カテゴリー別アーカイブ: 社会と政治

社会と政治

個人情報の組織間共有

日本都市センターの機関誌「都市とガバナンス」第37号に、寺田麻佑・国際基督教大学教養学部上級准教授執筆「異なる組織間における個人情報の取得・利用・共有―ポストコロナ時代の危機管理の課題―」が載っています。

「個人情報の取得や利用、共有は、緊急時において必要となることが多い。しかし、日本においては、組織を超えた利用に関して、各組織において個人情報保護条例や個人情報保護法の解釈が異なる結果、必要な情報が共有されずに緊急に必要な支援などがなされないという事態が発生している。
この点については、2021 年の個人情報保護法改正によって制度改正がなされたこともあり、大きく状況は変わるものと考えられるが、改正個人情報保護法の完全施行前の現在は、自治体・組織間における個人情報の共有にまだ大きな課題がみられる。ポストコロナ時代の危機管理のためにも、緊急時や災害時においては、人命が何よりも優先されることから、個人情報の緊急時における取得・利用・共有については、法改正前からも可能であったことが認識される必要がある。
本論考は、危機発生時の組織間の個人情報の取得・利用・共有について、コロナ対応のための法改正と災害法制を振り返り、通知やガイドラインによって主に共有が促進された現状には限界があることを指摘し、ポストコロナ時代の危機管理としても、緊急時・災害時における個人情報の取得・利用・共有が可能であることについて、法律に明記すべきであることを提案するものである。」

個人情報の組織間共有について、日本の法と条例の課題とともに、ドイツでの実態がまとめられています。

孤独が支えるトランプ現象

4月19日の日経新聞オピニオン欄、小竹洋之コメンテーターの「孤独が支えるトランプ現象 米国の民主主義、岩盤もろく」が、トランプ前大統領を支える国民と社会を分析しています。

トランプ前大統領を支えたのは、優越的地位が揺らいだ白人、格差拡大に不満を持つ貧困層ですが、もう一つは、中高年の白人、退職や離別などの事情を抱え社会的に孤立した人たちです。貧困や格差という経済原因と、孤独・孤立という社会的原因がその基礎にあります。
パットナム教授の「孤独なボウリング」が、説明に使われています。記事には、1990年と2021年の親しい友人の数が比較されています。

連載「公共を創る」で、孤独、社会的つながりの希薄化が個人の不安を増やし、社会を弱くすると説明しています。それだけでなく、民主主義、政治をも掘り崩します。

コロナ対策に見るリスクコミュニケーション

3月26日の朝日新聞夕刊、福田充・日本大学危機管理学部教授へのインタビュー「危機に強い社会になるには」から。

こうした研究を始めた契機は1995年。東大大学院で、メディア研究をしていたころにさかのぼる。
「修士論文を出した直後に、故郷で阪神大震災がおき、調査に入りました。初動対応がもっとうまくいけば助かった命があったのではないか。被災地で怒りをおぼえました。3月には地下鉄サリン事件があり、テロ対策の研究の貧弱さを知り、人の命を救う研究をしようと。それまでのテーマを捨てました」
日本では当時、「危機管理」の研究はタブー視されていた。「テロや犯罪対策は国民を監視するもの、有事を想定するとは戦争ができる国にするためか」と批判された。東大を離れるまでひっそりと研究を続けた。その後、新型インフルエンザが流行し、感染症がテーマに加わった。

新型コロナ発生から3年目。日本の対策は、戦略不在で場当たり的だったとみている。
「飲食店への時短要請や外出自粛など、短期的でミクロな『戦術』しか示せていません。必要なのは長期的な『戦略』なのに、政府は対策の道筋やゴールを示していません」
2012年には、緊急事態宣言もだせる新型インフルエンザ等対策特別措置法ができた。準備がなかったわけではない。
「しかし地方自治体や企業、病院などに知識や議論が共有されていなかった。日本のコロナ対策が比較的うまくいったとされるのは、国民の絶大な協力があったからだ」

その一方でこの2年間、社会全体のために個人の私権制限がどこまで許されるか、犠牲はどこまで許容すべきか。こうした議論はほとんど進まなかった。
「同調圧力というか、空気に支配される国民性のおかげで、マスクを着けるとか外出自粛といった基本対策は進みました。でも個人が考え、意見を出し合い『ここまですべきだ』と決めるリスコミはできていません。これでは民主主義の国といえません。皆で議論し、納得したところで線引きするのが答えで、結論になるのです」

