カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

日経新聞、大震災復興事業の検証。産業復興

日経新聞の大震災復興事業の検証、2月9日の第2回は産業復興でした。「水産加工の沈下やまず 津波被災地「空白」埋める挑戦

今回の災害復旧復興政策での大きな項目の一つが、産業なりわいの再建支援です。以前の災害では、事業の再建は事業者の自己責任でした。今回、町での暮らしを再開するために、そして地域のにぎわいを取り戻すために、産業再開に国費を投入しました。商店がないと暮らすことができず、勤め先がないと失業します。仮設店舗や工場の無償貸し出し、グループ補助金、二重ローン対策、人とノウハウの支援などです。

これらの支援策も、当初から全体像を持って行ったものではありません。そのときそのときに必要なものを考え、政策として作り上げたのです。従来の「哲学」を変更するには、それなりの理屈が必要です。グループ補助金も、当初は地域の主たる産業を再建するという趣旨(縛り)でした。その後、その条件を徐々に緩めました。
施設設備を復旧しても売り上げが戻らない事業もあり、大企業から人とノウハウの支援をもらいました。これらの支援策を積み上げ、産業なりわい支援を復興の大きな柱の一つとしたのです。参考「復興がつくった新しい行政

これは画期的なことで、関係者からも高く評価されました。ただし、いくつかの課題も見えてきました。
まず水産業では、サンマや鮭といった魚が捕れなくなり、困っています。
グループ補助金では、復旧を目指したので、環境の変化や事業の進化を織り込むことができませんでした。変化の激しい現在の事業環境では、先を読むことも必要なのでしょう。しかしそれは難しいことです。
公共インフラの復旧は、行政が主体になって行うことができますが、産業となりわいは、主体は事業主です。支援はできても、判断は事業主にかかっています。この項続く

日経新聞、大震災復興事業の検証。予算総額

2月8日の日経新聞1面に大きく「震災10年、空前のインフラ増強 予算37兆円超」が載っていました。「東日本大震災10年 検証・復興事業①」とのことです。
・・・3月11日で東日本大震災発生から10年となる。地震と津波に加え、原子力発電所事故まで起きた未曽有の複合災害に対し、政府は37兆円超の予算を投じ復興を進めてきた。前例のない手厚い支援は功を奏したのか。復興事業を検証する・・・

大震災から10年が経つことで、各紙が検証記事を書いています。良いことです。政府が取った政策がよかったか、どこに問題があったかを、調べてください。そして、今後の教訓として欲しいです。
この記事が取り上げている、予算総額とその使い道も、検証対象の一つです。それぞれの事業は必要性があり、無駄には使われていません。その点では、会計検査では適切でしょう。その上で、次につなぐ教訓として、次のような視点を指摘しておきます。

東日本大震災では当初、どれくらいの復興復旧予算がかかるかわかりませんでした。被害総額は試算されましたが、それが政府の復旧事業対象となるわけではありません。インフラはどの程度復旧するのかの判断があり(今回は復旧以上に、復興道路が造られました)、がれき片付け経費、高台移転経費、産業復興支援などは推計の外だったでしょう。

復旧復興事業を進めて行くにつれて、予算額が確定していったのです。いわゆる積み上げです。
他方で、当初見込みで予算総額が仮置きされ、財源が手当てされました。復興増税を国民にお願いし、政府が保有する日本郵政の株式売却益を当てることとなりました。ひとまず必要な財源を、財務省は手当てしてくれたのです。その後の事業費増加についても、それぞれ財源手当てをしてくれました。だから、これだけの事業を実施することができました。

予算を使って行う事業である以上、予算額が上限になります。そしてそれは、財源裏打ちが必要です。次回このような大災害が起きたときに、この総額と財源をどう考えるかが、一つの要素となります。そして、予算額が無限でない限り、事業に優先順位を付けなければなりません。
それぞれの事業は必要であっても、どれを先にするか、あるいはどの事業はあきらめるかです。
東日本大震災では、その時点その時点で必要性を判断しました。走りながら考えたのです。それを積み上げたのが、この結果です。もし予算額に限りがあり、その中から選べと言われると、市町村長はたぶん、被災者支援、住宅再建、産業再開を優先し、インフラ復旧についてはその中で優先順位を付けると思います。
また、各集落を元に戻すのか、他の方法をとるのかなども、検討されるでしょう。これについては、別途書きます。この項続く
参考「復興事業の教訓

