ムラ型政治の限界

2月11日の日経新聞、芹川洋一さんの「森氏発言、ムラ型政治は通用しない」から。

・・・鎮火するどころか火は燃えさかるばかりだ。東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長による女性蔑視と受けとれる発言をめぐる国内外からの反応である。ただ火が消せない背景にはけっこう根深いものがある。そこには日本政治の姿が凝縮されているからだ。
発言を撤回し謝罪することでとりあえず乗り切れると森氏と周辺は踏んだに違いない。たしかにひと昔だったら、そうなっていたかもしれない・・・

・・・底流にはもっと本質的な問題が横たわっている。ムラ社会を合意形成のモデルとする自民党の基本原理そのものにかかわってくるからだ。
その主なものは、当選回数が多い議員が一目二目おかれる長老支配、GNPとやゆされる義理と人情とプレゼント、そして全員一致原則である。
全員一致にするためには裏でさまざまな技はつかうが、落ちつけば表では「わきまえて」とやかくいわないのがムラの掟だ。だから党大会はシャンシャン大会になる。
古くは派閥のことを「ムラ」とよんだ。5つや6つの小さなムラが集まったのが自民党という大きなムラだった。森氏は今なお自民党のムラ長(おさ)だ。ムラビトからはおのずと「村長さんは失言したが、謝ったのだから大目に見よう」という話になる。それは仲間内の論理だ。
日本が外に向かって閉じていた時代、封建制をひきずる古いジャパニーズ・スタンダードの世ならば通用したのかもしれない。
しかし世の中はすでに2回転ぐらいしている・・・