政権(与党)民主党が、参議院選挙に当たって、消費税の増税を公約に掲げました。野党自民党も、10%への引き上げを公約にしました。いよいよ、増税が動き出します。
高度成長期以来、日本は、本格的増税をしたことがありません。大平首相が、消費税を掲げて選挙を戦ったことはあります。ガソリン税やたばこ税を、値上げしたことはあります。しかし、個人所得課税、法人課税、資産課税、消費課税の基幹税目で、本格的な増税をしたことがないのです、消費税を3%で導入した時も、5%に引き上げた時も、増減税同額か減税先行でした。
半世紀にわたり、行政サービスを増やしながら、どうしてそんなことができたか。まず、経済成長期は、減税をしても税収は増えました。バブル崩壊後は、借金=国債と地方債で賄ってきました。これは、世界の歴史でもかつてないことであり、現在の借金財政は世界でも例のないものだと思います。代表制民主主義が、課税に対する国民の同意を取り付ける制度だと考えると、日本の国会と地方議会は、十分にこの機能を果たしてきませんでした。
増税を掲げて選挙を戦い勝った例としては、ドイツのメルケル首相があります。彼女は野党の時に、増税を掲げて闘いました(「責任ある政治」2007年3月23日の記事)。重要な政策について、与野党が共同して議論した例では、スウェーデンの年金改革があります。
もちろん、実現までには、まだいろいろな過程があると思いますが。数年前までの議論を考えると、ようやくここまで来たか、と感じます。
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行政-政治の役割
医療制度見直し・借金のつけ回し
13日の日経新聞に、大林尚編集委員が、後期高齢者医療制度の政府与党見直し案について、「応分の負担、根幹崩すな」を書いておられます。
・・これほど評判の悪い制度も珍しい。野党や一部メディアから「姥捨て山」「家族の分断」などという批判が渦巻いた。だが、この批判は必ずしも的を射ていない。
・・膨張が避けられない医療費を各世代がどう分かつかを考慮した結果、この制度に行き着いた。対象を高齢者に限っているだけに、年金が少ない人の負担をある程度軽くする必要はある。しかし見直し案は、負担軽減策をちりばめたように見える。しかも、2008-09年度に必要になる約890億円をどうやって調達するか、明示していない。与党の文書は「財源措置は政府の責任で適切に対処する」と、人ごとのような書き方だ。
・・財政規律回復へのタガが外れたといっていい。それは将来世代への借金のツケ回しを意味する。
・・悪評がいっこうに収まらないのは、野党のネガティブキャンペーンに押されて、与党が防戦一方になっているのも一因だ。ここは無責任な批判を逆手にとって、将来世代のためにも高齢者層に相応の負担を求める意味を、愚直に説明する粘り強さが、政権与党に必要だ。
文明的課題と政治の対応
8日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅先生の「押し寄せる文明的課題」でした。一部分だけ紹介します。
・・1970年代、文明の転換を予感させるような時期があった。それは政府によって管理された国民経済体制の内部対立を激化させ、やがて「小さな政府」論やグローバル化へと道を開くことになった。政府よりも市場に問題解決を委ねるという発想が優位を占めた。今回はグローバル化が十分に進んだ上での資源高、環境破壊、食糧危機であり、グローバル化のチャンピオンである金融市場が投機的な傾向を促し、問題の深刻化に一役買っている。
市場の問題解決能力に任せるよりも、むしろ市場に立ち向かう政策が必要だ。仮にそこに、政治が問題の切り分け役として登場するとした場合、ある程度科学技術によって対処できるが、同時にわれわれの「生き方」や発想の転換に関わらざるを得ない。従って、70年代とは異なり、市場の問題解決能力をもっと限界的なものとして、位置付け直す方向が出てきてもおかしくない。
今や、小泉時代の政策論議とは全く違った文脈での、政策マンの時代が始まりつつある。日本の官僚制に本当の能力があるとすれば、今こそ実力を見せるべき時である。
政策を鍛える責任
日経新聞6月8日の経済教室、田中直毅さんの「永田町も『失われた20年』」から。
・・鳩山由紀夫政権は、わずか8か月余りで終わった。その原因は、野党時代の民主党が「鍛えられていなかった」ことにつきる。日本では欧米と異なり、野党の政策提言能力を鍛えることを通じて政府に緊張感を抱かせ、民主主義の政治空間を活性化させるという手法が根付いていなかった。そして鍛えられていない野党が政権を奪取した結果、一国の政権という「重さ」に耐えきれなかったのである・・
・・「野党を鍛える」開かれた言論空間をつくりあげるうえで、学界や政策研究集団に大きな欠陥があったという問題もある。自民党と社会党が日本の政治を代表した、いわいる55年体制においては、政権交代が現実的なテーマではなかった。そのため、野党を鍛える言論空間の意味は乏しかったのかもしれない・・
・・この状況からの脱却には、学界にも言論界にも、相応の責任があるといわねばならない。今後は学界・言論界が野党の議員や政策スタッフも巻き込んで、公共空間を通じた政策形成過程を具体的に提示し続けなければならない・・
リスクを取らずに成果を得る?
28日朝日新聞「加藤駐米大使、離任前に聞く」「リスク・ゼロ外交、転機」から。
「大使は日本が国際社会で役割を拡大するに伴い、もっとリスクを取るべきだと主張しています。具体策は」という問いに対して。
「日本のこれまでの外交は、最小のコストで最大の利益を上げたという意味で、まれにみる成功例だった。ただ、今後は日本として打開すべきものがあると思う。
軍事作戦に参加して死傷者を出せと言っているわけではない。が、国際的により高い評価を得るためには、これまでやらなかったことで少し踏み込むことがあってしかるべきではないか。国連平和維持活動(PKO)も含まれるだろうが、環境、経済協力の問題も、安全とは絶対に切り離せない時代になってきた。「リスク・ゼロ」も一つの選択肢だが、日本人はおそらく満足しないと思う。」
私は今、大連載で、戦後日本の成功の裏で、日本の政治が何をしなかったかを書いています。連載ではすでに書きましたが、日本の政治がしなかったことの代表例は、国際的には人的貢献で、国内では増税です。二つとも、負担を避けたのです。国際貢献は、徐々に方向転換しつつあります。詳しくは、連載の第3章三で述べます。
2日の日経新聞経済教室は、岩本康志教授の「ねじれ国会の政治経済学」でした。アメリカで大統領支持政党と議会多数派が一致しない場合が多いことを取り上げて、分析しておられます。