カテゴリー別アーカイブ: 行政

行政

新しい仕事25

今日30日に経済財政諮問会議が開かれ、山本有二大臣が、取り組み状況「再チャレンジ支援策の総合的推進」を説明しました。また、参考資料として、「支援プランの主なもの・検討中」も公表しました。プランは、12月中に作ることとしてあります。すなわち、予算査定や法案の正式決定がないとつくれない=公表できないのですが、今回、概要を知ってもらうために、検討段階で公表しました。何人かの記者さんに、「11月に、こんなのが出てくるとは思わなかった」「霞ヶ関では珍しい」とお褒めをいただきました。確かに、霞ヶ関では、正式決定や、その前の根回しが済まないと、資料を公表しませんからね。もちろん、変わったことをしようとすると、いろんな抵抗もあります。この陰には、協力してくださった各省、それを催促し説得してくれた職員の努力があるのです。
プラン案では、対象別に政府が行うことを、18年度、19年度、20年度以降に分けて整理してあります。また、なるべく数値目標を書くようにしました。もっとも、まだまだですが。予算と法律は、別に特だしして整理してあります。記者さんからは、「わかりやすくて良い」とも、褒めてもらいました。これからいろんな人の意見を聞いて、完成させます。
昨日は、山本大臣とともに、総理にご説明しました。今朝の朝日新聞にも出ていましたが、総理からは、支援寄付税制の創設とパートへの社会保険拡大について、特に指示がありました。これらも汗をかかなければ、あるいは、かいてもらわなければなりません。あっという間に、11月が過ぎました。まずは、順調に進んでいると思います。職員や関係者のおかげです。もっとも、まだまだいろんな課題もあるのですがね。

新しい仕事24

28日の日経新聞経済教室「再考セーフティネット」は、八田達夫教授の「就労意欲促す生活保護に。再挑戦しやすく。国の負担率は引き上げを」でした。現行の生活保護制度の問題点を指摘し、再チャレンジ=就労意欲を促す仕組みとするべきだとの主張です。先般の知事会と市長会の提言「新たなセーフティネットの提案」を引用しておられます。
また、地方公共財は自治体が工夫すると担税力のある住民が増えるが、生活保護は自治体が優れた制度を設計すると担税力のない人口が流入する。生活保護の支出額決定が分権されると、自治体はなるべく貧弱な制度を作ることになる。生活保護は分権せず、国が定めた基準の全額を国が負担すべきだ、と主張しておられます。

財務省の権限

政府が現在進めている改革の一つに、特別会計の見直しがあります。特別会計には問題が多く、一般会計への統合、独立行政法人化や民営化などが提案されています。
財政制度等審議会の報告「特別会計の見直しについて」(平成17年11月21日)は、「固有の財源等をもって不要不急の事業が行われているのではないか、資源配分が硬直化しているのではないか、多額の剰余金が放置されているのではないか等の問題が指摘されており」と述べています。
特別会計も財務省が査定しているのに、なぜこんなことが起きるのか。また、それを、財務省の審議会が指摘するのか。この問題は、民間の人や地方団体の人には、理解しにくいことでしょう。
地方団体であるなら、予算編成と組織人事は知事や市町村長の最も重要な職務の一つです。企業であっても、金と職員をどう動かすかは、社長のそしてその企業の重要な仕事であるはずです。
たぶん、その答えは「財務省は特別会計(の一部に)ついて査定していなかった」、あるいは「査定できなかった」ということであり、「財務省だけでは、(審議会の力を借りないと)特別会計を査定できない」ということでしょうか。これは、財務省(大蔵省)の権力がどのようなものであったかの一端を明らかにしているとともに、日本の内閣制がどのようなものかを明らかにしています。

