被災地での宗教

このホームページでは、「まちの復旧は、行政だけではできない。企業やNPO、地域の絆などの力が必要だ」と、主張しています。それらとは少し違った観点から、行政では手の届かない領域があります。
心の問題や宗教です。
例えば、孤立化や孤独死が問題になっています。しかし、「放っておいてくれ」という人に、それ以上のお節介を焼くわけにはいきません。これは、引きこもりへの対策の際に、論じました。

次に、宗教です。先日、お寺や墓の移転について、公金を出せないことを書きました(10月23日の記事)。今回は、心の問題から取り上げます。
災害で亡くなられたご遺体を、埋葬したり火葬しました。死亡証明があれば、市町村役場が埋葬や火葬をします。これはこれで大変でした。数が多いこと、火葬場が壊れて使えなかったことからです。身元確認ができなかったこともあります。
さて、埋葬の際に、ご遺族がお葬式を望まれることがあります。式はできなくても、「せめて僧侶によってお経を唱えてほしい」という声が、たくさんありました。被災地では、お寺も流され、お坊さんもおられません。行政は宗教に関わらないとの原則で、それをお手伝いできませんでした。
しかし、親しい人、かけがいのない人を失ったご遺族は、心の整理がつかないのです。その際に、葬式はその区切りをつける重要な機能を担っています。「葬式仏教」と批判されますが、「葬式仏教」の重要な機能なのです。

末木文美士先生は、『現代仏教論』(2012年、新潮新書)などで、宗教と現代日本を論じ、現代日本が死を避けてきたこと、葬式仏教にも重要な機能があることを指摘しておられます。