世界大戦」は日本がアジアで行った戦争だけでなく、ヨーロッパでの戦争を含みます。
当時の日本政府は1941年(昭和16年)に始まった戦争を「大東亜戦争」と呼び、その前に始まった日中戦争は「支那事変」と呼んでいたようです。戦後は「太平洋戦争」が使われるようになりましたが、これは対米戦争を表す言葉でしょう。

永遠の都ローマ展

先日、キョーコさんのお供をして、東京都美術館の「永遠の都ローマ展」に行ってきました。展示されている彫刻などは素晴らしく(複製もありますが彫刻の場合は、鑑賞するには問題ないですね)、なかなかのものでした。
目玉であるカピトリーノのヴィーナスのほか、カピトリーノの牝狼(歴史の教科書に出てきます)、コンスタンティヌス帝の巨像の頭部(写真で見たことはありますが、こんなに大きかったのですね)・・・。

もっとも、「永遠の都ローマ展」と銘打っていますが、カピトリーノ美術館展という方が正確でしょう。古代ローマから近世までの歴史をたどったもの、全貌を紹介する展示ではありません。
中世の教皇や貴族たちが集めた古代ローマの美術品。ローマ教会にとっては異教の品々です。それに気がついて教皇が手放して、ローマ市に寄贈したのが、美術館の起源のようです。ともあれ、現代に伝わったことはよかったです。ヴィーナス像は、地中に隠され、ずっと後になって掘り起こされたとのこと。だから、保存されたのですね。

見た後は、いつものように美術館の食堂で昼ご飯を食べました。ゆったりとした気分で、心地よい時間でした。室内を見渡すと、ほぼ満席。
で、男性は1割ほどで、残りは女性客です。お店の従業員に「男性客はこんなに少ないのですか」と聞いたら、「ええ」と笑っておられました。

フリーランスの語源

9月13日の朝日新聞文化欄「牟田都子の落ち穂拾い」「肩書ひとつに宿る自分」に、フリーランスの語源が載っていました。
「中世ヨーロッパで、主君を持たず自由契約によって諸侯に雇われた騎士」で、ランス(lance)は騎士の持つ槍です。
なるほど。

日本では、「包丁一本 さらしに巻いて 旅に出るのも 板場の修行~」ですかね。この歌は、藤島桓夫さんの「月の法善寺横町」ですが、若い人は知らないでしょうか。

二つの東京オリンピック

9月8日の朝日新聞夕刊、來田享子・中京大教授・日本オリンピック委員会理事の「研究してきた五輪、どう変える」から。

「1964年の東京大会が日本の国際社会への復帰を象徴する出来事であったのに比べ、21年の大会は国際社会に立ち遅れている日本を象徴する祭典でした。昭和の高度経済成長期を回顧し、21世紀に入っても、その郷愁を核にした幻影を追い求める感覚が随所にみられたのは、残念でした」

具体例で挙げるのが、16年リオデジャネイロ五輪の閉会式。次回の開催都市である東京に引き継ぐ「フラッグハンドオーバーセレモニー」で当時の安倍晋三首相が人気ゲームのキャラクターに扮して登場した。64年大会で生まれた東京五輪音頭のリメイク版もいかにも焼き直しに感じたという。
「新しい時代の扉を開こうとする感性の欠如に加え、若い世代の倫理観にもとづいて物事を進める意識が乏しかった」

なぜ、そんな風になってしまったのか、についての考察は明快だ。
「上意下達的な組織、そして時代を的確にとらえるリーダーの不在です。組織のガバナンスやコンプライアンスの国際基準、時代や社会の変化に伴って変わるオリパラの理念をつかめていませんでした」