カテゴリーアーカイブ:このページの歴史

小西先生の新著

2012年11月1日   岡本全勝

小西砂千夫先生が、『地方財政のヒミツ』(2012年、ぎょうせい)を出版されました。
「ヒミツ」とは刺激的な表題ですが、秘密と思われることがそうではないことを、わかりやすく解説しておられます。
・・書名を「ヒミツ」としましたが、本当はヒミツではありません。それらは全部、法律に書かれていることだからです・・あえて学ぼうとする人が少なかったことで、ヒミツのようにみえてしまうということです・・(pⅰ「スタディガイド」から)。
ここまで、わかりやすく書けるのは、先生が研究者としては希有なくらいに(失礼)、制度を熟知されているからです。
先生は、次のようにも書いておられます。
・・地方交付税制度にはあまりに誤解が多く、その誤解の上で多くの批判がなされ、それが世間的な評価を左右して、いかにも正論のように見えて・・
・・本書が明かそうとする「ヒミツ」は、法律の背景にある地方財政に関する統治の知恵である。一見して複雑すぎるしくみであっても、そうせざるを得ない理由がある。ヒミツのほとんどは、制度運営にかかわる技術的理由、つまり「そうとしか運用できない」に起因することに、どうか気がついていただきたい.わざと複雑にしているという猜疑心をもっていると、理解が十分に深まらずに、制度運用の本当のおもしろさを感じることはできない・・(あとがき)
入門書としてだけでなく、各制度の意義と機能を理解するには、もってこいの本です。
本来、総務省の担当者が書くべき本でしょうが、最近、出版されていませんねえ。私の本も、古くなりました。元担当者として反省するとともに、ここまで書いていただける学者が出てきたことを喜びましょう。

消費者のゼロリスク志向が、生産者を苦しめる

2012年10月30日   岡本全勝

10月30日の毎日新聞が、「苦悩する福島県の農水産業者 風評被害克服へあの手この手」を書いていました。
・・東京電力福島第1原発の事故から約1年半。福島県産の農産物や魚介類などに含まれる放射性セシウムの汚染レベルはかなり低くなっているが、依然として福島産への風当たりは強い。産地では風評被害を払拭しようと、検査体制の強化や測定結果の公表などに取り組んでいる・・
福島県も、品目ごとにセシウムの数値が分かるモニタリング検査の結果をホームページで公表している。しかし、桃の出荷価格は市場の相場より2割程度安い。福島産に対する敬遠ムードは依然として根強い・・
消費者団体「食のコミュニケーション円卓会議」の市川まりこ代表は「私たち消費者側の行き過ぎたゼロリスク志向が検査費用を増やしたり、生産者を苦しめたりしている側面もあることを自覚したい」と話す。安全と安心に対する消費者側の意識も問われている・・

村による村民向けリスクコミュニケーション

2012年10月30日   岡本全勝

10月26日の読売新聞夕刊が、「福島県飯舘村が、日常生活への放射線の影響をわかりやすく伝える新聞を創刊した」ことを、伝えています。「かわら版道しるべ」です。
村が企画して、子育て中の親や、放射線の専門家が作っているそうです。読んでみると、わかりやすい工夫をしてあります。ありがとうございます。
申し訳ありません。いわゆる「リスクコミュニケーション」は、本来、国や東京電力が、わかりやすい説明をすべきです。もっとも、「国や東電は、住民に信頼されていないから・・」と指摘する人もいます。残念ながら、正しい部分もあります。村の広報の方が、信頼度は高いでしょう。もちろん、内容によります。

総理所信表明、復興は企業やNPOとともに

2012年10月30日   岡本全勝

藤沢烈さんの10月30日のブログに、野田総理の所信表明演説が、紹介されています。気がつかれましたか、復興に際して「企業やNPOとも連携する」と総理が述べておられることを。
10月29日の総理の、所信表明演説のうち「被災地の復興と福島再生を途切れさせない」の、次のくだりです。
・・活力ある故郷を甦らせるために奮闘する住民と自治体の努力を、企業やNPOなどとも連携しながら、政府一丸となって支えてまいります・・
政府だけでなく、企業やNPOの役割も重要だと認めた、結構、意味のある歴史的な文章だと思います。

被災地での宗教

2012年10月29日   岡本全勝

このホームページでは、「まちの復旧は、行政だけではできない。企業やNPO、地域の絆などの力が必要だ」と、主張しています。それらとは少し違った観点から、行政では手の届かない領域があります。
心の問題や宗教です。
例えば、孤立化や孤独死が問題になっています。しかし、「放っておいてくれ」という人に、それ以上のお節介を焼くわけにはいきません。これは、引きこもりへの対策の際に、論じました。

次に、宗教です。先日、お寺や墓の移転について、公金を出せないことを書きました(10月23日の記事)。今回は、心の問題から取り上げます。
災害で亡くなられたご遺体を、埋葬したり火葬しました。死亡証明があれば、市町村役場が埋葬や火葬をします。これはこれで大変でした。数が多いこと、火葬場が壊れて使えなかったことからです。身元確認ができなかったこともあります。
さて、埋葬の際に、ご遺族がお葬式を望まれることがあります。式はできなくても、「せめて僧侶によってお経を唱えてほしい」という声が、たくさんありました。被災地では、お寺も流され、お坊さんもおられません。行政は宗教に関わらないとの原則で、それをお手伝いできませんでした。
しかし、親しい人、かけがいのない人を失ったご遺族は、心の整理がつかないのです。その際に、葬式はその区切りをつける重要な機能を担っています。「葬式仏教」と批判されますが、「葬式仏教」の重要な機能なのです。

末木文美士先生は、『現代仏教論』(2012年、新潮新書)などで、宗教と現代日本を論じ、現代日本が死を避けてきたこと、葬式仏教にも重要な機能があることを指摘しておられます。