「政治の役割」カテゴリーアーカイブ

行政-政治の役割

国際機関で日本人幹部を増やすには

1月8日の日経新聞、「国際機関幹部 増やすには」から。
・・・国際機関の主要ポストをめぐる争いが激しくなっている。米国の国力の衰えに乗じて、中国は影響力を拡大しようと積極的に動いている。世界的な秩序の土台となるルールを定める国際機関で、日本人が活躍していくには、どのような戦略が必要なのか。内外の識者に聞いた・・・

ケント・カルダー氏の発言から。
・・・何をすべきか。豊富な経験を持つ欧州に学び、彼らとの関係を培うのが重要だ。人口規模が小さいスイスや北欧諸国が要職を得ている。国際秩序への関心と貢献への意志の強さがあるからだ。
発展途上国と関係を深めることも大切だ。中国が数多くのポストを得たのは、アフリカ諸国との交流を著しく強化したことが大きい。
国際的な広報活動で、日本はあまりに控えめだ。私は新潟で横田めぐみさんの通った学校や拉致現場を訪れ、拉致問題は非道な人権侵害だと実感したが、世界は日本固有の問題とみている。同様の問題を抱える他国と組み、共通認識を広めるべきだ・・・

・・・教育の問題も大きい。浅川雅嗣アジア開発銀行総裁は米プリンストン大学で教えていた時の例外的な日本人留学生だった。自分の意見を持ち、遠慮なくディベートに臨んでいた。他の日本人は遅れて議論に参加したり、指されるのを待ったりしている。彼らも極めて正しい意見を持ち考察に満ちているが、それでは創造性は十分に発揮できない・・・。

「暴君ーシェイクスピアの政治学」

「暴君ーシェイクスピアの政治学」(2020年、岩波新書)を読みました。これは勉強になります。お勧めです。

著者は、シェイクスピア研究家です。「ヘンリー六世」「リチャード三世」「マクベス」「リア王」「コリオレイナス」等の作品を基に、暴君がいかにして暴君になるのか、権力簒奪者がどのようにして権力の座に着くのかを描き出します。シェイクスピアをこのように読むのかと、感激しました。

指導者になろうとする人の話が嘘とわかっていながら、大勢の人々が信じます。地位も理性もある人が、その者に従います。そして、誰もがそんなことはないと思っていた「ふさわしくな人物」が、指導者に選ばれます。
このような観点からシェイクスピアの戯曲を読むと、出てくるわ出てくるわ。「同工異曲」とも思えるくらいです。
一つの救いは、そのような成り上がりの指導者が、長く地位を保つことなく、自滅することです。

著者は、本書の執筆のきっかけを、「今回の選挙を見て」といった趣旨としています。明言していませんが、トランプ大統領を念頭に置いて書かれたことは明白です。シェイクスピアと著者の警告は、どの時代にも通用するのでしょうが、現在のアメリカだけでなく、その他の国、日本にも当てはまる問題です。

公共政治空間の日米の違い

アメリカでは、ジョー・バイデン前副大統領が、大統領選挙で勝利を確実にして、7日に演説をしました。各紙が、その概要と全文を伝えています。例えば、朝日新聞。副大統領に就任予定の、カマラ・ハリス上院議員の演説も。朝日新聞
日本では10月26日に、菅総理大臣が、就任後初の所信表明演説を行いました。

大統領選挙の勝利宣言と総理の所信表明演説を並べることは、からなずしも適当ではありません。大統領の就任演説と比べる方が、適切でしょう。しかし、ひとまずこの二つを並べてみます。
そこに、二つの国の国政の課題、そして二人の指導者の意識の違いを読み取ることができます。それ以上に、二つの国の政治に関する考え方、政治への期待の違いを見ることができます。民主主義国家、先進国といっても、これだけ「政治」は異なるのです。
参考「曽我記者、「政局」はもういいかもしれない

曽我記者、「政局」はもういいかもしれない

朝日新聞ウエッブ「論座」に、曽我豪・編集委員が、「「政局」はもういいかもしれない」を書いておられます(11月11日掲載)。

・・・「政局」という言葉の意味、みなさんはわかりますか? 自分には謎だった・・・思えば、この数カ月間、政界は「政局」ばかりだった・・・世間に向けて発信する論戦よりも、身内の多数派工作が優先される様は、与野党に共通する。あっちもこっちも「政局」なのである・・・

