カテゴリーアーカイブ:政治の役割

対話の必要性

2021年6月3日   岡本全勝

対話の技法」の続きです。納富信留教授は、次のようにも発言しておられます。

・・・変化の激しい現代は、権威主義体制の方が素早い決断ができるので、民主主義体制の側が負けてしまうとの危機感があります。「1時間議論して得られた決定と10時間議論して得られた決定が同じなら、1時間で決まった方が効率的じゃないか」という、時間と効率の発想があります。しかし、これはまずいんじゃないか。
皆が意見を出し合い、一緒に考えることは、仮に自分とは反対の意見が最後に通ったとしても、自分も一員として参加したという意識を生みます。その決定について「自分に責任がある」という自覚をもたらします。これは、少数者の勝手な決断によって皆が納得できずに不満がたまり、かえって後始末が大変になるより、長期的には効率的ではないでしょうか。
格差問題を考え、社会的弱者を救済するといった議論でも、専門家任せにするのではなく、皆が参加することが、社会を大きく変える力になります。皆を巻き込んで議論すること自体、共感や「気づき」を生む。それが弱者にとって励みになることもあります・・・

大震災後の町の移転復旧の際にも、これを考えました。「政府が、移転先を決めれば、早くてよい案ができる」との意見がありました。しかしそれでは、住民が満足しないでしょう。全員の意見が一致する移転案は難しいです。そして、他人から与えられた案だと、文句だけを言っておればすむのです。それは、民主主義の思想に反します。

対話の技法

2021年6月2日   岡本全勝

5月30日の読売新聞、納富信留・東大教授の「なぜ言葉を交わすのか 対話 生き方に関わる技法」から。
・・・人と人とが自由に言葉を交わし、意見をぶつけ合い、相互理解を図ることは、民主主義社会の根幹をなす。コロナ禍にありながらも、ツイッターなどのSNSやオンライン会議の普及は、人々が言葉を交わすのを容易にしている。だが現代の日本で、本当に対話といえるものは、どれほど成立しているだろうか。一見、対話しているようで、実際は対話になっていないケースも少なくないのではないか・・・

・・・対話が大切であると、よく言われます。政治の場でも教育現場でも市民社会の集会でも、しばしば強調されます。現代は誰もが自由に発言できて、対話のしやすい時代になったように見えます。けれども、いま増えているのは、むしろ「対話嫌い」「言論嫌い」ではないでしょうか。
対話をすれば問題がすべて解決するとは限りません。また対話が成立するには、心構えが必要になる。なのに準備や技法を持たないまま、対話をしようと掛け声ばかりかけられるので、結局うまくいかない。かえって「対話しても仕方ない」という風潮が生まれているように思います・・・

・・・では、対話が成り立つには、何が必要になるでしょうか。
まず、対話者が特定の少数者であること。通信ネットワークの広がりで不特定多数ないし匿名の相手に向かって話す文化が広がっていますが、これは本来の対話ではないと私は考えます。語る相手が一人の人間、人格として扱われないからです。ソクラテスは「魂に配慮する」、魂と魂が向き合うのが対話であると考えています。
次に、対話者同士は対等でなければなりません。人が言葉を交わす時は、親と子、上司と部下、先生と生徒というように、立場やステータスに基づいて行われることが多い。そうすると力関係が入り込んでしまい、対話というよりも説教や指示になりがちです。言葉遣いも攻撃的になったり忖度そんたくや迎合になったりする。そうではなく、立場を超えた「私」というものがあり、裸の人間同士として向き合い、「相互に」言葉を交わすということが求められるのです。
もう一つ必要なのは、共通のテーマを立てるということ。共通の主題を掲げて、お互いに考えていることをぶつけ合う。それが対話の基本です。そこでは、必ずしも問題の解決が図られるわけではない。同じ問題に対話者がともに向き合うというのかな。そういう場が重要なのではないか・・・
この項続く

学校での政治教育

2021年6月1日   岡本全勝

5月29日の朝日新聞読書欄、阿古智子さんによる「教室における政治的中立性」について。
・・・ 対立や問題からこそ、学びが生まれる。より多くのことを知り、理解できるようになるというのに。
人々が均質的な共同体に移行し、政治的対立に反対する傾向は、アメリカでも顕著だという。分裂した社会では、政治が二極化しやすく、重大な問題への解決策を生み出せなくなる。
著者は社会に「適合する」ことを示唆する「公民教育」と学校の外の政治的世界に真っ向から取り組む「民主主義教育」を区別し、横断的な学びを模索する。
イデオロギーが「左」または「右」に傾く学校でも、生徒たちは多くの問題への態度を決めきれず、そこに論争的な問題の議論の余地を見いだしていた。日本の多くの学校現場では、政治的中立性維持のため、教師は意見を伝えるべきでないとされるが、本書は、教師の意見表明が生徒の学びに及ぼす影響や効果を実証的に明らかにした・・・

