カテゴリーアーカイブ:行政

柳至『公共施設の統廃合を合意する』

2026年1月27日   岡本全勝

柳至著『公共施設の統廃合を合意する』(2025年12月、有斐閣)を紹介します。
宣伝には次のように書かれています。「地方自治体がどのような取組を行った場合に,住民は公共施設の統廃合に合意するのか。公共施設再編の成否を握る住民の意向の把握や住民との協働の重要性・有効性を,サーベイ実験や事例研究を用いて実証的に明らかにする。」
序章では、本書の問いは「地方自治体がどのような取組を行った場合に公共施設の統廃合に住民が合意するか」であると書かれています。

経済成長期に造った公共施設が更新期を迎え、老朽化しています。他方で、人口減少と財源不足で、多くの自治体が公共施設の統廃合に直面しています。本書では、自治体がどのような取り組みを行っているのかだけでなく、住民がどのように反応するのか、どのような取組であれば住民から受け入れられるのかを考察しています。
自治体の担当部署の協力を得て、市区町村へのアンケート調査を行い、住民への大規模意識調査も行っています。

著者は先に、『不利益分配の政治学 - 地方自治体における政策廃止』(2018年、有斐閣)を出しておられます。この本が出たときに、少々驚いた記憶があります。それまでの行政は、政策や施設など新しいものをつくることが主な仕事であって、廃止・縮小は頭の隅に追いやられていたのです。せいぜい、地域住民が嫌がる施設をどのようにつくるかが、話題になっていたのです。「よいところに目をつけたなあ」と思ったのです。

今回の本も、その延長にあると言えます。特に、自治体側の分析だけでなく、住民側の分析をしている点が優れています。
利益を分配する場合は、不平等での不満は出ても、大きな抵抗なく受け入れられます。しかし、不利益になるような施策は、関係者の同意を取り付けること、反対を少なくすることが大きな課題です。施策の決定とともに、手続きが重要になります。そして、議会や審議会が必ずしも効果を見込めないのです。
自治体関係者には、役に立つ本だと思います。

福島の放射線量、生活圏で大幅減

2026年1月18日   岡本全勝

2025年11月18日の朝日新聞に「福島の放射線量、生活圏で大幅減 原子力機構観測、9割が除染目安以下に」が載っていました。

・・・東京電力福島第一原発の事故から来年3月で15年を迎えるのを前に、原子力規制庁が福島県内の空間放射線量の観測結果を公表した。事故で拡散した放射性物質によって高まった線量は大幅に下がり、生活圏と山間部で下がり方に違いがあることも分かってきた。こうした結果を受け、日本原子力研究開発機構が帰還困難区域にある山林を詳しく観測しようと動き出している。

2011年3月の原発事故で大量の放射性物質が放出され、広い範囲に沈着して空間の放射線量が高くなった。事故から時間がたち、放射性物質の量が半分になる「半減期」が約2年と短いセシウム134などは検出されなくなってきたが、約30年のセシウム137は今も環境中に残る。
原子力機構は事故後、規制庁の委託を受けて線量を観測してきた。約5千カ所での定点観測のほか、歩きや車、広域はヘリコプターから測定。これらのデータを統合して線量のマップを作った。
それによると、空間の放射線量は年々低下。11年7月に毎時0・2マイクロシーベルト以下の地域は福島県全域の約44%だったが、24年12月には約91%に広がった。多くの自治体が除染の目安としている毎時0・23マイクロシーベルトを下回る地域が、県内の大部分を占めるようになった。

原子力機構によると、線量が下がった主な理由は三つ。(1)放射性物質の物理的な減衰(2)雨や風で流されることによる減衰(3)住宅地や学校などでの除染だ。優先的に除染されてきた都市部や道路沿いでは線量が下がりやすい。
一方、山間部の森林では落ち葉や土壌などに放射性物質がとどまりやすく、線量は高めだ・・・

政党中心に政策を語れ

2026年1月13日   岡本全勝

2025年11月6日の朝日新聞オピニオン欄「政権交代論のいま」、飯尾潤教授の「政党中心で政策語れ、改革は未完」から。(紹介が今ごろになって、すみません。まだほかにも溜まっています)

―その政権交代の可能性を生み出すには二大政党制が不可欠なのですか。
「そうではありません。選挙による政権交代とは、有権者の投票で新たに信任を得た政党、もしくは政党連合が誕生することです。二大政党制のもとでの政権交代がある一方、多党制のもとでの『2大陣営』型の政権交代もあります」
「後者では、複数の野党が選挙前に連合を作って与党陣営と競い合います。事前に統一公約と首相候補者を決めたうえで選挙に臨めば、有権者は政策と政権と首相を同時に選べます」

―政治改革は二大政党制を目指すものだったという話をよく聞きますが。
「政治改革で衆院に導入されたのは、純粋な小選挙区制ではなく、比例代表制を組み合わせた制度でした。つまり当初から、小政党がなくなるようには設計されていなかったのです。二大政党制ではなく、2大陣営型による競争の方に適した制度と見るべきです」

―政治改革の目標は達成されたのでしょうか。
「政治家中心の政治を終わらせて政党中心の政治にすることが改革の狙いでした。政党中心になることで政策本位の政治が実現していくと考えていました」
「政党中心の利点は、体系立った政策を論じやすくなることです。個々の政治家の言う政策をただ束ねるだけでは、幅広い有権者をまとめうる政策、政権を取れる政策にはなりません」
「しかし政治は今も政治家中心のままであり、政策本位の政治を目指した政治改革は未完のままです」

