カテゴリーアーカイブ:行政

民主主義が持続するためには、経済成長が必要

2023年1月10日   岡本全勝

12月24日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「民主主義がはらむ問題」から。

・・・経済成長がまだ可能であり、人々の間に社会の将来についてのある程度の共通了解がある間は、民主主義は比較的安定的に機能した。そこには社会を分断するほどの亀裂は現れなかった。多くの人々は経済の波に乗っておれば自然に「幸福を享受」でき、将来に大きな不安を抱くこともない。
ところが、今日、経済は行きづまり、将来の展望は見えない。すると人々は政治に対して過大な要求をする。「安全と幸福」を、言い換えれば「パンとサーカス」(生存と娯楽)を求める。政治は「民意」の求めに応じて「パンとサーカス」の提供を約束する。
しかし、にもかかわらず経済は低迷し、格差は拡大し、生活の不安が増せば、人々の政治不信はいっそう募るだろう。そこに、わかりやすい「敵」を指定して一気に事態の打開をはかるデマゴーグが出現すれば、人々は、フェイクであろうがなかろうが、歓呼をもって彼を迎えるだろう。こうして民主主義は壊れてゆく。民主主義の中から強権的な政治が姿を現す。
古代ローマ帝国の崩壊は、民衆が過剰なまでに「パンとサーカス」を要求し、政治があまりに安直にこの「民意」に応えたからだとしばしばいわれる。社会から規律が失われ、人々は倫理観を失い、飽食とエンターテインメントに明け暮れる。内部から崩壊するうちにローマは異民族に滅ぼされた。
もちろん、ローマの皇帝政治を現代の民主主義に重ねることはできないが、民衆の「パンとサーカス」の要求に応えるのが政治であるという事情は、民主主義でも権威主義でも変わらない。それでもパンもサーカスも提供できる余裕があればまだよい。その余裕も失われてくれば、社会に亀裂が走り、党派の対立は収拾がつかず、政治は著しく不安定化する。その場合、危機は、民主主義においていっそう顕著に現れるだろう・・・

拙著『新地方自治入門』(2003年)で、「民主主義が持続するためには、経済成長が必要であるとの説があります」(301ページ)と紹介したことを思い出します。

国家公務員総数の増加

2023年1月9日   岡本全勝

年末の12月23日に内閣人事局から「令和5年度機構・定員等審査結果」が、公表されました。それによると、組織の新設とともに、新たな業務に対応するため、8,155人が増員されています。他方で業務改革により7,104人が削減され、合計で1,051人の増加です。
過去を遡ると、
令和4年度は1,084人(当初の査定では401人)の増加
令和3年度は399人の増加
令和2年度は287人の削減でした。

地方公務員も増えています。各年4月1日で比較すると、令和4年では前年に比べ3,003人の増加、令和3年では38,641人の増、令和2年では21,367人の増、平成30年では3,793人の増です

行政改革の旗印の下、職員数の削減が続いてきました。しかし、それにも限度があり、他方で新しい業務が増えています。必要なところに必要な人員を配置する。当然のことです。

『行政改革の国際比較』

2022年12月22日   岡本全勝

C・ポリット、G・ブカールト著『行政改革の国際比較 NPMを超えて』(2022年、ミネルヴァ書房)を紹介します。監訳者である縣公一郎、稲継裕昭先生からいただきました。

先進12か国の、1980年代以降の公共マネジメント改革を比較分析したものです。定評ある教科書になっているようです。残念ながら、12か国に、日本は入っていません。
民間企業の経営手法を公共部門に導入し、効率化や国民住民への応答性を高める改革です。ニュー・パブリック・マネジメントと呼ばれました。政治経済において、先進諸国の多くが停滞に見舞われ、サッチャー首相、レーガン大統領、中曽根首相による新自由主義的改革に取り組みました。行政改革は、その一環でした。

日本でも、中曽根行革に続き、1990年代と2000年代にさまざまな行政改革に取り組みました。ちょうど、連載「公共を創る」で書いているところです。連載執筆で行政改革を振り返ろうとしているときに合わせて、このような本が出版されます。ありがたいことです。ふだんは出てきていても、見過ごしているとも言えます。

