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日記

東京、久しぶりの積雪

東京では、5日の午後から降り始めた雪は、夜に入っても続きました。
久しぶりに雪かきをしなければと、スコップを取り出しました。古くなったのが壊れて、数年前に買い換えたのですが、まだ使ったことがありません。それだけ、積もらなかったということです。

夜のうちに一度やっておけば、明日朝に楽ができるかなと思いましたが、20時頃はまださほどの深さでなく、かつ降り続いていたので、断念。雷も鳴っていました。
朝4時に起きて窓から見ると、結構積もっていました。10センチほどでしょうか。気象庁の発表では、東京都心は7センチとか。
5時から、家の前の道路の雪かきをしました。これで、歩きやすくなります。

今のところ、腰痛も出ていません。これが心配でした(苦笑)。明日に出るかな。

ほっと一息

1月も終わり、2月になりました。1月末締め切りの仕事をいくつも抱えていたのですが、何とか切り抜けました。まだいくつか原稿などを抱えているのですが、ひとまず一息つきました。恒例のぼやき、今回は少し違います。

締め切りの近づいた原稿や講演をたくさん抱えていると、精神的によくありません。読みたい本も読めないし・・・。
右筆に言わせると、「引き受けすぎ」です。
分かってはいるのですが。講演にしろ取材にしろ原稿にしろ、お誘いが来るとうれしいのです。お座敷の声がかかる芸者さんと同じです。
そして、私の経験とそれを基にした主張を、世間に理解してもらうことも責務だと思っています。

「債務奴隷」と自嘲しています。本来の債務奴隷は、借金を返せずに奴隷身分に落とされ、働いて返します。私の場合は、債務が執筆で、金銭ではなく執筆という労働で返さなければならないという奴隷です。
もっとも、「締め切りに間に合わず、あわてる」という夢を見たことがないので、心理的に追い込まれてはいないようです。

近所のお寺が高齢者施設に

我が家のある杉並区高円寺(といっても広いのですが)には、お寺がたくさんあります。各寺院の説明を読むと、江戸時代に江戸の中心地から移ってきたものが多いようです。地下鉄新高円寺駅近くに、円福寺別院というお寺とお墓がありました。私の散歩の経路の一つにあります。
結構広い敷地です。椿椿山の墓があると立て札もありました。私もその説明書きで知ったのですが、椿椿山は、江戸時代後期の日本の文人画家です。

先年からお墓の片付けが進んでいて、「空いた場所には新しく募集するのか」と思っていました。昨年から工事が始まり、更地になりました。そして高齢者施設が建ちました。時代を感じさせます。
椿椿山の墓も、移されたのでしょうね。

令和6年元旦

新年です。皆さん、よいお年をお迎えのことと存じます。
東京はよい天気、風は少しありつつも穏やかな朝でした。毎年のことですが、年末年始も働いておられる医療、消防や警察、交通や流通関係者などに感謝しなければなりません。
去年、母が亡くなったので、今年は年賀状や松飾りを遠慮しました。実家のあの門松もありません。私は69歳になりました。今年がよい年でありますように。

と書いたら、能登半島で大きな地震がありました。被害が拡大しないこと、早い救助と支援が行われることを期待しています。

恒例の元旦の富士山、知人の送ってくれた写真です。上は富士宮市から、下は横浜からです。

 

 

 

 

 

 

 

 

令和5年大晦日

早いもので、今日は12月31日。令和5年も終わりです。
皆さんにとって、今年はどのような年だったでしょうか。うれしいこと悲しいこと、さまざまなことがあったでしょう。まずは、この1年が無事すぎたことを感謝しましょう。

私は「令和5年の回顧」3回に書いたように、びっくりすることは起きず(除くぎっくり腰)、原稿締め切りに追われて、あっという間に1年が経ちました。何もしなくても時間が経ってしまうので、自分で何かを企画しないと、酔生夢死になります。キョーコさんに引っ張られて旅行すると、良い思い出ができます。充実した1年を過ごしたと総括しましょう。

今日も孫の乳母車を押して散歩をし、蕎麦打ち名人のおいしいお蕎麦をいただいて、進んでいない原稿を抱えて(つい先ほどまで格闘していました)、年を越します。
今年もこのホームページをご覧いただき、ありがとうございました。