カテゴリー別アーカイブ: 歴史

国立公文書館「江戸時代の疫病」

国立公文書館で、企画展「病と生きる―江戸時代の疫病と幕府医学館の活動―」が開催されています。先日見に行ってきたのですが、これは勉強になります。12月17日までです。無料です。関心ある方はお運びください。

庶民も幕府も、病気、特に伝染病にはとても敏感でした。病気によってはかなりの確率で死ぬのですから。今だと「?」と思うような、予防法や治療法もあります。薬も、ええ加減ですね。
歴代将軍が疱瘡にかかった年月も記録に残っています。そして、西洋医学への関心も高かったのです。

展示されている資料には、幕府の文書のほかに、民間の記録や個人の記録もあります。明治政府は、このようなものも集めたのですね。

「きょうの料理」に見る社会の変化

11月2日の日経新聞文化欄に「「きょうの料理」は旬の盛り 1万5500回でギネス世界記録」が載っていました。
・・・四季折々の食材を使って、毎日の献立に役立つヒントを届けるNHKの番組「きょうの料理」。1957年11月4日の放送開始からまもなく66年目に入る。「テレビ料理番組の最長放送」としてギネス世界記録に認定され、今年10月に認定証をいただいたばかりだ・・・

そこに次のような文章があります。
・・・洋食が憧れだった1950年代から、核家族化で「正月料理」企画が反響を呼んだ60年代を経て、「健康・減塩ブーム」「男の料理」「つくりおき」「SNS映え」など時代に応じてレシピを提案してきた。5人分だった材料表示は65年に4人分となり現在は2人分。梅干しの塩分は20%から5%になった・・・

たぶん「レシピ」という言葉も、かつては「調理法」「献立」だったでしょう。

再読『リシュリューとオリバーレス』2

「再読『リシュリューとオリバーレス』」の続きです。
長期の目標と短期の対策。改革には、反対がつきものです。それを乗り越えないと、目標は実現できません。二人の目標は、それぞれの国を強国とすることです。そのためには、軍隊を強くする前に国家機能を強化し、経済を発展させ、国民を豊かにする必要があります。

しかし、貴族や教会と地方が大きな力を持っていて、中央集権は完成せず。スペインにあっては、スペインの名の下にある各独立国家を束ねる苦労もあります。政府幹部の貴族は既得権益を確保することに躍起になり、役人は言うことを聞きません。財政は破綻状態にあり、借金を重ねます。敵国と戦う前に、国内の敵や政治構造、経済構造、社会風土、伝統などと戦う必要があります。

そして勝者か敗者かを判断する際に、当時の結果による判断とともに、後世への影響をも考えると、さらに難しくなります。スペインが新世界から獲得した金銀などの財を、産業発展に投資せず、文化野生活などに費やして(浪費して)しまったことをどう評価するか。指導者たちは気がついていたのか、近代経済学を学んだ私たちの後知恵による評価なのか。

英雄を主人公にした歴史小説は、主人公が成功を重ね、敵に勝つ場面を痛快に描きます。しかし、現実はそのような簡単なものではありません。味方と敵との戦いだけでなく、述べたような「所与の条件」の足かせがあるのですが、それを描くのは難しいですし、楽しく読める小説にはなりませんわね。

私だったら、どう判断するか。当時の背景や事実を知らないので、深く考えることはできないのですが。そのような観点から考えると、この本は政治家にとって有用な教科書です。
と書いていたら、本の山から、色摩力夫著『黄昏のスペイン帝国―オリバーレスとリシュリュー』(1996年、中央公論社)が発掘されました。

再読『リシュリューとオリバーレス』

『リシュリューとオリバーレス―17世紀ヨーロッパの抗争』を、もう一度読みました。『スペイン帝国の興亡』を読み、やはりもう一度読もうと思いました。「16世紀スペイン衰退の理由」。前回は、2017年に読んだようです。「歴史の見方」。その本が見当たらないので、図書館で借りました。

読み終わって得た知識と読後感は、前回書いたものと同じです。すなわち、すっかり忘れていたということです。寝る前のお気楽な読書として読んでいるので、仕方ないと言えばそれまでですが。情けない。

この本も、スペインの衰退の原因は何かという観点から、読みました。産業などの国力、国の政治構造、戦争などの他国との駆け引き、指導者の役割など、さまざまな要素が絡み合います。
著者であるエリオット教授も、最終章「勝者と敗者」で、フランスの隆盛を導いたリシュリューを勝者と、スペインの没落を招いたオリバーレスを敗者と見る通念に疑問を呈します。両者の勝敗は、紙一重であったと主張します。
20年間にわたって両国の政治指導を担った二人が、どれだけのことをしたのか。どれだけのことができたのか。

二人の目標は、それぞれの国を大国として、国王を立派な君主とすることです。
しかし首席の大臣とはいえ、権勢を振るうことはできません。それぞれ国王の信頼をつなぎ止めることに苦労し、足を引っ張る勢力と戦います。
現在の民主政治の指導者と同様に、思ったことを自由に実現することはできないのです。経済産業、国民の気質、政治構造といった「所与」の条件の上で、国王・貴族・役人・外国などとの「政治操作」を行います。二人とも苦労を重ね、妥協し、しばしば挫折します。この項続く。

「先の大戦」、内容と名称2

「先の大戦」、内容と名称」の続きです。
読者から、『決定版大東亜戦争』(下)、庄司潤一郎執筆第13章「戦争呼称に関する問題―先の大戦を何と呼ぶべきか」を教えてもらいました。別の著者からいただいていたのが本の山にあったので、早速、その章だけ読みました。

36ページにわたる、詳しい解説です。
当時の政府が大東亜戦争と名付け、占領軍がその名称を禁止したこと。それを避けるために、太平洋戦争という名称が使われ始めたこと。しかしそれでは、それ以前に始まっていた中国での戦争が含まれないこと。左翼系研究者から15年戦争との名称が提起され、その後、アジア・太平洋戦争という名称が生まれたことなどです。
地理的にどこを含むのか、時間的にどこまで含むのか。名称をつけるとして参戦国を入れるのか、戦争目的をどう理解するのか、そして歴史的にどのように位置づけるのか。論者によって意見が異なります。

とはいえ、政府がいつまでも「先の大戦」と呼び続けるのは問題でしょう。しかし、難しいですね。国民や識者に意見の違いがあり、それはそれとしつつ名称をつけるしかありません。それをどのような手順できめるのか。政治的、行政的に類例はありますかね。文科省が検定する教科書での記述が、一つの参考になります。

私はその点で、「新型コロナウイルス」という名称もおかしいと考えています。次に、新しい新型コロナウイルスが広まったときに、どのような名称をつけるのでしょうか。こちらの方は、学者に決めてもらったら良いと思いますが。