・・・生徒全員が同性婚の合法化に反対というキリスト教の高校の教師は、卒業後の世俗的な環境(大学など)に向けて、生徒が自分で考える力を育てようとした。重要な問題を、他人任せにしてはならないからだ。
学校が論争的な政治問題を教えることをためらうならば、民主主義の担い手が育たない。公共の課題に対する熟議が進まないことは言うまでもない・・・

政治をできあがった制度として教えるだけでは、民主主義を教えることはできません。「無菌培養」で育てた生徒を、「細菌」がいっぱいある社会に放り出すことは、罪です。「細菌」には、善玉菌も悪玉菌も、無害なものもあります。しかも、その「細菌」は避けることはできない、いえ避けずに参加して、判断しなければならないのです。

新型コロナ対策、日本の医療体制

2021年5月31日   岡本全勝

5月29日の読売新聞1面、山口博弥・編集委員の「医療とワクチン 総力戦で」から。
・・・健康保険証さえあれば、いつでも、どこでも、安い自己負担で同じ質の医療が受けられる――。わが国で1961年にスタートした国民皆保険制度は、日本人の平均寿命を世界トップクラスに引き上げ、医療の評価を国際的に高めた。
だが、新型コロナウイルスの感染拡大で、非常時における日本の医療体制のもろさが浮き彫りになった。コロナ患者用の病床や医療スタッフを機動的に確保できず、調整する司令塔もいない。受け入れ病院で目詰まりが起き、本来救えたはずの命が失われる悲劇も起きた・・・

日本の医師は、どの地域で、どの診療科で働くかを選べる自由がある。民間病院が8割を占めるため、国や自治体からコロナ医療やワクチン接種の業務を強制されることもない。
カルテ開示、医師不足解消のための計画配置、専門医制度……。様々な法制化が議論される度に、日本医師会や各専門学会は「我々が自主的に取り組むから、規制は不要」と反対した。
背景にあるのは、「プロフェッショナル・オートノミー(職業的自律)」と呼ばれる医師の行動原理だ。患者の利益のため、外部の規制を受けず、自らの職業倫理に従って動く――。
菅首相は先月末、日医などにワクチン接種への協力を要請した。もちろん、すでに大勢の医師が現場で身を削っている。だが、世界に誇る日本の医療制度を維持したいのなら、さらに多くの医師が、職業的自律の理念で国の要請に応える責務があるのではないか・・・
全文をお読みください。

現在のコロナ対策の課題は、感染拡大防止、医療逼迫対策、ワクチン接種、そして国民の理解でしょう。先進各国より患者数が少なく医師も多いのに、医療が逼迫するのは、理解しにくいです。

子どもへの政治教育、スウェーデン

2021年5月20日   岡本全勝

5月14日の朝日新聞「ひと欄」に、リンデル佐藤良子さんの「スウェーデンの民主主義教育を日本に紹介する」が載っていました。
・・・スウェーデンの若者・市民社会庁が出した主権者教育の指南書「政治について話そう!」を仲間と協力して訳し、クラウドファンディングで世に出した。「この国では就学前の保育園から民主主義を教える。日々、水を飲むように民主主義に接するんです」・・・

インターネットで探したら、本屋には売っていません。クラウドファンディングで出版され、無料で読むこともできます。
「スウェーデン若者市民・社会庁(MUCF)からは、翻訳の許可はいただいていますが、出版にあたっては商業目的にならないように、とお達しをいただいているので、費用はすべて実費と手数料に充てます」とのことです。

日本では、欧米に追いつく際に、「できあがったもの」として民主主義を輸入したようです。世間には、公共の事柄に関して、さまざまな意見を持つ人がいること。その際に、どのようにして、意見の違う人たちの間で結論を出すか。その過程を教えないと、民主主義は実体化しません。この本には、「学校は価値中立ではない」との言葉が出てきます。
学校で、知識を教え込むことに重点を置き、討議することや自分で考えることは少ないです。知識を教え込むには効率的ですが、自分で考えることは不得手になります。
政治教育についても同様で、政治制度は教えても、政治過程の実践的教育をしないことも、課題の一つでしょう。