東京芸術大学美術館で、「興福寺仏頭展」が開かれています。私は、この仏頭が好きで、5月に奈良に行った時も、見てきました(5月19日の記事)。元は、山田寺にあったのですが、山田寺跡は私の生まれた里の近くです。
この仏像は、見る角度によって、表情が変わります。前にも書きましたが、私は、向かって左斜めからの角度が好きです。白鳳の貴公子という命名は、秀逸ですね。
今回の東京芸大での展示は、高い位置にある仏頭を下から見上げます。これが本来の位置なのでしょうが。同じ高さからは、見ることができません。
東大寺戒壇堂の四天王「広目天」(飛鳥園の写真)も好きで(2012年5月27日)、職場に写真を置いてあります。その厳しいお顔を見て、気を引き締めるためです。
月別アーカイブ: 2013年10月
官僚の先輩。昭和の軍事官僚の仕事ぶり、2
前回の続きです。この本は、「日本陸軍終焉の真実」という副題がついています。
日本と日本陸軍が道を誤ったことについて、失敗の原因を分析する際には、政治指導者、統治機構、世論、現場の軍隊の行動、戦略や作戦、兵器と補給など、さまざまな視点があります。そして、これらに関して、たくさんの本が出ています。しかし、この本のように、軍事官僚が陸軍省内部から見た記録は、そうはないでしょう。
また、作戦を立て遂行するためには、部隊(大量の兵士)を養い動かすこと、武器弾薬を補給すること、その経費をどう見積もり手当てするかなど、その背後に膨大な事務作業があります。それを、官僚たちはどのように処理したか。興味深いです。
平時は、毎年の定例作業なのでしょう。前年の実績を元に、増分と減分を調整すればすみます。しかし、戦時になると、変更部分がとてつもなく多くなり(本文中に、一挙に3倍になるとあります)、また不確定要素が増えます。作戦の進行や変更によって、どんどん変わってきます。それをどう裁いたかです。
順次、興味深い記述を紹介します(引用する際には、一部書き換えてあります。また、注は私が入れたものです)。
まず、登場する軍人の名前には全て、陸軍士官学校の第何期生であるかが、記されています。年次が重要だったことがわかります。これは、現在も同じ。
また、頻繁に人事異動があります。官僚機構ですから、当然ですが。例えば軍務局長は、昭和6年当時は小磯国昭、その後10年の間、昭和16年の武藤章まで、12人です。一人で3度勤めた人もいますが。
(行革について)
・・人馬の減少、官衙の改廃等はなかなか細かいものであった。後年の軍備充実の大まかなやり方は、当時としては全く夢にも考えられない有様だった。鈴木宗作中佐の指導を受けて、本当に文字通り一兵一馬の予算をはじきながら、毎日コツコツと、火事場のような課の中で仕事を進めていた・・
・・判任官(注:現在では常勤職員でしょうか)一名の削減がどうしてもできず、ついに省内の各課を歴訪してどこでもけんもほろろの有様、ついに(広島県)宇品の運輸部の小蒸気船の機関長が判任文官だということを知って、防備課に三拝九拝、やっとこれを嘱託か雇員かに直して、ようやくつじつまを合わしたこともある・・(p37)。
この後に、馬を削った際の、著者の作戦と現場からの反発が書かれていますが、これは本文をお読みください。おもしろいです(失礼)。
この項、続く。
官僚の先輩。昭和の軍事官僚の仕事ぶり
西浦進著『昭和戦争史の証言―日本陸軍終焉の真実』(2013年、日経ビジネス文庫)が、勉強になりました。
著者は、1901年生まれ、陸軍士官学校を優等で卒業した(恩賜の銀時計)、エリート軍人です。この方の特徴は、その勤めの大半を、陸軍省軍務局軍事課で過ごしたことです。陸軍大学校を卒業してから(昭和6年、29歳)、戦地へ転出する(昭和19年、42歳)までの間、海外駐在の3年間を除き10年間を軍事課で勤め、最後は課長になっておられます。
今で言うと、係長から課長補佐、そして課長を勤めたということでしょう。東条英機陸軍大臣の秘書官も勤めています。軍務局は陸軍省の中枢、そして軍事課はその軍務局の中枢でした。国防の大綱、軍備と軍政、予算を所管していました。550万人の軍人を動かすのです(人事は人事局で別の課が所管していました)。戦場で活躍するのでなく、事務において活躍されたという意味で、軍事官僚(軍人官僚)と、呼ばせてもらいます。
この本の元になった原稿は、昭和22年、戦後間もないころに書かれました。陸軍省の中枢、それも中の中から見た(単に幹部から見たという意味でなく)、実録であり反省記と言えます。
表題は、『昭和戦争史の証言―日本陸軍終焉の真実』となっていますが、私は、官僚にとっての勉強の書として読みました。軍事官僚の仕事ぶりが、わかります。
もちろん、時代背景や組織内の気風も大きく異なります。武官と文官を一緒にしてはいけないのでしょうが、その違いを超えて、政策と組織を管理することは、官僚(特に組織を動かす職にある官僚)として同じです。そのような視点から読むと、どのように仕事をしたかについて、とても参考になりました。
