カテゴリー別アーカイブ: 日経新聞夕刊コラム

日経新聞夕刊コラム第17回

日経新聞夕刊コラム第17回「この国のかたち」が載りました。前回に引き続き、日本の行政論について書きました。

「この国のかたち」という表現は、司馬遼太郎さんのことばです。
明治以来、欧米先進国から制度を輸入し全国に広めることが、日本の行政、大学、企業の仕事の仕方でした。「制度輸入、全国均てん」方式です。官僚、大学教授、企業の選ばれた職員が、欧米に留学し最新知識を持ち帰りました。
そして、大成功しました。しかし、先進国に追いついたことで、この手法は役割を終えます。たぶん1970年代から1980年代でしょう。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という表現は、「もうお手本はなくなった」ということを表していたのです。最後に「輸入」した行政制度は、2000年に開始した介護保険制度だと思います。

今回のコラムには書けませんでしたが、ジャパン・アズ・ナンバーワンが成り立ったのは、前にお手本があったこととともに、後ろから追いかけてくる国がいなかったからです。
台湾、韓国、そして中国が、それぞれの国内事情で経済発展が遅れました。これらの国々が経済開発に舵を切り、日本を追いかけてきて、日本の一人勝ちはなくなりました。
もっとも、これらの国々も、後発利益で快進撃を続けている限りは、日本と同じ道を歩むでしょう。すると、いずれ天井に当たります。それを避ける、あるいは突破するためには、新しい産業モデル、社会モデルをつくらなければなりません。
アメリカは、新しい産業に挑戦しています。IT、ハリウッド、バイオなどなど。また、それらを生みだすような「競争社会」です。それらと同じ土俵で競争するのか、別の社会を目指すのか。それも含めて「この国のかたち」をつくらなければなりません。

日経新聞夕刊コラム第16回

日経新聞夕刊コラム第16回「未来との対話」が載りました。今回は官僚らしく、日本の行政論について書きました。もっとも、夕刊のコラムですから、そんな難しい話ではありません。また最近のニュースになっている「事件」についてではなく、もう少し長い時間で考えていることを書きました。

「歴史とは現在と過去との対話である」は、E・H・カー著『歴史とは何か』(邦訳1962年、岩波新書)に出てきます。よく引用される文章です。
「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」
An unending dialogue between the present and the past.

歴史は機械仕掛けのように進むものではなく、そこに人間の営み・作為が反映されます。社会と暮らしを良くするのか、あるいは悪くするのか。過去は変えることができませんが、現在と未来は変えることができます。
歴史を見る際にも、カーが言うように、客観的事実の羅列でなく、現在の私たちの問題関心に立って、過去を切り取ります。
すると、重要なのは、「現在の問題は何か」「良い点と悪い点は何か。良い点はどのようにしてできたのか、悪い点はどのようにして改良すべきか」を考えることです。それは政治の役割、政治家の役割ですが、それを考えて支えるのが官僚の役割です。

今回のコラムは、社会を良くすることを考えるという官僚の任務、成功した「近代国家形成、豊かな社会実現」、現在の官僚の自信喪失、これからの課題への取り組みの「未来との対話」、具体的例としての「国民生活省構想」を盛り込みました。少々、欲張りすぎましたかね。
国民生活省構想は、何度か書いたことがあります(2012年9月18日の記事)。

日経新聞夕刊コラム第15回

日経新聞夕刊コラム第15回「新聞の読み方」が載りました。今回は、私の「副業」(本業以外の仕事という意味です)である、大学での講義です。あわせて新聞の読み方と、2つのことを盛り込みました。

大学での講義は、結構な負担です。知っていることと、それを話すこと、さらにそれを理解してもらうことは、違います。しかし、自分の考えを整理する良い機会です。
学生たちに通じているか。毎回それを探りながら、話をしています。うまく伝わっている時は、うれしいし、話が進みます。通じていない場合は、学生が悪いのではなく、話している私の技術が悪いのだと、反省しています。大学院生や専門家が相手なら、どんどん難しい話ができるのですが。