国民の顔色をうかがい、議論の提案を政府が避けてきたとも解釈できる。
「リスクを考えることを避ける国民性のため、合意形成が簡単にできないと政府にはわかっている。支持率が下がるならやめておこうとなる。でもここを打破しなければならない。危機管理できる社会になれば、近代化の階段を上れる。リスコミの民主主義化が必要なのです」

分野ごとに違った主体がつくる世界の秩序

2月4日の日経新聞、イアン・ブレマーさんのインタビュー「米主導の秩序、二度と戻らず」に次のような主張が載っています。

――世界に調和できないルールが乱立するおそれはありませんか。
どんなルールかによる。我々は気候変動についてのルールを作り始めており、その動きの大半は米国の外で起きている。サプライチェーン(供給網)は中国、規格や基準づくりは欧州の存在がそれぞれ優勢だ。どの企業やエネルギーに投資したいかは銀行が決めている。北京とワシントンで「ポスト炭素エネルギー」のルールを決めることにはならない。
一方、将来の安全保障環境では米中の関与が大きい。例えば中国が主張する南シナ海での権益をどう扱うかなどの課題では、多額の軍事費を投じる米中がルールを仕切る。欧州勢や日本は大きな支出もしていないので大きなことは言えない。この分野では米国は非常に支配的な存在だ。

つまり、これから我々は単一で一貫したグローバル秩序ができるのではなく、課題ごとに違ったタイプの参加者がルールを決める時代に入る。
最も問題含みなのがテクノロジーの分野だ。ルールは企業が決めることになる。デジタルの参加者がバーチャルの世界で自治権を行使する一方、いかなる政府部門も何ら大きな影響力を及ぼせない。もしこの傾向が2030年まで続くなら、世界各国の政府はほんの一握りの企業と権力を分け合う。企業はデータに関するあらゆる点で主権を真に握る。

――人類にとってそれは良いことですか。
はっきりしない。いくつかの分野では政府部門の力は衰え、テック企業は一段と自由に振る舞える。テック企業は米中関係でもより大きな役割を演じる。企業はグローバルな「つながり」の確保を重視し(米中による)戦争や冷戦の可能性を下げるだろう。
一方、企業は市民に対してでなく、第一に株主に対して責任を負う。彼らのビジネスモデルが不平等を深め、市民や国家の個別の利益を頻繁に混乱させる。民主主義も確実に傷める。

アメリカ民主主義の危機

2月2日の朝日新聞、スザンヌ・メトラー、コーネル大学教授の「米国の民主主義は危機にあるか 分極化や格差、重なる四つの脅威」から。

――著書で米国の民主主義の「四つの脅威」を挙げています。
「一つは政治的な分極化です。本来、立場の異なる政党があることは民主主義にとって良いこととされてきました。問題は、一つの政党が相手を、自らの生存に関わるような脅威と見なして対決するようになることです。相手をそのように見れば、民主主義を無視してでも相手に勝ち、権力を得ることを最優先しようとします。こうなると分極化は脅威となります」

――ほかの脅威は何ですか。
「二つ目の脅威は、帰属をめぐる対立です。特に社会や政治において力を持っていた集団が、自分たちの地位が危うくなり、力を失うと感じるとき、民主主義など気にかけず、あらゆる代償を払ってでも支配的な地位を守ろうとします。たとえば白人、男性、クリスチャンの中には、高まる多様性が自分たちへの脅威だと感じている人たちがいます」
「かつての共和党の大統領や大統領候補は、こうした帰属意識を利用することはありませんでした。たとえばブッシュ大統領は米同時多発テロの後に、反イスラム感情を鎮めようとしました。しかし、トランプ大統領はこれを利用したのです」
「三つ目は経済的な格差の拡大です。多くの富を持つ人が自分たちの優位を保とうとするようになります。この国では超富裕層は政治的にさらに活動的になり、減税や規制緩和を支持しています」
「四つ目は指導者の権力拡大です。米国では歴史的には議会の権限が大きかったのですが、徐々に大統領の権限が拡大してきました。もし民主主義を守るよりも自らの権力拡大に関心がある指導者が出てきたら、こうした大きな権限を、非常に支配的なやり方で使うことになります」

「米国の歴史を振り返ると、過去にも民主主義の後退が懸念された時代がありました。1850年代には最初の三つの脅威が重なり、南北戦争につながりました。しかし今の米国では四つの脅威が重なっており、民主主義にとって非常に危険な時期です」