カテゴリー別アーカイブ: 社会と政治

社会と政治

伊藤聖伸著『ライシテから読む現代フランス』

伊藤聖伸著『ライシテから読む現代フランス』(2018年、岩波新書)を読みました。ライシテとは、日本では耳慣れない言葉です。「フランスでの政教分離」と訳すとわかりやすいです。「ウィキペディア」。しかし、フランスでは大革命以来、日本では理解できないほどの、厳しい歴史があります。かつて、谷川稔著『十字架と三色旗―近代フランスにおける政教分離』を紹介したことがあります。

政教分離と言っても、各国の歴史的背景、社会での変化によって、状況が異なります。時代によっても変わります。
西欧では、キリスト教が広まる際に、ローマ帝国(皇帝)との戦いがあり、その後、国教となります。中世は、「カエサルのものはカエサルに」と、共存・相互分担でした。王様が、教皇から破門されることもありましたが。フランス革命で、キリスト教は国教の地位を追われます。しかし、教育は実質的に教会が担っていました。国民の多数も、教会に行くのです。その後、教育が世俗化する過程も、興味深い物があります。フランス革命は、身分を取り払うとともに、その支えであった宗教やギルドなど「中間集団」を認めず、国家が国民を直接支配することを目指します。
さて、「カエサルのものはカエサルに」と共存していた政治と宗教が、再度、緊張関係に立ちます。イスラム教徒の増加です。イスラムそれも原理主義は、政教分離でなく、一体です。
またスカーフをかぶることを、政教分離として認めるのか、逆に政教分離だから認めないか。難しい問題が生じます。

日本では、「八百万神」という考えが主流で、どのような宗教も許容します。しかし、スカーフをかぶるイスラム教徒が増加した場合、どのようになるでしょうか。輸血や手術を認めない宗教の信徒が、けがをして病院に運ばれた場合、医師はどのように対処したら良いのでしょうか。「政教分離」では解決しない問題が出て来ます。
「ほかの宗教も認める」という立場だから、複数の宗教が並存できます。「我が神が絶対第一だ。ほかの神は認めない」という宗教だと、政教分離は成り立ちません。

社会の分断や亀裂を、どのようにまとめ、統合するか。そこに、政治の役割があります。宗教は、統合の仕組みでもあり、他者との排除の仕組みでもあります。
ここには書き切れないほど、難しい問題です。新書ですが、深く考えさせる本です。お読みください。

情報保護政策のあり方、各国の文化の違い

3月28日の日経新聞経済教室、山本龍彦・慶応義塾大学教授の「EUの厳格な情報保護 米中と憲法文化の違い背景」が興味深かったです。
情報化の急速な進展によって、個人情報保護のあり方が議論されています。その内容は記事を読んでいただくとして、私が興味を持ったのは、EU、アメリカ、中国が異なった方針をとっていて、それがそれぞれの憲法文化を反映しているという指摘です。

・・・こうしたEUの先進的な取り組みには批判もある。自己情報の主体的コントロールを重視するEUのプライバシーアプローチは、AI社会化を背景に重要性を増すデータの自由な流通や利活用を妨げる可能性があるからだ。確かにEUのように情報に対する個人の「自己決定」の機会を実質化することは、データ流通に摩擦を生じさせかねない。
この点、米国や中国はプライバシーとデータ利活用のバランスについてEUとは異なるアプローチをとっており、世界の情報経済圏は三つどもえの様相を呈しつつある。注目すべきはこうしたプライバシーアプローチがそれぞれの地域の憲法文化と密接に関連していることだ。
ジェームズ・ホイットマン米エール大教授(比較法学)は、EUは「尊厳(dignity)」ベースで、米国は「自由(liberty)」ベースでプライバシーを思考すると指摘する。
もともと貴族の誇りやプライドに由来する「尊厳」は、個人が誇り高く自らの情報を主体的にコントロールできなければならないとの発想に結び付く。「尊厳=個人の主体性=情報自己決定権」という連関は、前述のGDPRの権利概念の中にも垣間見える。
これに対して貴族的伝統を持たず、政府に対する住居の不可侵性を源流に持つ「自由」は、私生活に対する政府の干渉には警戒的になる。一方、民間企業間ないし市場での情報・データ流通には、表現の自由という観点からも肯定的な発想に結び付くとされる。
また中国では、近年財産的な性格も持ち始めた情報を公(政府)が管理・統制し、財産の社会的共有を目指す共産主義的な情報保護政策を進めようとしているかのようにみえる。中国の「デジタル・レーニン主義」は、中国の憲法体制と深く結び付いたこうした情報政策を意味する言葉として理解すべきだろう。
以上のように考えると、EU、米国、中国のプライバシーアプローチの違いは、それぞれの憲法文化ないし憲法体制に関連している。情報経済圏の対立は「立憲」の型を巡るかなり深いレベルでの思想的対立(「尊厳」対「自由」対「共産」)のようにも思える。実際に筆者は海外のシンポジウムなどで、何度かこうした根本的対立の場面に出くわすことがあった・・・

図では、次のように整理されています。
EU=「尊厳」基底的アプローチ、情報自己決定権
アメリカ=「自由」基底的アプローチ、情報・データの自由な流通
中国=共産主義的アプローチ、デジタル・レーニン主義