ここに書いた新聞の読み方は、私流です。人それぞれの流儀があるでしょう。
でも、毎朝にその日のニュースの一覧を見ること、解説などはじっくりと読むこと。これらを両立させるためには、ここに書いた「全勝流」が効率的だと考えています。
文中に使った日経新聞の読者データは、「わかる!日経」p14左下です(私の文章では四捨五入してあります)。

日経新聞夕刊コラム第14回

日経新聞夕刊コラム第14回「新人諸君へ」が載りました。
4月、新年度が始まったので、この話題にしました。会社員も学生も、新入生は期待に胸を膨らませていると思います。他方で、ちょっぴりの不安も。私もそうでした。

私は若いときに、2度、出社恐怖症になりました。先輩が相談に乗ってくれて、脱出することができました。
いろんな経験をして、「皆、同じようなことで悩んでいる」「悩みの種は本人にとっては大問題だけど、経験者から見ると大した問題ではない」「相談に乗ってもらうと、乗り越えることができる」とわかりました。それを、『明るい公務員講座』に書きました。

本屋には、たくさんのビジネス書が並んでいます。しかし、意外と若手職員向けのものはありません。初歩的な悩みについては、あまりに基礎すぎて、書かれていないのです。先輩たちは、みんな経験で身につけたことなのです。それを、本にしました。
拙著について「平凡なことしか書いていない」という批評がありますが、その通りです。経験者にとっては当たり前のことを書いたのです。しかし、若手はそのようなことで悩んでいるのです。

何人かの人から、「この本を読んで、救われました」とお便りをいただきました。お役に立てて、うれしいです。
この本は公務員向けに書きましたが、民間企業でも同じです。若手社員だけでなく、彼らを指導する立場の人にも読んでもらっているようです。
どうか、悩んでいる後輩たちの相談に乗ってやってください。「何だ、そんなことに悩んでいるのか」というようなことで、彼ら彼女らは悩んでいるのです。

先月、『明るい公務員講座』の続編『明るい公務員講座 仕事の達人編』を出版しました。こちらも、ご利用ください。

日経新聞夕刊コラム第13回

日経新聞夕刊コラム第13回「帽子」が載りました。前回に引き続き、私生活についてです。
服装は、かっこよい先輩たちを見て、学びました。父親は、勤め人でなかったので。ネクタイの締め方から始めました。
もっとも、私のセンスは悪いらしく、若いときはキョーコさんに叱られてばかりいました。その後は、キョーコさんの指導に従っています。ネクタイの例

スーツでなく上下そろいでない服は、国会議員からもしばしば「どうしたの」と尋ねられました。「いや~、上下そろいで買うお金がなくて」と笑っておきました。今日も、春らしく、明るい上着にしました。
帽子は、若いときから時にかぶっていたのですが、40歳過ぎから毎日かぶるようになりました。「夏は直射日光を避け、冬は寒いので」というのが、聞かれたときの答えです。「ボルサリーノ

紺のスーツは勤め人の基本形です。新人のうちは「とりあえず」紺のスーツが無難です。しかし、いつまでも「考えない」はこまります。「とりあえず紺のスーツ」は、飲み会の際の「とりあえずビール」と同じですね。まあ、趣味と言えばそれまでですが。
第9回の「仕事人間の反省」で、スーツとパジャマとスポーツウエアだけで過ごす勤め人を批判しました。その点にもつながります。制服は、思考停止になります。

ところで、東京では公立の小学校の、高価な制服が話題になっています。生徒に立派な制服を着せるのですから、教職員はお手本となるように、もっと立派な服装あるいは制服を着ておられるのでしょうか。
教育現場に詳しい人に、一般的な学校の先生の服装について、聞きました。
「例えば、スーツに白い運動靴。校内での上履きは運動靴の先生も多いです。子どもたちと一緒に動く関係上 仕方がない面もあるのかもしれませんが。
体育の時間でもないのに、ジャージで一日過ごす先生なども おられます」とのこと。

早いもので、この連載も、もう13回。3か月が過ぎ、折り返しです。