阪神・淡路大震災をきっかけに多文化共生

今朝1月17日の朝日新聞特集「阪神大震災28年 多文化共生の種 咲いた」に、田村太郎さんが「違い受け入れ自分を変える」を書いています。

・・・震災の2日後、ボランティア団体の仲間数人と、外国人向けの多言語電話相談を立ちあげました。
私自身は兵庫県伊丹市の自宅で被災しました。翌日、働いていた大阪のフィリピン人向けビデオ店へ行くと、お客さんから「どうしたらいい?」と、次々に電話がくる。何か動いた方がいいと思い、始めたのが通訳の対応するホットラインです。

FMラジオの英語放送で紹介してもらうと、ひっきりなしに電話があった。他団体にも呼びかけ、7言語に対応できる「外国人地震情報センター」を発足させました。大阪の事務所に電話6回線を引き、外国人も含め約400人のボランティアが集まりました。
当初は安否や住宅、仕事に関する相談が多く、その後も仮設住宅や失業給付の案内を多言語で提供しました。相談は半年で約1千件に上りましたが、日が経つほど複雑な事情を抱えた人が残されました。在留資格が切れた人は健康保険証がなく、高額の治療費が払えない。国や自治体と交渉し、復興基金から医療機関へ補填する仕組みができました・・・

より詳しくは、「はじまりは地震2日後の電話相談 外国人被災者から1千件のSOS」。若い太郎さんの写真もあります。
その後、田村さんは、多文化共生を非営利団体として拡大してきました。「ダイバーシティ研究所