日本もこのような観点からの行政改革はかなり実行され、成功したと思います。問題は、日本社会の変化はもっと進んでいて、行政改革では対応できない課題となっているのです。

政策転換の評価

2022年12月16日   岡本全勝

12月7日の日経新聞経済教室「原発政策の行方」、橘川武郎・国際大学副学長の「現政権、「政策転換」には値せず」から。

8月のGX実行会議での岸田文雄首相と西村康稔経済産業相の原子力に関する発言を巡り、一部メディアが「原子力政策を転換した」と大きく報じた。。岸田政権が原子力政策の遅滞解消に向け年末までに政治決断が求められる項目として挙げたのは、(1)次世代革新炉の開発・建設(2)運転期間延長を含む既設原子力発電所の最大限活用――の2点だ。
特に注目されたのは(1)だ。「原発のリプレース(建て替え)・新増設はしない」という従来方針を転換し、次世代革新炉の建設に踏み込んだと評価された。

本当にそうなのか。結論から言えば、政策転換と判断するのは時期尚早だと考える。そう考える根拠としては、第1に誰(どの事業者)が、どこ(どの立地)で、何(どの炉型の革新炉)を建設するのかについて全く言及がない、第2に肝心の電気事業者の反応が冷ややかで、国内での次世代革新炉の建設について具体的な動きを示していない。
これまで政府がエネルギー政策を本気で転換した時には、それに先行して政策転換につながる電気事業者の具体的な動きがあった。
例えば2020年10月に菅義偉首相(当時)が50年までにカーボンニュートラル(温暖化ガス排出実質ゼロ)をめざすと宣言した時は・・・
だが今回は様相が違う。次世代革新炉の建設といっても、それと共鳴する電気事業者の具体的な動きはない。三菱重工業が発表した次世代加圧水型軽水炉「SRZ-1200」の開発プロジェクトに関西電力など電力4社が協力することになったが、これはあくまで「開発」をめざすものであり「建設」までは視野に入れていない。実際に建設となれば中心的な当事者になるはずの関電の森望社長は最近のインタビューでも、既設の7基体制を将来にわたり維持すると述べるにとどまっている。
「誰が、どこで、何を」という具体的な言及がないのは、こうした事情を反映したものとみられる。

男もつらい

2022年12月15日   岡本全勝

12月4日の朝日新聞オピニオン欄「男も生きづらい?」、多賀太・関西大学教授の「「つらさ」の根っこは同じ」から。

男性の「生きづらさ」が近年語られるようになったのは、ジェンダー問題を「自分ごと」として考え始めたことが背景にあると思います。
女性がジェンダーの不平等に異議を申し立て、以前に比べると、政府も社会も、職場などでの女性の地位向上をより進めてきました。従来の性別役割分業かつ男性優位の社会から、徐々に男女平等の社会へ変わる過渡期だからこそ、価値観の板挟みになっている男性も多い。
たとえば、自分もパートナーも共働きしながら家事や育児を一緒に、という考えなのに、職場では旧態依然とした「稼ぎ手」の役割を求められ、期待されているような例もある。古いジェンダーの規範と新しい価値観の間で揺れています。

男性の生きづらさが語られる中で、「今では男性の方が弱者」という主張をネット上でみかけます。
しかし、これは極論です。
男性の生きづらさは、無理やり男性優位を維持しようとしてきた社会の力から来ている。常に男性が優越し、男性中心で物事を動かしていく女性差別的な社会の仕組みとそのゆがみが、一定の割合の男性たちも苦しめているのだと理解すべきです。

男性にとって、等身大でジェンダーについて語れる場がこれまで少なかったと思います。自然体で自分の気持ちや弱音を吐きだしたり、モヤモヤを言葉にしたりする場を持つことで、ジェンダーの問題を自分ごとにする。社内会議とも飲み屋でのやりとりとも違う、男性同士の語り合いの場です。他方で、たとえ耳の痛い話でも、女性たちの声にしっかり耳を傾け、女性の立場に立って考えてみる。その両方の機会を作ることが大事です。
「つらい」という声、その根っこが女性を苦しめているものと実は同じところにあるんだよ、と理解したうえで、性別を問わず、ともにジェンダー平等へと社会を推し進める。弱さを受け止めながら、自分が変わり、社会が変わる。男性の「生きづらさ」も解消していくと思います。