中国は、「共産主義的」というより「政府管理的」「共産党管理型」と言う方がわかりやすいと思いますが。

社会は変わる、女性が働きやすい社会

2月23日の日経新聞が「M字カーブほぼ解消 女性、30代離職減る 全体では就労7割 働き方改革や採用増」を伝えていました。
15歳から64歳の働く女性の率が、69.4%になりました。5年間で6ポイントも上昇したのです。記事では「海外も含め、歴史的に珍しいペースの上昇だ」と解説しています。
記事にはグラフも付いていますが、かつては30歳代で大きくへこんだ女性の労働力率が、だんだんへこまなくなっています。M字から台形に近づいています。女性の労働力率も、アメリカやフランスを上回りました。女性が働きやすい職場が増えてきたのでしょう。共働きでないと収入が低いという理由もあるようです。

他方で、働くお母さんが増えることに、保育園が追いついていません。2月26日付の朝日新聞は、「「保育園落ちた」今年も 待機児童「ゼロ」、きしむ現場」を伝えています。大幅に保育園を増やしているのですが、追いつかないのです。

・・・2001年に小泉政権が「待機児童ゼロ作戦」を掲げて以来、歴代政権は待機児童の「ゼロ」を約束。安倍政権も13年の「待機児童解消加速化プラン」で、17年度までに「受け皿」を50万人分増やし、ゼロにするとしてきた。
定員は01年度の194万人分から17年度には274万人分にまで増加。計画以上に進んでいるが、子育て世代の収入低迷などで共働きが増え、施設整備が追いつかない。昨春の待機児童は全国で2万6千人を超え、3年続けて増えた・・・

昭和モデル経済の崩壊がもたらしたもの

朝日新聞が経済面で「平成経済」を連載しています。第2部は「昭和モデルの崩壊」です。戦後に生まれ、高度成長を経験し、平成を官僚として過ごした私には、身近な話題ばかりです。経済の変化が政治の変化を生んだ例を、2つ紹介します。

2月11日は「非正社員、守らぬ労組」でした。
戦後、労働組合は、非自民勢力の中核として、輝いた時期もありました。労働者の地位を向上させる、政治では革新的主張をする存在として。
しかし、ある時期から、組合員の既得権を守る保護集団に変化しました。「市民との連帯」も空しくなりました。企業が正規職員の待遇をそれなりに引き上げると、労働組合の存在理由が低下しました。他方で非正規職員が増え、その待遇が問題なのに、労働組合は正規職員を守ることを優先したのです。経済・社会の状況が変わったのに、自らの変革に失敗したのです。
さらに、賃上げについては、近年は政府が主導するという、労働運動からは「奇妙な」構図になっています。

「昔陸軍、今総評」と呼ばれた時代もありました。「スト権スト」を打って、国鉄を長期間止め、国民の支持を失いました。国鉄の労組(先鋭的部分)は、最終的には国鉄解体を招きました。彼らは、自らの行動をどのように評価(総括)しているのでしょうか。
意図したことと全く違った結果を招く。しかも、自らの存立する組織をつぶしてしまう。旧日本軍とともに、政治学や組織の責任者にとって、大きな研究事例です。

2月18日は、「財界、団結から分散へ」でした。
労働組合が強い時代は、経営者側は、会社経営にあっては労働組合との対決、政治にあっては社会党との対決(自民党支援)が重要でした。しかし、労組が力を失うとともに、財界の使命も変わってきたのです。

住まいのない人を引き受ける施設

2月17日の朝日新聞オピニオン欄「最低限の住まいとは」、奥田知志さん(NPO法人「抱樸」理事長)の発言から。
・・・1月に火災が起きた札幌市のそしあるハイムは、「無届け施設だ」という指摘があります。「届けを出さねばならなかったのに、出していない」という批判がこめられていますが、的外れです。「届け出なかった」のではなく、「届け出ることができなかった」あるいは「あえて届け出なかった」のだと思います。

法律に基づき届け出が必要な施設は利用者資格が明確に決まっていて、障がい認定や介護認定がなければ利用できません。つまり、制度ごとの縦割りになっています。そしあるハイムのような、40代から高齢者までいて、住まいの確保から就労支援、食事の世話、介護まで担う施設の枠組みはいまの日本になく、届け出のしようがないのです。

制度の狭間に置かれた、行き場のない人々が増えています。貧困だけでなく、社会参加できない、認知機能に問題がありそうだが介護保険の対象になっていない、家族と縁が切れているなどの複合的な要因を抱え困窮する人たちです。私も北九州市で無料低額宿泊所を運営していますが、公的支援はありません。縦割りで「入居者を限定する施設」ではなく「だれでも入れる施設」が必要だからです・・・

・・・もう一つ、民間施設には残念ながら「貧困ビジネス」もあり、玉石混交です。
そしあるハイムは生活保護受給者でも月に3万円程度手元に残る良心的な価格の施設でした。一方で、食事付きと称してカップめんだけとか、生活保護費を全額徴収し、入居者が自由になるお金がない施設が問題になっています。貧困ビジネスは規制し、必要な施設を応援するルールづくりが求められています・・・