「日本陸軍」といっても、単体でそのようなモノがあるのではなく、人の集まりです。その人も、超人でもありません。私たちと同様に生身の人間が、教育と訓練を受け、組織の規則と慣習に従い、そして本人の志や欲望で、判断したことです。日本陸軍というと、私たちにとっては歴史の話であり、失敗ばかりを聞かせられます。でも、つい先日、私たちの先輩が行ったことなのです。
例えば、仕事ぶりについて書かれた文章を紹介します。筆者が赴任直後、満州事変勃発当時の記述です。
・・私は編成班の末席に入って、宇垣一成陸相の当時の立案にかかる軍備整理と、政府からの要請による行政整理の仕事を担任させられた。かたがた、最新参者として局長の副官的仕事、軍事課の庶務将校も兼ねた(注:今で言う行革と、局長秘書と、庶務係長でしょう)。
後年専門の庶務将校ができたが、当時は一人三役で、しかも事変勃発直後とて毎日課内はゴッタ返しの忙しさ、昼食ももちろん仕事をしながら事務室でやり、夜は帰宅は9時頃より早いことはなかった・・(p34。う~ん、現在の官僚は、国会時期になると夜12時は当たり前になっています)。
次回以降、いくつか興味深い記述を紹介しましょう。
歴史の教訓、2
『歴史の教訓』から、もう一つ考えたことを。
著者は、「第6章 予測」で、次のように書いています。
・・さらに避けてとおることのできない問題は、行政部門とホワイトハウスに関する問題である。ニクソンは、かつては省務と考えられていたいくつかの職務を、国家安全保障会議の専門職員に移管し、専門職員たちが情報を収集し、事件の評価を提出し、取るべき行動方針を分析することになった。このような機構改革の結果、あらゆる省・部局の権力や影響力がいちじるしく減退することになった。だから、未来を推測する時われわれは、次のような問いかけを行わなくてはならない。すなわち、こうした傾向が一時的現象でないなら、肥大化し複雑化した国家安全保障会議の専門職員は、国務省やCIAの場合と同じように、自らの機構の利益や機構内の紛争を今後助長させようとするのだろうか。もしそうなら、その利益や紛争はどのような形態のものになっていくのか・・p235
かつて韓国を訪れ、内務部や後に行政自治部(これが韓国の自治省に当たります)の幹部と話した際、内務部の職員と権限の一部が大統領府に移され、大統領府と内務部との間で仕事の進め方が難しくなっていると、聞きました。
アメリカや韓国は大統領制なので、日本とは少し事情が異なります。しかし、総理主導・官邸主導が多くなると、似たような問題は起きます。総理が担当大臣や担当省幹部を呼んで、相談し指示を出している分には、問題は起きません。総理が担当省でない人たちを使うようになると、問題が出てきます。総理と各大臣との役割分担をどうするか(組織論であるとともに政治権力論になります)、官邸で総理を支える職員や官僚でないスタッフと各省官僚との関係をどうするか(これは組織論です)。
もちろん、各省から官邸に出向している秘書官や参事官は、板挟みになることは、これまでにもありました。このほかに、内閣官房や内閣府に設けられる各種の改革本部も、他省の所管業務を改革することが多く、各省との利害対立が起き、本部に出向した官僚は、板挟みになります。その所管業務に詳しいのは、各所管省の職員です。彼らを排除して改革することも、難しいです。
民間の組織や市場ルールを改革する場合は、官対民の戦いになりますが、各省改革や各省の所管業務を改革する場合(それも各省の反対がある場合)は、政対政または官対官の戦いになるのです。政治が仕切ってくれれば、官の悩みは少なくなります。この点については、組織内改革・組織間改革をどう進めるかという観点から、別途書きましょう。
責任者は何と戦うか、その11。自分と戦う、2
さて、自分との戦いに、もう一つの場面があります。評価と判断を間違わないことの前に、それを作る環境を整えることです。
責任者は上に行けば行くほど、忙しくなります。しかし、1日は24時間しかありません。限られた時間を、どのように割り振るか。何を自分で処理し、何を部下に任せるか。そして、誰に任せるか。この判断です。
全ての書類に目を通し、全ての会議に出席し、全ての面会希望者に会い、全ての電話に応対する。全能の神ならぬ身、そんなことはできません。すると、秘書官・補佐官に、その割り振りを委ねなければなりません。
また、全ての分野に通暁することも、全知の神ならぬ身、それは困難です。その分野に詳しい者に、処理を委ねるか、問題点の整理を行わせます。誰に、それを任せるか。
さらに、すり寄ってくる人たちの内、意見の違う人の提案を退けなければなりません。八方美人はできません。
時間の割り振り、仕事の割り振りと切り捨て、取り巻きの割り振りと切り捨て。これもまた、難しい決断です。