第一原発視察

今日は、東京電力第一原発(正確には元原発ですかね)の作業を視察してきました。昨年は春(2017年3月17日)に行ったので、1年半ぶりです。
私の仕事の範囲は、原発敷地の外の復興です。とはいえ、原発敷地内でどのような作業が行われているか、どこまで進んだかを知っておく必要があります。しかし、視察に行くと、現場作業の邪魔になります。近年は、現場も落ち着いてきたので、1年に1度の頻度(その前2016年9月8日)で、視察に行っています。

現場は、がれきも片付き、作業棟も新築され、事故現場から通常の作業場になりつつあります。東京電力のホームページ7分間の動画。96%の区域は、作業服だけで立ち入ることができます。最初の頃は、食堂もなく、弁当でした。
いまも、毎日4000人を超える作業員が働いています。夏は暑くなるので、早朝から作業を始め、昼はお休みにしているそうです。ただし一部の区域ですが、作業中は水も飲めない・トイレも行けない作業場所があります。
私たち視察者の着替えも大げさでなくなり、手袋や長靴の履き替えも、簡単になりました。面体(顔を覆う透明カバー)をつけなくて良いのは、楽です。最初の頃に比べると、隔世の感があります。

今日一緒に行った復興庁の職員たちは、ほとんどが第一原発に入るのは初めてです。そうですよね。職員も入れ替わります。若い人たちにも、この事故の経験を知ってもらうことも重要です。

仏像と近代日本人

多川俊映著『仏像 みる・みられる』(仏像を見る、仏像に見られる)に触発されて、碧海寿広著『仏像と日本人-宗教と美の近現代』 (2018年、中公新書)を読みました。
明治時代から現在までの、日本人と仏像との関わり方を、分析した本です。切り口が鋭く、よく整理されていて、名著だと思います。仏像の分析ではありません。仏像の社会学と言ったら良いでしょうか。仏像や古寺ファンの方には、お勧めです。

信仰の対象だった仏像が、美術品となっていきます。写真となって、流布します。それは、御札(おふだ)ではなく美術品としてです。そして、一部知識人の鑑賞の対象から、一般人の観光の対象になります。修学旅行の定番となります。お寺ではなく、博物館で見ることが多くなります。
信仰の対象であった時代には、秘仏として、参詣者が見ることができない場合でも、仏さまは仏さまでした。見ることができないほど、ありがたいものです。しかし、美術品、観光の対象となると、見ることができない仏像は、対象となりません。

しかし、私たちは、お寺で仏像を見た時、単なる彫刻に対してとは違った思いを抱きます。ミロのビーナスやダビテ像を見る時とは、違った気持ちになります。
仏像を見る、仏像に見られる2」の記述で、私たちは仏様の目を見て、仏様の目を通して自分を見ると述べました。仏像写真家として有名な土門拳さんと、入江泰吉さんの言葉が紹介されています。

・・・ぼくは被写体に対峙し、ぼくの視点から相手を睨みつけ、そして時には語りかけながら被写体がぼくを睨みつけてくる視点をさぐる・・・土門拳、p159

入江泰吉さんが秋篠寺で伎芸天を撮影しようとした際のことです。ライトでは見えない仏様の表情が、ろうそくの明かりの前に現れます。
・・・そこでわたしは、灯明やローソクの明かりで仏像を仰ぎ見ながら祈りをささげた昔の善男善女の目にこそ仏像本来の慈悲のすがたが映ったのではないかとかんがえました・・・入江泰吉、p164

政治への信頼

9月3日の日経新聞オピニオン欄、ファイナンシャル・タイムズのジャナン・ガネッシュさんによる「米の政治不信、発端は」から。

・・・米調査機関ピュー・リサーチ・センターによると、1960年代までは米国民と指導者の間にはべったりと言っていいほどの信頼関係があった。ジョンソン大統領がベトナムに地上軍を送り込む前年の64年には、政府を信用していると答えた国民が約77%いた。ところが10年後にはその半分以下となる。80年代に入る頃にはさらに減り、昨年は18%にとどまった。
米国の戦後史で断絶あるいは変曲点があったとすれば、ベトナム戦争だろう。国外での殺りくと国民同士の憎しみはトラウマを残した。それに比べて金融危機は、少なくとも政府への信頼度にはさほど大きな影響を与えなかった・・・
・・・政府はあの戦争で戦術的な無能さから戦況に関する嘘まで、負の側面ばかりが目立った。人命の損失も深刻で、国内の空気は険悪になった。街の至る所でカウンターカルチャーと反カウンターカルチャーの衝突が発生。ベトナム戦争をテーマにした映画「ディア・ハンター」などが大ヒットした。こうした流行は移り変わったが、かつて信頼していた政府への幻滅は消えず、むしろ強まった・・・