福祉サービスの地理学2

2026年1月9日   岡本全勝

福祉サービスの地理学」の続きです。久木元美琴執筆「福祉サービスの地理学の視点からみる行政領域」月刊「地方自治」2025年12月号には、次のような説明もあります。9ページ。一部省略してあります。そのほかにも、勉強になることが書かれています。詳しくは、原文をお読みください。

・・・福祉の地理学は、福祉国家の成立と変動に影響されながら発展した。19世紀末から第二次世界大戦後の経済成長期における先進資本主義国家で社会保障を中心とした福祉国家の広がりと、1970年代の石油危機以降の経済成長の鈍化と脱工業化・グローバル化の進展による既成福祉国家は転換のなかで、市場メカニズム・競争原理の導入、民間活用などが進められるようになった。こうした流れの典型的な事例として、1980年代のイギリスのサッチャー政権下における規制緩和や国営企業の民営化といった新保守主義的な経済政策の進展がある。しかし、こうした政策は、格差の拡大や教育・福祉の後退、失業率上昇などの社会的な摩擦・混乱を招き、1990年代後半には、ボランタリー部門を活用し、効率性と公平性の両立を目指す「第三の道」が登場した。

こうしたなか、福祉の地理学は、福祉国家の変容と再編の下で生じる地域における福祉供給へのインパクトや需給の地域間格差といった問題に注目する。福祉国家が前提とする「大きな政府」が相対的にその役割を小さくするならば、地方政府の財政的な基盤やそれぞれの地域で活用できる主体や資源が地域の福祉供給のあり方に影響を及ぼす。サッチャリズムに代表される新自由主義によって生じた「福祉切り捨て」(福祉支出の削減)と、それにともなう施設の地域的偏在や地域間格差の実態が、英語圏の地理学で指摘された・・・

続いて、次のような記述があります。
・・・日本は1970年代以降の脱工業化の時期に「福祉元年」を宣言したが、低成長への転換のなかで、大企業の福利厚生と家族賃金、地方の公共事業と保護・規制政策、家族主義が三位一体となった「疑似福祉システム」を福祉国家に代替させ、社会保障制度は「家族」「会社」「地域社会」によって制度化されてきた。こうした家族中心的福祉レジームに前提されたのは、女性の家庭内・地域内における無償労働であった。1980年代以降、脱工業化のさらなる進展とそれにともなう女性の就労増によって、福祉供給における家族領域は縮小した。また、国家領域においても、経済成長の鈍化による財政難と、公的福祉サービスのインフレキシビリティとパターナリズムは、福祉ニーズの多様化に対応できなくなっていた。こうした趨勢のもとで、日本でも1990年代から福祉サービスを対象とした地理学的研究が蓄積されるようになった・・・

福祉サービスの地理学

2026年1月7日   岡本全勝

久木元美琴執筆「福祉サービスの地理学の視点からみる行政領域」月刊「地方自治」2025年12月号(ぎょうせい)を紹介します。少しだけ試し読みができます。

「保育・子育支援のサービス需給に関する地理性や空間性」を研究する学問があるのですね。地理学にそのような分野があることを知りませんでした。
「地方自治体が担う福祉サービスは多岐にわたるが、なかでも保育サービスは保護者による日常的な送迎が必要である場合が多く、自宅と勤務地を含む日常の生活空間の範囲(生活圏)と行政領域の地理的な範囲との齟齬が生じた場合に困難が生じる」とあります。
地方行政と地理学というと、地方財政学での「足による投票」や、税負担と行政サービスのずれ、広域行政などを思い浮かべます。しかしそれは、自治体行政からの視野です。住民の暮らしや社会の在り方から考える必要がありました。

特に「長距離通勤のために、通勤者は朝早く家を出て、夜遅くに帰宅する。そのため、平日は家族と過ごす時間がほとんどなかった。他方で、女性はサービス経済化の進展や男女雇用機会均等法の施行などによって、雇用労働力として大きな社会的役割を担うようになっていた。このように、日本の大都市圏の日常生活における空間と時間が劇的に変化しようとしているなか、大都市郊外では仕事と家庭の両立困難が鋭く顕在化した」という指摘(6ページ)は、新鮮でした。
住宅と勤務地が離れた長距離通勤は、朝早く出勤し夜遅く帰宅する父親だからできたものです。夫婦で子育てをする場合には、難しいものがあります。
通勤地獄、長距離通勤、寝に帰るだけのベッドタウン・・・。昭和の経済成長期に、私生活を犠牲にして、会社勤めを優先しました。大きな問題と指摘されながら、一向に対策は打たれませんでした。行政の課題とならなかったのです。しかし、女性が社会進出し、他方で少子化が問題になり、男社会を前提にした通勤のおかしさが目に見えてきました。

私は、連載「公共を創る」で、働き方改革と男女共同参画が「この国のかたち」の結節点であり、日本を変えると主張しています。ちょうど連載で、通勤と保育園の問題を書いていたので、参考になりました(これも、娘夫婦の子育てを見て気づきました。霞ヶ関勤務だけではわかりませんでした)。持論を補強することができました。
都心の住宅費高騰も報道されています。大都市での通勤と子育ては難しくなりました。さて日本政府は、この問題にどのように対処するでしょうか。住宅整備、都市整備、産業振興といった視点からは、この問題は解決できません。生活者、住民の視点から考えなければならないのです。しかし、行政の組織と仕組みはそのようになっていません。