新しい仕事23

日本の雇用、労働法制の問題点を勉強するべく、八代尚宏著「雇用改革の時代-働き方はどう変わるか」(中公新書、1999年)を読みました。勉強になりました。私は労働関係の専門家でないので、先生の指摘がすべて正しいかどうかは分かりません。しかし、日本が労働関係の面でも、これまで発展途上国・高度成長期に適合した仕組みが、成熟国・低成長期に足かせになっていることについて、目から鱗が落ちました。
今の労働法制が、結果として企業の正社員優遇となっていて、それ以外の働き方、特にパート・派遣・女性・中途採用・転職者に不利になっていることは、ここでも何回か指摘しました。
これまでの日本の労働法制は、過去の雇用形態・社会意識を背景にしたものでした。それは、未熟練労働者があぶれていて、その「弱者」を守ってやらなければならない社会、労働者は大企業で一生働き昇進することを望み、妻は家庭を守るのでそれを養うだけの給与をもらうことが理想とされた時代の産物でした。そして、それはうまくかみ合ったのでした。もちろん、この理想型に乗らない人も多かったのですが、みんないつかはそうなるとあこがれて努力したのです。
長期不況と言うより低成長に入って、正社員以外の働き方が増えてきたこと、すると日本の雇用は非正社員にはとても冷たいことが見えてきたのです。また、会社は永遠のものでなく倒産することもあること、すると年功序列と退職金を期待していては損をすることがあること、また中途採用者に冷たいことが見えてきたのです。
これまでの日本型社会は、「ムラ社会」と呼ばれます。それは、身内には優しく、外部の人(よそもん)には冷たいという性格を持っていました。またその構成員は、戸主であって婦女子は正メンバーではありません。大企業の終身雇用を理想とする雇用形態も、これですね。
(諸制度のビッグバン)
このように日本が成熟国・低成長期になったことに従い、これまで適合的だった諸制度が大きく改革を迫られています。経済で見ると、国内で威張っていた会社も、国際的に生き残れるか試練に立たされています。それに勝ち残った会社だけが、生き残るのでしょう(実は国際的な企業は、日本人には日本型給与制度を適用し、外国人にはそうでない給与制度を適用しているのです)。経済界に君臨していた銀行はいくつも倒産し、生き残ったものは大再編を経験し、さらに新しい金融モデルを模索しています。
公共の面でも、例えば司法制度が、大改革を進めつつあります。介護保険を導入し、年金制度も大改正を迫られています。市町村は大合併を行い、公共事業を大幅に削減し、また事務を民間へ大胆に委託を始めました。もう右肩上がりではないのです。
後世、この前後20年は、大変革の時代と評価されるでしょう。その方向は、これまで官と民が仕切られた業界ごとに拡大と保護を目指したのに対し、新しい時代は海外との競争で仕切りが低くなり、業界ではなく顧客・国民を相手にしなければなりません。また、画一大量でなく多様な要求に答えなければならず、拡大ではなく維持と質の勝負です。
国内の仕切られた競争・成長の時代から、仕切りの低い質の競争への転換です。「ビッグバンの時代」と言って良いでしょう。この変化を先取りし改革したものが、勝ち残り、あるいは国民に評価されるでしょう。過去の成功にとらわれていると、傷口を広げ、国民の負担を増やすのです。その象徴は財政で、公共事業拡大と国債増発でした。行政分野では、ここで取り上げた労働法制以外では、教育・農業などが心配です。そして、公務員制度、霞ヶ関も転換に遅れています。

官から民へ

21日の朝日新聞では、「小さな政府改革、識者3人座談会」「官から民、なぜ今」で、北城経済同友会代表幹事、加藤秀樹構想日本代表、広井良典千葉大学教授が、議論しておられました。
「官から民へ」という言葉は、水戸黄門の「葵の印籠」のように、重宝がられています。私も使っています。もっとも、ここでも議論されているように、詳細は必ずしも詰まっていません。すなわち、なぜ官から民なのか、何をもって政府の大きさを測るのか、縮小すべきは何か、残る国の役割は何かが、問題なのです。
「官から民へ」は一つのスローガンであって、政治家がしゃべる分には良い言葉です。しかし、スローガンであるので、学問的には詳しくは定義された言葉ではありません。そして、この言葉は運動方向(ベクトル)を表しているのであって、対象物や目標は明らかではありません。もっとも、だからこそスローガンとして優れているのです。何にでも使えるからです。
なぜ官から民なのかは、赤字財政でこれ以上、今の財政支出を続けられないからです。また、官が支配することで、民間の活力が削がれるからです。
何を縮小するかは、分野別に議論しなければなりません。安全安心・社会保障などは、そうは縮小はできないでしょう、すべきでないでしょう。今後縮小すべきは、公共事業や産業振興だと思います。そしてこのような縦割り分野別でなく、横割り事務別の切り口も必要です。教育や福祉であっても、民間が実施できます、しています。官がしなければならないのは、その企画と基準作りと検査でしょう。実施は、どんどん民間に委ねることができるのです。
これからの行政や研究者の仕事は、どの分野どの事務を民に切り出すか、それを提言することでしょう。政治家は運動論、官僚と学者は理論編が仕事です。拙著「新地方自治入門」では、第8章で議論しました。機会があれば、もう少し議論を深めたいと思います。このことについて書いた本・教科書って、ないですよね。