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東京消防庁、危険に向かって行く

2012年3月23日   岡本全勝

毎日新聞が8回にわたって、東京電力福島原発事故の際に、東京消防庁が決死の覚悟で放水したことの検証をしていました。東京の地方面に載ったので、他の地域では読めなかったと思います。第一回目はこちら最終回はこちら
今読んでみて、あらためて、隊員たちの苦労や、送り出す責任者の苦労がわかります。原発への注水は、消防の本来業務ではありません。また、十分な情報がない条件下での活動でした。
記事に出てくる新井総監をはじめ東京消防庁の幹部は、私が消防大学校長の時にお世話になった方々です(こんなことも、していました)。記事を読んで、胸に来るものがあります。東京消防庁は、世界最高水準の装備と技量、そして規律と使命感を持った組織です。
燃えさかる現場に向かう=「危険だとわかっていて、近づいていく」。これは、いくつかある危機対応組織の中でも、消防(消防、消防団)が一番でしょう。消防にあっては、「遠巻きにして見ている」といったことが、できないのです。だからこそ、部下職員の安全を確保することは、上司の最大の責務です。どのような条件にあるか、どこまで行ったら引き返すか。その判断を誤ると、部下の命にかかわります。例えば、岡本校長がサリンで死んだ場合(2009年10月9日の記事)、落ちたら終わりの山岳救助の場合(2010年5月22日の記事)。
今回の津波災害でも、消防団員の方が、たくさん亡くなられました。住民が高台に向かって逃げるときに、この人たちは、水門を閉めたり、逃げ遅れている人を助けに、海岸に向かって行かれたのです。
崇高な行為に感謝するとともに、ご冥福をお祈りします。残された家族の方、特に子どもさんたちを支援することが、私たちにできることです。

福島の再生

2012年3月22日   岡本全勝

今日は午後から、福島県庁に行って、今後の仕事の進め方について打ち合わせをしてきました。福島特措法案はこれから参議院で審議されますが、法案の成立を見越して、あるいは成立しなくても、福島の再生の作業を始めなければなりません。
一つは、県全域の再生です。風評被害などに苦しんでおられます。次に、避難区域になった地域の再生があります。帰還を始めることができる地域では、住民への説明会を開きます。次に、インフラ復旧などをして戻っていただく地域では、対策をどう進めるか。他方、しばらく帰ることができない地域は、避難者や役場の支援をどうするか、避難者を受け入れていただいている自治体をどう支援するかが課題です。
県下全域の課題と避難区域の課題。避難区域にあっても、大きく分けて3つの地域で条件が違います。そして、各市町村ごとに状況が異なります。既に、市町村と、個別に協議を始めています。さらに市町村や住民の意見を聞き、県と一緒になって課題を解決していきます。
当初予定していた時間を超過し、帰りの新幹線に乗り遅れました。職員曰く「議論が盛り上がっていたので、『帰りの時間です』と言い出せませんでした」。後の新幹線の、自由席で帰ってきました。

復興推進会議

2012年3月21日   岡本全勝

今日19日、総理官邸で、第1回の復興推進会議を開催しました。従来の復興構想会議に代わる有識者会議です。政府が行っている復興事業について、第3者の目で見ていただき、足らない点を指摘していただく予定です。(2012年3月19日)
会議の資料は、復興庁のHPに載せました。資料3が現状と課題、参考資料3が基礎資料です。ご利用ください。

被災者支援業務1年

2012年3月20日   岡本全勝

3月19日は、私にとって、1周年の日でした。昨年3月19日突然、官邸に呼び出され、被災者生活支援特別本部事務局次長に指名されました。その日から、被災者支援そして復興の仕事に、携わることになりました。その頃の生活は、2011年4月2日の記事をご覧ください。それは、今から思い返しても、大変でしかし貴重な経験でした。
3月19日は、3連休の初日でした。まずは、何をするか、そのためにはどれだけの職員が必要か、の検討から始めました。1人ではどうにもならないので、私を手伝ってくれる職員を、緊急に呼び出しました。
Y参事官とF参事官は、連休で休んでいるところ呼び出され(携帯電話がつながったことが、運の尽きでしたね。笑い)、その日から家に帰ることもできず、がんばってくれました。人集めと組織作り、職員への仕事の割り当て、次に何をしなければならないかの検討、さらには職場の環境づくり(机、電話、パソコンの手配)と。二人とも、自分の机がなく、歩きながら仕事をしていました(ページ下執務風景の真ん中の写真)。今となっては、懐かしい思い出です。