自治体の対口支援

2月1日の日経新聞「東日本大震災から10年、災害支援 自治体連携進む」が、よい解説をしていました。

・・・2011年の東日本大震災では関西広域連合の7府県が支援先を分担して責任を持つ「カウンターパート支援(対口支援)」を始めるなど、地方自治体の組織的活動が注目され「自治体連携元年」とも呼ばれる。それから10年。広域連携支援は地震から風水害にも広がり、国も18年に自治体の対口支援を制度化した。しかし大きな被害が想定される首都直下地震や南海トラフ地震への支援体制は曖昧なままで、事前の備えが急務だ・・・

自治体による被災自治体支援は、東日本大震災で大きく進みました。この記事にも書かれているように、特定自治体が長期的に継続して支援してくれると、ばらばらな人が短期間に来てくれるより、はるかに効果が大きいです。これは、個人ボランティアより、組織ボランティアであるNPOが被災者支援の際には効果を発揮することと、並べることができます。また、支援した自治体も、勉強になるのです。
記事には、課題とその後の充実も書かれています。

原発事故被災地での農業再生

2月1日の毎日新聞が「福島の農、復興途上」を大きく伝えていました。
・・・2011年3月の東京電力福島第1原発事故で避難指示などが出た福島県沿岸部で、県外企業が進出してサツマイモの大規模生産を行ったり、ハイテクが導入されたイチゴなどの栽培が始まったりしている。東日本大震災後、風評被害で大きなダメージを受けた福島の農業は今、「再生」の兆しを見せていると言えるのだろうか・・・

具体事例として、菓子製造販売企業と連携したサツマイモの大規模栽培(楢葉町)、農業生産法人の支援を受けた稲作(浪江町、これはこのホームページでもしばしば取り上げています)。その他、イチゴや野菜工場です。
支援してくださる企業に、感謝します。課題は、担い手の確保です。

復興事業の教訓、過大な防潮堤批判

復興事業の教訓、過大な街づくり批判」に続き、「復興事業の教訓」その4です。
次に、防潮堤は過大ではないかという批判についてです。「多額の予算で防潮堤を復旧したのに、後背地に住む住民が少ない。金のかけすぎではないか」というものです。

公共施設災害復旧制度は、戦後70年にわたる経験から、立派な制度ができています。被災後直ちに現場を見て、元に戻す作業に入ります。早く安全な町に戻すためです。例えば2019年の台風19号による、長野県千曲川氾濫を思い出して下さい。堤防が壊れ、濁流が町や農地を呑み込みました。すぐに復旧作業が始められました。

では、なぜ津波被災地では、このような批判が出るのか。災害復旧は、担当部局が被災後直ちに事業に着手しました。安全な町を取り戻すために、急いでくれたのです。これは正しいことです(なお、防潮堤については従来の「これまでの津波に耐える高さにする」という哲学を変更し、100年に一度の津波には耐えるが、それ以上の津波には他の方法を組み合わせることにしました。L1、L2の考え方です)。
他方で町づくりをする復興事業は、今回が初めてでした。復興計画を作り工事を行うために、新たに復興交付金制度をつくりました。
その頃には、復旧事業は進んでいました。復興交付金制度に復旧事業費は入っていません。「なぜ入れないの?」と担当者に聞いたら、「復旧事業は既に進んでいて、これから交付金に組み込むのが難しいのです」との答えでした。私も納得しました。

防潮堤復旧が先に進み、町づくり計画が後から進んだのです。そして、「後背地の町と整合性がとれない防潮堤」といわれるものができました。
では、これまでなぜ問題にならなかったか。これだけ大きな町の復興事業がなかったこともありますが、人口減少が主たる原因です。住民が減らない、あるいは増える町なら、大きな防潮堤を造っても問題にならなかったでしょう。町が縮小するのに、それを考慮に入れずに防潮堤を復旧したことが、このような結果を生んだのです。部分最適が全体最適にならなかった例です。
その点では、宮城県女川町は街並みを中心部に集め、公共施設なども人口減少に対応した町を作りました。

今後の災害復旧事業では、「町が縮小するときに、各種施設を元の大きさで復旧するのが良いか」が問われると思います。それは、防潮堤に限らず、道路、学校、農地などにも当てはまると思います。

追加で、次の問題も述べておきましょう。3万戸の公営住宅を造りました。20年後や30年後に、いくつかの町で空き家がたくさん発生する恐れがあります。入居者に高齢者が多いからです。次の人が入ってくれないと、空き家が増えます。これは、建設時からわかっていたことですが、対処案は難しいです。