カテゴリーアーカイブ:社会の見方

感染者を責める社会

2020年10月18日   岡本全勝

10月9日の朝日新聞オピニオン欄「新型コロナ 感染者を責める私たち」、
三浦麻子・大阪大学教授の発言から。
・・・「被害者たたき」という現象で説明するのが分かりやすいでしょう。女性が夜間に通り魔事件に遭うと「深夜に出歩くのが悪い」と責められることがある。心理学では、本来守るべき被害者を非難する心の動きを「公正世界信念」という考え方で捉えてきました。

世界には公正な秩序があると信じることで、私たちは安心して暮らせています。しかし「公正なはず」の世界で不運に陥る人を目の当たりにすると、大きな不安に襲われる。すると人の心には、「被害者は特別。正しく生きていればそんな目には遭わない」といういびつな事実認識をして、自分にとっての安定や秩序を取り戻そうとする力が働いてしまうのです。
感染者のニュースを見て、「我慢せず遊びに行ったから」「なにか不注意があったはず」といった理由づけをしたことはありませんか。未知のウイルスなど予測不能な状況に直面したとき、人間はそこに架空でも何らかの因果関係を仕立てて理解しようとする。そうすることで自分を「守った」気持ちになるのです。

これが、不運な被害者にもかかわらず、コロナ感染者を責めてしまう心のメカニズムです。しかし、その心の動きが「人間の性」であっても、それがむき出しとなり、誹謗中傷や差別という行為にまで至れば、感染者はより深い傷を負い、社会のつながりもずたずたになる。感染を隠す人が増えれば公衆衛生的にも悪影響です。

コロナ流行下で私たちの研究グループが実施した調査では、日本は他国に比べ、この「責める」意識が強いという結果が出ました。3、4月に日米英中伊5カ国の約2千人にした調査で、「感染した人は自業自得か」という質問に「そう思う」と答えた人は、欧米3カ国で1~2・5%、中国4・8%に対し、日本では11・5%。7月の調査でも同じ傾向でした。
なぜ日本人は「責める」傾向が強いのか。規範意識が高いといった説明はありえますが、調査からはまだはっきりと分かりません。ただ、日本におけるコミュニティーのあり方が密接に関係しているとは言えると思います・・・

與那覇潤さんの発言から。
・・・なぜ感染者を責めてしまうのか。一般的なイメージには反しますが、現在の日本が世界でもまれな「個人主義の国」であることが一因だと思います。
日本では、同調圧力を恐れず、自分の意見を堂々と唱えるといった、ポジティブな意味での個人主義は乏しいですよね。しかしそうした「正の個人主義」が弱い裏面で、実は「負の個人主義」は猛烈に強いんです。

「おれはおまえとは別の存在だから、触るな、不快な思いをさせるな」というのが負の個人主義です。自分と相手を包む「われわれ」の意識がない。「自己」が指す範囲を、個体ごとに分割し、「混じるな」と間に線を引く。
多くの飲食店が今、透明なアクリル板で客席を分けていますね。しかし日本人はコロナ以前から、自分と他人の心を疑似的なアクリル板で区切ってきた。「不快な気持ちにさせただけで、相手の領域への侵犯であり、アウト」。そうした発想が定着して久しい・・・

墓じまい

2020年10月13日   岡本全勝

10月5日の読売新聞夕刊に、びっくりする写真が載っていました。「変わる供養 変わらぬ祈り」。役目を終えた墓石8万基が、運び込まれている写真です。

高齢化や核家族化、跡継ぎがいなくなったことから、お墓が撤去されつつあります。その墓石が運び込まれ、並べられているのです。産業廃棄物になるのだそうです。
私の回りでも、東京へ出て来て田舎に帰る予定がない、親類に墓守を頼んでいたが続けられなくなった、一人っ子同士の結婚や子どもがいないなどの理由で、墓を片付けたという人がいます。
連載「公共を創る」で、変わる家族の姿を書いています。この写真も、それを象徴しています。

理想とする国、なりたくない国

2020年10月10日   岡本全勝

10月4日の読売新聞、岩井克人先生の「米中、いまや反理想郷の国」から。

・・・米中対立の時代です。私はコロナ禍を通じて歴史的と言える意識の変化が起きていると見ます。
まず米ソ対立の20世紀を振り返ります。1917年のロシア革命を経て社会主義・全体主義のソ連が出現した。一方で米国は第2次大戦後、資本主義・自由主義陣営の盟主に。米ソは冷戦に突入し、二つのイデオロギー、二つの政治経済体制が優劣を競い合った。米ソは共に人間の可能性を希求する国家でした。二つの希望の星でもあった。20世紀は二つのユートピア(理想郷)の争いでした。

