カテゴリー別アーカイブ: 寄稿や記事

雑誌への寄稿や取り上げられた記事、講演録など

日経新聞夕刊コラム第2回

日経新聞夕刊コラムの第2回目「暗闇の灯台になる」が載りました。前回に続き、大震災直後の話です。
当時は、「未曾有」とか「想定外」という言葉が、よく使われました。しかし、想定外のことは起こります。その際に、責任者は何をするべきか、何を考えるべきか。私の経験を伝えたくて、この話題を選びました。
個別の案件を処理するのが、トップの仕事ではありません。たくさんの課題を円滑に処理できるように仕組みを作ること、かつ混乱している中で優先順位を付けることが、仕事です。そのために、そのようなことができる組織をつくることが重要です。

私がしたのは、それをしてくれる2人を呼んできたことです。
組織が出来て(作りつつですが)、仕事の流れができれば、それぞれの担当者が処理してくれます。そして、彼らが判断できないことを私が判断する、あるいは大臣に相談すれば良いのです。
あわせて、ここに書いたように、国民に私たちの存在を知らせる必要がありました。それが「灯台」です。関係者に「手形交換所」を知らせることも必要でした。

文中に出てくる2人は、山下哲夫・行政改革本部参事官(現・総務省行政管理局長)と、福井仁史・内閣府公文書管理課長(現・国立公文書館理事)です。
被災者生活支援本部の記録、下(事務局風景)の真ん中の写真で、左奥時計の下のスーツ姿と、左手前資料を持って歩いている姿です(2011年3月24日)。発足当時は彼らは机もなく、立ったままで、あるいは空いている席を見つけて仕事をしていました。
下左の写真、手前真ん中が私の席ですが、座っていませんねえ。指示を書く罫紙と万年筆とサインペンが載っています。この騒々しさの中でしゃべるので喉を痛め、ペットボトルの水が必需品でした。
下右の写真は、しばらくしてから移った執務室です。服装を見ると、初夏の頃でしょうか。
1月16日に続く。

日経新聞夕刊コラム第1回

今日1月4日付けで、第1回「前例はない」が載りました。今回は名刺代わりに、大震災直後の話を書きました。
私の官僚生活の一番の思い出が、東日本大震災対応です。当時のことを広く知ってもらおうと思い、この話題を選びました。読者も、この話ならわかりやすいと思いました。お正月の4日から、このような話題で良いのか、少し悩んだのですが。
紙面では、顔写真付きです。

日経新聞夕刊1面コラム「あすへの話題」連載

2018年1月から6月まで、日本経済新聞夕刊1面コラム「あすへの話題」を毎週木曜日に執筆しました。日経のウエッブサイトでも読むことができます。
このホームページでは、「補足説明」も書いておきます。

(連載一覧)
1 1月4日 前例はない
2 1月11日 暗闇の灯台になる 追記
3 1月18日 企業の貢献
4 1月25日 鯉が包丁を持つ
5 2月1日 お詫びの訓練
6 2月8日 職場の非常識
7 2月15日 私設ホームページ
8 2月22日 いつ寝るか
9 3月1日 仕事人間の反省
10 3月8日 3.11から7年
11 3月15日 社会の財産
12 3月22日 フルート
13 3月29日 帽子
14 4月5日 新人諸君へ
15 4月12日 新聞の読み方
16 4月19日 未来との対話
17 4月26日 この国のかたち
18 5月10日 自治体と企業
19 5月17日 NPOの活躍
20 5月24日 高円寺のカエル
21 5月31日 仏像
22 6月7日 内閣官僚
23 6月14日 鷹の目と象の時間
24 6月21日 明日香村
25 6月28日 人間修養道場

5月3日 番外編1(執筆に当たって、主題とオチ)
6月30日 番外編2(連載を終えて、分類など)

河北新報フォーラム「被災地と企業」詳報

27日付けの河北新報に、20日に行った公開フォーラム「トモノミクス 被災地と企業」の詳報が載りました。
私の基調講演も、簡潔にまとめてくださっています。見出しは「公を支える民間拡大」「つなげる機能重要」です。

住みよい地域社会をつくるのは、行政だけでなく、企業もNPOも大きな役割があることが、この大震災を通して理解されました。社会は、公私の二元それも二つが対立するものではなく、官共私の三つが協力することで成り立っています。
このような企画を通じて、世間に広がると良いですね。

NHKインターネットにインタビューが載りました。

NHKのインターネットニュースのWEB 特集「原発被災地 どう進める住民の帰還」に、私のインタビューが載りました。帽子姿の写真付き、関西弁ありの記事です(NHKで、こんなのは良いのですかね。苦笑)。

原発事故対応は、発災当時から私の所管ではありません。原子力災害本部やその事務局、原子力被災者生活支援チームの担当です。とはいえ、避難された方の支援(原発事故からの避難か、津波災害からの避難か区別しなかったのです。それどころではなかったですから)や、被災地の復興は、私の所管でした。
今回は、記者の求めに応じて、私の知っていることと私の考えを述べました。

補足します。帰還するか、新しい生活を選ぶか、決めることができない人への支援についてです。
仮設住宅や見なし仮設住宅に入っておられて、次の生活の判断がつかない方は、原発事故だけでなく津波避難者にもおられます。高齢で次の生活をどうするか悩んでおられる方も多いです。先行した市町村、例えば仙台市では、仮設住宅を各戸訪問して、相談に乗りました。場合によっては、社会福祉でのお世話をする場合もあります。仙台市ではこの結果、すべての仮設住宅を解消しました。その他の自治体でも、同じような取り組みを進めています。

原発事故で避難しておられる方は、津波避難とは違った不安や、相談相手がいないという不安も持っておられます。市町村や支援してくださっているNPOの力を借りて、相談に乗り、新しい生活に移ってもらうと考えています。仮設住宅に長期間入っていることは、精神的に負担がかかり良くないことだと、専門家は指摘します。その通りだと思います。