公務員制度改革と政治の責任

13日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅先生の「公務員制度改革は大丈夫か」でした。
・・「公務員制度改革に関する政府与党合意」を公務員制度改革に取り組む政治部門の決意表明と考えた場合、率直に言えば、危機感の乏しさが気になる。
第一に、新たな人事評価制度の構築による能力・実績主義の実現が今度の「合意」の大きな柱であるが、その実施主体について全く新しい発想がない。役所と人事院が、それぞれ適宜実施すべしとする以上のものが全く見あたらない。これでは、従来と何が変わるのかと思っても当然である。この改革がどれだけ膨大なエネルギーとコストを要するかについて、深刻に検討した痕跡が見あたらない。霞ヶ関には人事部に相当するものがないし、公務員改革は実施主体のデザイン抜きには現実味を持たないに違いない・・・
第二に、「世界に誇れる公務員」を創るといったレトリックは別にして、霞ヶ関の現状をどう評価するか、どのような処方箋を考えているのかについても、危機感が見あたらない・・われわれが耳にするのは、優秀な人材が相次いで流出し、若い優秀な人材がそもそも集まらなくなった組織というイメージである。その病は深刻である。
その結果、日本政府の国際競争力の劣化は急速に進行している。これは公務員叩きがあらゆるところで、どこまでも続くという社会環境からの当然の帰結である。
国民に代わって公務員を直接に雇い入れ、管理責任を負っているのは政治部門である。公務員制度が劣化するならば、政治部門が国民に説明責任を負わなければならないのは当然である。この筋道からすれば、政治部門が公務員を「叩いて」点数稼ぎをするというのは本来邪道である・・・
正確には、原文をお読み下さい。