被災者支援業務1年

3月19日は、私にとって、1周年の日でした。昨年3月19日突然、官邸に呼び出され、被災者生活支援特別本部事務局次長に指名されました。その日から、被災者支援そして復興の仕事に、携わることになりました。その頃の生活は、2011年4月2日の記事をご覧ください。それは、今から思い返しても、大変でしかし貴重な経験でした。
3月19日は、3連休の初日でした。まずは、何をするか、そのためにはどれだけの職員が必要か、の検討から始めました。1人ではどうにもならないので、私を手伝ってくれる職員を、緊急に呼び出しました。
Y参事官とF参事官は、連休で休んでいるところ呼び出され(携帯電話がつながったことが、運の尽きでしたね。笑い)、その日から家に帰ることもできず、がんばってくれました。人集めと組織作り、職員への仕事の割り当て、次に何をしなければならないかの検討、さらには職場の環境づくり(机、電話、パソコンの手配)と。二人とも、自分の机がなく、歩きながら仕事をしていました(ページ下執務風景の真ん中の写真)。今となっては、懐かしい思い出です。

その後、復興本部になり、さらに復興庁という新しい省庁を作り動かすところまで来ました。この間、各省から駆けつけてくれた多くの職員のおかげで、成果を出すことができました。また、大きな仕事に取り組んでくれています。感謝します。しかも、これまでに経験したことのない仕事、これまで霞ヶ関が取り組んだことのない仕事が多いです。苦労をかけています。
他方で、様々な府省のたくさんの職員と、知り合うこともできました。普通の仕事をしている限りは、彼らとは知り合うこともなかったでしょう。もちろん、寄せ集め部隊の難しさもありますが。
それにしても、この1年は、早くて長い1年でした。毎日がとてつもなく忙しく、前日に何をしたかを覚えていない状態ですから。

被災された方々は、もっと大変な思いと経験をされたでしょう。その方々の期待に応えること。あわせて、私たちの仕事ぶりを、全国の国民が見ていること。私たちの仕事は、国民や後世の批判に耐えうるか。さらに、これを通じて政府や官僚の仕事ぶりを見直していただけるか、行政への信頼を少しでも取り戻すことができるか。といったことを、常に頭に置いて仕事をしてきました。資料は、なるべくHPに載せることで公開し、記録として残すこととしました。
悔いのない仕事をしたつもりですが、それが現地で実を結んだかどうか。他にやり方はなかったか。もう少し余裕ができたら、あらためてこの1年の仕事ぶりを、振り返ってみたいと思っています。