先日紹介した、NHK「明日へつなげよう 証言記録東日本大震災」「経営危機の瀬戸際を生き抜け~水産加工起死回生の策」。8月17日まで無料オンデマンド。
8月7日(金)午前1時から、再放送されるとのことです。ご関心ある方は、(録画して)ご覧ください。
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行政-災害復興
江戸時代の緊急給付
7月29日の読売新聞、鈴木浩三さんの「疫病流行 江戸の緊急給付 迅速…銭や米、5~12日で 積立金や町人自治組織の力」から。
・・・江戸時代の日本はたびたび感染症に襲われた。天然痘や麻疹のほか、19世紀頃からは、インフルエンザとみられる「風邪」の流行が目立つようになった。
感染症の大流行や災害などの際には、江戸に住む、行商人や日当で生活する職人など、当時「其日稼」と呼ばれた人々に対して、銭や米が緊急的に配られた。この給付は「御救(おすくい)」と呼ばれた。
疫病流行に限っても、別表のように、頻繁に給付されている。人口100万といわれる江戸で、武士をのぞくと人口は60万人ほど。そのうちの半数が対象となっている。これほど対象が多いにもかかわらず、1802年のインフルエンザ流行では、3月17日に給付を決めてからわずか12日で配り終えた。21年には、2月28日の決定で、実質5日で給付を完了している。
このスピードの背景には、安定した財源と、必要とする人々の情報を正確に把握できる仕組みがあった・・・
・・・財源となる「七分積金」は、18世紀後半の天明の大飢饉ききんで、其日稼らによる大規模な打壊うちこわしが江戸で発生したことを受けて、1791年に創設された。江戸の町人(地主)が毎年約2万5900両を拠出し、幕府も基金として2万両を出資した。今でいうファンドに相当し、疫病、飢饉や災害時の緊急的な給付「御救」に備えて備蓄し、ふだんは地主向けの低利融資などで運用されていた。
こうした給付や運用を担う組織「江戸町会所」は、幕府の監督下ではあったが、武士ではなく、有力商人である「勘定所御用達」10人や、町人たちの代表「肝煎名主」6人が実質的に運営した。
当時の江戸の「町」は、人別改(住民の管理)、防火・消防、市区町村税に似た都市の維持管理費「町入用」の徴収のほか、簡単な民事訴訟や祭礼まで行い、現代の市区町村よりも大きな権限を持つ自治組織だった。平常時から、町組織を代表する名主や、その配下に位置づけられた大家などを通じて町内の住民たちの家族構成や職業、収入状況などをきめ細かく把握していた。だからこそ、いざというときに銭や米をすばやく給付することができたのだ。
町の上部には、武士である南北町奉行2人と、その配下の330人の与力・同心たちがいたが、彼らだけでは、とても数十万人の都市住民の暮らしを把握できない・・・
NHK「 証言記録東日本大震災」
NHK総合テレビ、8月2日午前10時5分から「明日へつなげよう 証言記録東日本大震災」は「経営危機の瀬戸際を生き抜け~水産加工起死回生の策」でした。
・・・東北沿岸の基幹産業である水産加工業。国は震災後、工場や設備復旧のために前例のない企業への資金援助に踏みきった。しかし近年、資金繰りが行き詰まり倒産する会社が続出。補助金の運用面などでの問題が明らかになった。一方、補助金だけに頼らず、地域の企業が連携して商品開発や販路を開拓、徐々に効果を見せているプロジェクトもある。ポストコロナの時代にも通じる経営の知恵を石巻市の水産加工業者の復興から探る・・・
取り上げられたのは、グループ補助金と結の場です。
公共施設と住宅の再建だけでは、地域と住民の暮らしの復興はできない。産業とつながりの再建が必要だと考え、東日本大震災では、それまでにない支援策をとりました。中小企業グループ補助金もそうです。これまで、企業への災害復旧補助金はなかったのです。
ところが、施設設備を整えても、経営が回復しない事例もでてきました。事業再開までの間に、都会の売り場の棚を他の産地に奪われていたのです。これは、補助金では解決できない問題です。補助金を出せば、その期間は売れるでしょうが、補助金がなくなればダメになります。そこで、大企業から人とノウハウの支援をもらうことにしました。
それが、結の場です。この仕組みを考えてくれたのが、民間から復興庁に来てくれた職員たちです。
番組では、この二つを紹介するとともに、グループ補助金の限界・欠点も取り上げていました。初めてのことでもあり、現場の要望にすべて応えることができていなかったのです。いくつか修正しましたが。復旧を急ごうとすることの限界があります。反省して、次に進みましょう。
もう一つの問題は、企業の実態や現場を行政は十分に知らないのです。かつてに比べ、公務員が現場を見ること、意見交換をする機会が減っています。災害復旧だけでなく、多くの政策分野で問題になると思います。
この二つの政策が、現場でどのように受け入れられたかを丁寧に取材した、良い番組でした。役所は制度をつくるとその広報はするのですが、その結果についての評価は下手です。この番組は、復興庁にとっても、良い記録になります。
番組に登場した山本啓一朗君(NEC)から、見るようにと言われていたのですが。すみません、事前にお知らするのを怠っていました。2週間は、無料でオンデマンドで見ることができるようです。
帰還困難区域の解除
7月20日の朝日新聞社説は、「福島の除染 地元の声を最優先に」でした。
前段は、飯舘村から要望の出ていた、放射線量が下がった帰還困難区域についての避難指示解除です。
この地域は既に放射線量が下がっていて、人が活動することに問題はありません。ほとんどが山林で、住民の居住などが見込めないので公園として管理する。そして解除して欲しいとの要望です。
政府は、放射線量の低下、除染、インフラ復旧を、避難指示解除の条件としています。もっとも、これまでに居住制限地域をすべて避難指示解除しましたが、山林については放射線量の低下を確認して、除染はしていません。
飯舘村の要望は、それを考えると、まっとうなものです。
この社説の後段では、そのほかの帰還困難区域にについての除染と、避難指示解除について「方策を示せ」と主張しています。これが、なかなか難しいのです。帰還困難区域は、放射線量が高く、当分の間、帰還ができないと考えられたので、「帰還困難区域」とされました。
一つは、今でも放射線量が高いのです。作業員も入ることが難しいです。
もう一つは、どれだけの費用をかけて除染をするかです。現在は、地元との調整で、放射線量が低く、町の中心部、人が帰ってくると予想される地域を復興拠点として除染しています。この区域の復興が進み、さらにほかの地域に拠点を広げることは想定されています。しかし、人が住む見込みのない山林を、どこまで国費を使って除染するのか。この作業は、国費で行っています。納税者に説明をしなければなりません。
なお、社説などでは書かれていませんが、帰還困難区域の住民には、土地や建物について東電から全額賠償しました。そして、故郷損失賠償(慰謝料)を払い、さらに新しい土地で家を建てる際に不足する金額も追加で賠償しました。これらは、新しい場所で生活してもらうことを前提としています。もちろん、ふるさとに戻ってもらうことが望ましいのですが、国費(国民の税金)をどこまで追加投入するかです。それを、国会や国民に説明する必要があります。
もう一つ、山林の除染は、人が住む地域に隣接する里山は行っていますが、人が住まない山林はこれまでもやっていません。山林の木を切り倒し、土をはぎ取ることは、自然破壊になるのです。
私も、1日も早く全地域で避難指示が解除されることを望んでいます。そして、関係者と対応を進めています。しかし、このような事情があるのです。
このような事情に全く触れずに議論するのは、論点が不足していると思います。