・・・ただ、それらはいずれも表の論争に依らぬ、水面下の隠微な「多数派工作」に過ぎない。自民党と立憲民主党という二大政党が、明快な政権公約と連立政権構想を有権者に掲げ、政権選択を仰ぐという本来の政党政治のあり方からは、なんとも程遠い「政局」である。
そもそも、自分が投じる一票が、結果としてどのような政権を生むのか、それが十分に可視化されないままでは、安心して投票所に向かうことなどできないのではあるまいか・・・

・・・それにしても、都構想の住民投票にせよ、米大統領選にせよ、事前の予想のいかに空しいことか。
何が争点であり、勝敗によって何が起きるのか、投票に向けてそうした基礎情報を十分に提供するのがメディアの本務であるはずなのに、勝敗の事前予想ばかりが世間を賑わせる。論議が生煮えのまま投票自体がポピュリズムに流れ、なおかつ結果が僅差で終われば、残るのは分断されたという感覚だけ。主権者たる有権者が直接、重要政策や政権を決めることができる民主主義の方策が、かえって対決の火種を残す皮肉な結果となる。

しかも現在は、新型コロナウイルスという未体験の危機の真っ只中である。感染の再拡大が続く諸外国の状況を見ても、拡大防止と経済活動維持の二つの課題を同時に解決する処方箋は簡単には明示できておらず、だからこそ、局面ごとにその都度「最適解」を探り当てる繊細な政策遂行の技術と、国民からの信用が必要となろう・・・政治家も政治記者も、「政局」ばかりを模索し、書いている場合ではない・・・
原文をお読みください。

政治家の資質を語る

10月29日の朝日新聞オピニオン欄、曽我部真裕・京都大学教授の「政治家の資質を語ろう」から。
・・・アメリカ大統領選挙が佳境を迎えている。先月から今月にかけて、大統領候補者同士のほか、副大統領候補者同士のディベートも行われた。その様子は日本でも大きく報じられ、様々にコメントされた。この機会に限らず、大統領候補者は、予備選挙の段階から長期間にわたり、実に多くの機会に国民の視線にさらされ、自らの資質を明らかにすることが求められる。

翻って日本ではどうか。先ごろ行われた自民党総裁選挙で圧勝し、その後首相に就任した菅義偉氏は、就任早々、日本学術会議会員任命問題が生じても記者会見を開かず、その代わりに開かれたと思しき異例の「グループインタビュー」では、下を向いて原稿を読むことに終始する様子が批判された。そもそも首相になってから「たたき上げ」かどうかが論議される有り様であり、要するに新首相は、国民がその来歴や人物像、政治観などをたいして知らないまま最高権力者の座に就いたのである。
直接選挙による選出ではないとはいえ、民主主義国家において、これは戦慄すべきことではないだろうか。

考えてみれば、新聞やテレビ報道で、政治家の資質に関わる情報が伝達されることは少ない。広く視聴される番組で取り上げられるのは、アイドル的人気を博して興味が寄せられる場合のほか、耳目を引く過激な発言をしたり、不祥事を起こしたりした政治家のことなどである。他方、しっかりした討論番組も確かに存在するが、視聴者層に広がりを欠く。
また、新聞ではそもそも政治家、とりわけ今後のリーダーと目される人物にフォーカスした記事が掲載されること自体が稀であるようである。

企業経営者に関しては、ビジネス雑誌等が盛んにインタビューを行い、その来歴、経営哲学、愛読書等々が数多く記事化されるのとは対照的である。もっとも、インタビューは難しい。熟練の聞き手がしっかり準備した上でないと、単なる宣伝の場と化してしまうからだ。
メディア以外に目を向けると、もちろん政党は、人材の発掘・育成、リーダーの選抜に大きな責任を負っている。メディアを含め、外部の目にはどうしても行き届かないところがあり、政党内部の同僚議員からの評価は非常に重要である。多角的で公正、かつ長い目で政治家を育てる姿勢が政党には求められる・・・

参考「最高裁判事の任命