カテゴリーアーカイブ:行政

55歳の精神予防的休職

2023年1月31日   岡本全勝

1月29日の朝日新聞から、浜田陽太郎・編集委員の「55歳の「逃げ恥」体験」が始まりました。第1回は「俺って役に立ってないよな」です。

・・・55歳を超え、「自分は会社で役立っていないのでは」と悩み始めた記者。選択したのは、病む前に転地療養する「予防的休職」でした。会社を離れ、九州・大分で1年間、働きながら考えた定年後の生き方を、7回にわたり伝えます・・・

・・・私は現在56歳。アラ還の一記者だ。管理職のポジションとはほぼ縁が無く、出世とはほど遠い生活を送ってきた。そんな私が2021年春から会社を休職し、大分県にある社会医療法人で1年、無給の「研修生」として過ごした。
「長年取材してきた医療・介護の専門性を深めるため」。これが世間体のいい説明だ。だが、もっと差し迫った理由があった。新型コロナを引き金にメンタルがまずくなっていた。

当時の所属部署では中高年が居場所を探すのに苦労した。自らに「有用感」を持てず、心に疲れがたまっていった。ステイホームが続き、リアルに人に会う機会がなく、悩みや愚痴を吐き出すこともできない。
「俺ってあんまり役に立ってないよな」と落ち込んだ。以前、精神医療の取材をして、予兆があれば早めの対処が肝要と学んでいた。思い出したのが、会社の「自己充実休職」という制度だった。
「恵まれた正社員だからできることで、世間はぜいたくと思うだろうな」という内なる声も聞こえた。だが正直、このまま仕事を続けるのは無理だった。人間、思わぬ病で仕事を長期に休むことはある。病む前の転地療養は「予防的休職」と呼べるのではないか・・・

浜田さんは有能な記者で、福祉関係の専門家です。たくさん記事を書いておられます。「「高齢ニッポン」をどう捉えるか: 予防医療・介護・福祉・年金」(2020年、勁草書房)という著書もあります。このホームページに登場してもらったこともあります。
仕事ができる人で50歳前後に精神的に苦しくなった人を、何人か知っています。浜田さんの「予防的休職」が世間に認知されると、予防になるかもしれません。

政府統計の問題と対応策

2023年1月23日   岡本全勝

1月13日の日経新聞オピニオン欄に、森川正之・一橋大学教授の「政府統計にも不可欠な「人への投資」」が載っていました。詳しくは原文を読んでいただくとして、次のような文章があります。

・・・近年、政府統計を巡る不適切な事案が相次いだ。この結果、一部の省庁ではリスク回避のため統計調査自体をやめる動きもあるようだ。間違いが起きると困るからやめるというのは本末転倒だが、その背後には政府部内における統計人員の削減がある・・・

阪神・淡路大震災をきっかけに多文化共生

2023年1月17日   岡本全勝

今朝1月17日の朝日新聞特集「阪神大震災28年 多文化共生の種 咲いた」に、田村太郎さんが「違い受け入れ自分を変える」を書いています。

・・・震災の2日後、ボランティア団体の仲間数人と、外国人向けの多言語電話相談を立ちあげました。
私自身は兵庫県伊丹市の自宅で被災しました。翌日、働いていた大阪のフィリピン人向けビデオ店へ行くと、お客さんから「どうしたらいい?」と、次々に電話がくる。何か動いた方がいいと思い、始めたのが通訳の対応するホットラインです。

FMラジオの英語放送で紹介してもらうと、ひっきりなしに電話があった。他団体にも呼びかけ、7言語に対応できる「外国人地震情報センター」を発足させました。大阪の事務所に電話6回線を引き、外国人も含め約400人のボランティアが集まりました。
当初は安否や住宅、仕事に関する相談が多く、その後も仮設住宅や失業給付の案内を多言語で提供しました。相談は半年で約1千件に上りましたが、日が経つほど複雑な事情を抱えた人が残されました。在留資格が切れた人は健康保険証がなく、高額の治療費が払えない。国や自治体と交渉し、復興基金から医療機関へ補填する仕組みができました・・・

より詳しくは、「はじまりは地震2日後の電話相談 外国人被災者から1千件のSOS」。若い太郎さんの写真もあります。
その後、田村さんは、多文化共生を非営利団体として拡大してきました。「ダイバーシティ研究所

出遅れた難民支援

2023年1月13日   岡本全勝

読売新聞「時代の証言者」12月は、近衛忠煇・日赤名誉会長です。12月23日の「出遅れた難民支援」から。

《75年のベトナム戦争終結後、ベトナム、ラオス、カンボジアで社会主義政権が誕生した。新体制を嫌い、迫害を恐れる人々がインドシナ半島を脱出し、難民になった》
日本が難民の地位を定めた難民条約に加盟したのは81年です。75年に南シナ海で救助されたベトナム人の「ボートピープル」が初上陸した時は、想定外の事態に混乱しました。日赤の対応も出遅れました。

いち早く難民支援を始めたのが、カトリック系団体カリタス・ジャパンです。私は増え続ける難民に対応するには、こうした団体の力を借りるべきだと考え、立正佼成会や天理教、救世軍、YMCAを回り、受け入れ施設の運営に協力してほしいとお願いしました。日赤は寝具や衣服、医薬品などの物資、赤十字病院の医療を施設に提供するという体制を整えました。

《日赤も77年から施設の運営を始めた。ピークの81年には、国内11か所で計1000人以上を収容した。援護事業を終了する95年までに計5000人を超える難民を受け入れた》
日本人は「人道」を口にしつつも、難民を「流れ者」という先入観で捉え、支援に慎重でした。政府も「ベトナム難民」で手いっぱいで、130万人を超えた「インドシナ難民」全体を視野に入れた方策は描けませんでした。

ただ、難民対応が一筋縄ではいかないのも事実です。日赤が運営する受け入れ施設で、収容者同士のけんかや窃盗騒ぎがよく起こった。80年代に入ると、政治的迫害ではなく経済的な理由で、難民を偽装し、日本に入国する事例が急増しました。

マレーシアで日赤医療班の難民支援を視察したことがあります。現地政府はビドン島という絶海の孤島にボートピープルの収容所を設け、安全確保を徹底していました。自国民の利益を守りつつ、政治的な迫害から逃れた人々にいかに救いを差し伸べるのか。その手探りはいまも続いています。

進まないコンパクトシティ

2023年1月12日   岡本全勝

12月19日の日経新聞が「縦割りが阻むコンパクト都市」を書いていました。

・・・人口減少下で都市の規模を縮めて行政の効率化などを図る「コンパクトシティー」が、国内で成功例を築けていない。各地で目立つのが、中心市街地の再整備と郊外の大規模開発を同時並行で進める矛盾。背景には異なる担当部署が別の未来像を描く「縦割り行政」がある。住民の意向とも向き合わないまま、まちの空洞化に歯止めがかからない・・・

郊外での住宅や商業施設の開発は、この半世紀ほどに、車の普及とともに進んだ現象です。役所側の問題とともに、郊外の開発を求めた住民、車で行くことが便利な住民が、郊外の開発を支持したのです。
そして戦後の日本政治と行政が、サービス提供や補助金などの誘導手法には熱心だったのに対し、規制や負担を問うことには消極的だったことがあります。新型コロナ対策においても、各国が法令で行動を規制したのに、日本は政府からのお願いと世間の目によって誘導しました。