89年にベルリンの壁が崩壊し、91年にソ連が解体して、社会主義は敗北します。米国の政治哲学者フランシス・フクヤマ氏は有名な著書「歴史の終わり」でイデオロギーの争いとしての歴史は終わり、世界は自由民主主義体制に収束すると予想したものです。冷戦後、米国流の市場任せの資本主義が世界標準になり、日本もその圧力をかなり受けました・・・

・・・さて目下の米中対立です。中国は発展途上国にとり成長モデルを提示する希望の星でした。コロナ禍で当初は発生源として非難を浴びましたが、強権的な仕組みを発動して感染を抑え込むと成功物語の主人公になる。しかし混乱に乗じて地政学的拡張や香港の締め付けなどの動きをとるに及んで、ディストピア(反理想郷)と見られるようになりました。
一方の米国は疫病にかかりやすい群に属したことに加えて、対処を誤り、感染者数も死者数も世界最多になってしまった。しかもトランプ大統領の下で国が南北戦争時代のように分断されてしまいました。米国もディストピアとして見られるようになったのです。
私は1969年から81年まで米国に暮らしました。こうした米国の没落ぶりはショックです。
21世紀は二つのディストピアの争いになりつつあるのです・・・

国民の期待値の低下

2020年10月9日   岡本全勝

安倍内閣の成長戦略評価」の続きです。

・・・それでも、多くの人がこの時代を「評価する」としているのは、長年にわたり一国のリーダーとして重責を担った首相が病で退任することへの同情があったのかもしれない。しかし、より本質的な理由は、バブル崩壊以来30年、数々の国難を経て、「日本人の経済・社会に対する期待値が下がってしまった」ということなのではないだろうか。
実際、賃金は上がらないと思っている若い人は多い。人口は減るし、日本はジリ貧だという感覚は、今や広く蔓延しているようだ。

こうした中で求められるのは、長期的な観点に立った経済政策である。コロナ対策も例外ではない。足元の対策だけでなく、長期を視野に入れねばならない。アベノミクスも、もともとは第3の矢「成長戦略」が本命だったはずなのに、矢は的に届かなかった。
規制改革がいかに社会を変えるかは、「ビザ要件の緩和」などにより外国人観光客が激増したことを見れば明らかだ。「働き方改革」「女性活躍」の旗もあるべき方向を示したが、残念ながら道半ばである・・・

前回引用した「成長戦略評価」は政府の業績評価であり、今回引用した「国民の期待値の低下」は国民の側の問題です。それぞれ大きな問題ですが、政府の業績は、担当者たちを代えれば改善できます。他方で、国民の意識の問題は、そう簡単に変えることができません。より困難な問題なのです。
私の連載「公共を創る」では、政府や行政の問題を議論する際に、このような国民の意識や社会の仕組みの側の変化と問題を取り上げています。

歩きスマホ実態調査

2020年10月9日   岡本全勝

歩きスマホの実態調査があることを、教えてもらいました。インターリスク総研のリサーチ・レター<2020 No.2> 「歩きスマホに関する実態と意識について~アンケート調査結果より」(2020年8月3日)。損害保険会社のシンクタンクが調査したのは、歩きスマホが通行の妨げとなるにとどまらず、死亡事故等重大事故の原因にもなっているからです。「報告書

この調査では、「歩きスマホ」とは、スマートフォンの画面を注視しながら歩いている(周囲が見えていない)状態のこです。画面を見ずに音楽を聴いたり、通話をしたりする(周囲が見えている)状態は除きます。

スマホ保持者の中で、歩きスマホを行う人が約60%、行わない人が約40%です。行う人の内訳は、ほぼ毎日が16%、週に数回が13%、急用など月に数回が30%です。
場所(複数回答)は、一般の歩道(横断歩道以外)73%、駅以外の建物内通路35%、駅のホーム32%、駅の構内(ホーム以外)26%、横断歩道15%です。危険な場所であると言われる「駅のホーム」や「横断歩道」での歩きスマホも結構あります。
自分が歩きスマホをしていて、または他人が歩きスマホをしていて、他人との接触経験のある人は30%を超えます。その中には、けがをした人、相手をけがさせた人、持ち物を壊した人、壊された人がいます。

歩きスマホを行う人のうち80%を超える人が、歩きスマホは「問題のある行為」だと認識しています。しかし、習慣化していてやめられない、多くの人が行っているから構わない、他人に迷惑をかけない自信があるから構わないと答えています。
スマホ保持者の中で、歩きスマホに対しペナルティの必要性を感じる人は、約90%です。