その後、復興本部になり、さらに復興庁という新しい省庁を作り動かすところまで来ました。この間、各省から駆けつけてくれた多くの職員のおかげで、成果を出すことができました。また、大きな仕事に取り組んでくれています。感謝します。しかも、これまでに経験したことのない仕事、これまで霞ヶ関が取り組んだことのない仕事が多いです。苦労をかけています。
他方で、様々な府省のたくさんの職員と、知り合うこともできました。普通の仕事をしている限りは、彼らとは知り合うこともなかったでしょう。もちろん、寄せ集め部隊の難しさもありますが。
それにしても、この1年は、早くて長い1年でした。毎日がとてつもなく忙しく、前日に何をしたかを覚えていない状態ですから。

被災された方々は、もっと大変な思いと経験をされたでしょう。その方々の期待に応えること。あわせて、私たちの仕事ぶりを、全国の国民が見ていること。私たちの仕事は、国民や後世の批判に耐えうるか。さらに、これを通じて政府や官僚の仕事ぶりを見直していただけるか、行政への信頼を少しでも取り戻すことができるか。といったことを、常に頭に置いて仕事をしてきました。資料は、なるべくHPに載せることで公開し、記録として残すこととしました。
悔いのない仕事をしたつもりですが、それが現地で実を結んだかどうか。他にやり方はなかったか。もう少し余裕ができたら、あらためてこの1年の仕事ぶりを、振り返ってみたいと思っています。

大震災対応、政治学からの評価

2012年3月18日   岡本全勝

佐々木毅学習院大学教授の発言から。
3月11日、東京新聞コラム「時代を読む」から。昨年3月11日、大震災直後に書かれた原稿を振り返って。
・・その時の原稿によれば、大震災が政治に活力を取り戻す強烈な一撃を外部から与えられ、日本の政治は何とか動き出すのではないかという点に着目していた。しかし、一年を顧みると、何ら見るべき展開がなかったことに、あらためてあ然とせざるを得ない・・
・・当初から気になっていたのは、日本では基本的な社会インフラが今や民営化され、同時に地方分権がかなり定着を見せている中で、どうスムーズに復興との取組が進むかであった。こうした非常事態においては、政府が通常は認められないような権限を集中的に掌握し、速やかに取り組むというのが、一つの古典的な図式である。日本政府には、こうした方向を探る意図は全く見られなかった。要するに、「平時」のルールに問題を委ねたのである・・。

3月11日、日経新聞書評欄「今を読み解く」から。
・・昨年の3月11日以降、よく言われたのは「安全神話」の崩壊という言葉であった・・非常に単純に言えば、日本は極めて「安全」な社会であり、例えば地震や津波についても他の国々を凌駕する対策が施され、人々の「安全」に対する意識も高いという自負であった・・
・・しかし事故後、原発をめぐって明らかにされつつある現実は、一言で言えば、陰々滅々たる話の連続である・・酷な言い方になるが、「見たくないものは見ない」式の卑俗な心理状態に近い事実ばかりが、この一年続々と明らかにされた。ここに支配しているのは、「安全神話」というよりは、一種の精神的な頽廃現象ではないか。
・・「想定外」の大地震・大津波に襲われるのは不条理であるが、精神的な頽廃現象とは関係がない。問題はこの後者の方である。それは何も原発問題だけの現象ではないのではないか。変容する現実との対面を口実を設けて避け、過去の「想定」にしがみつき、かすかな自己満足の中で課題の先送りに腐心する態度は、この社会に結構広範に見られる傾向ではなかろうか。例えば、こうした精神的頽廃から最も自由でなければならないはずの政治が、同じ病に冒されていないであろうか・・
詳しくは、それぞれ原文をお読みください。