あこがれのフランス

フランス旅行には、いつものように、固い本と軟らかい本を持って行きました。柔らかい方は、鹿島茂著『クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノ語り』(2007年、中公文庫)を、積ん読の山から見つけて。

フランスで(フランスに滞在中は余裕はないので、正確には飛行機中で)、フランスに関係するエッセイを読むのは、ぜいたくなことですね。日本で読むより、「なるほど」と思うことが多いです。この本の原本は、1999年。さらに、収録されている個別のエッセイは、その前に書かれたものですから、結構時間が経っています。
いつもながら、先生の著作は、切れ味良く読みやすいです。

その中で、フランスとフランス語、フランス語学科が、かつてのようなあこがれでなくなったことを、嘆いておられます。
そうですね。私の時代は「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し・・・」(萩原朔太郎)の時代ではありませんが。かつては、海外旅行は簡単でなく、そしてフランスはその中でもあこがれでした。「おふらんす」と、漫画おそ松くんの中で、フランス帰りのおじさんイヤミは表現していました。
デパートでも、イギリス展、フランス展が毎年開かれていました。いつの頃からか、このようなフェアがなくなりました。売り場を覗いても、欲しいなあと強くひかれるモノもなくなりました。

フランスやイギリスに行っても、これは買いたいと思う品も、お土産に買って帰りたいという品も、なくなりました。もちろん、とんでもないお金を出せば買える「すばらしいモノ」はあるのですが。これは、私には手が出ないので。
日本が豊かになり、「舶来品」「舶来上等」が消えました。舶来といっても、若い人には通じませんかね。また、海外旅行が珍しくなくなり、彼我の差が縮まりました。おいしフランス料理もワインも、日本で食べることができます。
しかし、行ってみると、見るところは多いですね。

頭という限りあるキャンバス

飯田 芳弘 著『忘却する戦後ヨーロッパ』を読みながら(忌まわしい過去を忘却する戦後ヨーロッパ)、次のようなことも考えました。
「思考の枠」「頭は限りのあるキャンバス」ということです。これだけでは、何を言っているかわかりませんよね。

『忘却する戦後ヨーロッパ』では、独裁政権が倒れたあと、忌まわしい過去を忘れるために「忘却の政治」がとられます。しかし、その際には、積極的に「忘れる」という行為は取られません。他の政治課題が優先され、過去の断罪が脇に追いやられるのです。
多くの場合、「忘れよう」「許そう」とは主張されません。新国家建設(共産主義崩壊後は、たくさんの国が生まれました)、経済再建・経済発展などが優先課題になり、これらの課題は後回しになり、取り上げられなくなります。もっとも、国際社会からの要求もあり、その範囲では対応せざるを得ません。

すなわち、複数の政治課題がある場合に、同時にすべてを処理することはできません。ある期間に取り組むことができる思考には、限りがあるのです。
画用紙・キャンバスを想像してください。白地なので、何でも描くことができます。しかし、1枚の紙に書くことができる図柄には、限界があります。たくさん描きたい動物があっても、大きな象とシマウマを書くと、他の動物は描くことができません。そして、細かく書き込もうとすると、時間が無くなります。次の紙に描くしかありません。

新聞紙面も、わかりやすいでしょう。毎日、ニュースが伝えられます。しかし、その日の一番大きなニュースが大きな紙面を占めて、他のニュースは隅に追いやられます。ほかの日だったら、1面に来るニュースも、大災害の翌朝だと、載らないこともあります。そして、翌日には、次の朝刊が配達されます。

「思考の枠」「頭は限りのあるキャンバス」とは、このように、人が一時に考えることができる項目には限りがあることを、言いたいのです。これは、個人の脳とともに、政治空間や新聞紙面も同じです。
すると、何を重要項目として取り上げるか。これが、本人、政治家、編集者の重要な判断項目になります。嫌なことを取り上げないことも、同様です。「話をそらす」ことです。
他方で、「忘れてはならない重要な課題」は、その時には取り上げられなくても、忘れることなく考え続ける必要があります。そして、他に重要課題がない時に、取り上げるように準備しておく必要があります。