13日の読売新聞論壇は、竹田いさみ獨協大学教授の「ソマリア海賊対策」でした。ソマリア沖アデン湾での海賊対策のために、日本も海上自衛隊の護衛艦と哨戒機を派遣しています。第一次派遣部隊の出港式に、総理のお供をして呉までお見送りに行きました。寒い日でした。
これで1年経ちました。マスコミは、その活動ぶりを報道しませんね。
記事の内容は、海賊対策は効果を上げているのですが、海賊事件は増えているのだそうです。どうすれば事件をなくすことができるか。一つは、取り締まりを強化することです。もう一つは、発生原因を絶つことです。ソマリアで海賊が「稼業」として成り立っているのは、産業がなくほかに稼ぐ場所がないこと、政府が機能していないこと、沖合をたくさんの船が通るからです。それが解決しない限り、海賊はなくなりません。そこで、教授が国際会議で提案されたのは、産業振興です。なるほど。詳しくは、原文をお読みください。
「政治の役割」カテゴリーアーカイブ
行政-政治の役割
グローバルな政治家を育てる
(グローバルな政治家を育てる)
7月10日の朝日新聞オピニオン欄は、「グローバルな政治家とは」でした。「経済がグローバル化して、経済危機も瞬時に世界に波及する時代。政治家の選び方も、これまでとは違った視点が必要なのだろうか・・」として、3人の方の意見が載っています。
内容は読んでいただくとして、私が感じたのは、「ようやく、このような議論が、新聞でされるようになった」ということです。
戦後日本は、アメリカやヨーロッパがつくってくれた、「自由貿易体制」と「世界平和(冷戦)」の下で、それらにほぼただ乗りをして発展しました。政治家も官僚も研究者も、世界の政治経済を構築するのに力を発揮せず、国内でのみ活躍しました。国際派と呼ばれる人もおられましたが、それも多くは輸入することであり、国際貢献ではありませんでした。
世界で活躍するといった場合、国際機関で働くだけでなく、日本政府・関係機関であって国際貢献するということがあります。特に後者が重要でしょう。そして、それらの人は国内政治を考える時も、世界を意識しながら考えるということです。国際貢献も、自衛隊を海外に派遣するだけでなく、国際ルールをつくる際にリーダーシップをとるということなどです。
総理秘書官を務めた際、ちょうどリーマンショック直後の世界金融危機・同時不況の時であったので、世界各国の日本に対する期待と、日本が国際社会で果たさなければならない役割の大きさを、実感しました。逆に、日本の政治と言論が「内弁慶」であることも実感しました。
あのときは、1929年の大恐慌を繰り返さないために、日本も例のない規模で財政出動するので、各国も足並みをそろえて欲しいこと。経済ブロックを作って囲い込んだことが大恐慌をひどくしたので、今回はそうならないようWTOを進めること。金融危機で中小国が破綻しないように、IMFの貸付枠を拡大する、そのために日本は真っ先にIMFに対し1,000億ドルの融資を行うこと。この3点を提案実行し、各国の同意と協調を得ました。
もっとも、国内には、それらを議論する場や政策共同体がないので、多くの国民は知りません。マスコミの政治部、官邸詰めの記者さんたちも「関心」がなく、理解してもらえませんでした。よって、大きな記事になりませんでした。
世界で活躍する、世界に貢献できる政治家や官僚を育てるためには、国内にそのような場が必要です。それは国会の場であり、研究機関であり、専門誌です。そして、それを理解してくれるマスコミも必要です。
民主主義とは
国家観の違い
先日から書いている、「政党の役割、国家観による違い」に関して、かつて書いた「国家観の転換」を思い出しました。「不思議な公務員の世界-ガラパゴスゾウガメは生き残れるか」(月刊『地方自治』2008年5月号)。
私は、官と民の垣根が低くなる背景として、藤田宙靖東北大学教授(当時)の説を引用しました(「行政改革に向けての基本的視角」『自治研究』(良書普及会)平成9年6月号に所収)。先生は、近代ドイツ国家学における国家観と、アメリカ社会的考え方とを対比されます。そして、日本の行政改革を、前者から後者への転換と見るのです。
すなわち、近代ドイツ国家学では、社会は弱肉強食、カオスの世界であり、中立公正な国家が弱者を救済し、秩序を保たなければならないと考えます。官(国家)と民(社会)が峻別されます。一方、アメリカ社会的考え方では、社会のあらゆる組織機構と同じく、国家機構もまた、社会(一般国民)が自らの必要のためにつくったものです。官と民の間に、垣根がなくなります。
政党の役割、行政機構の位置付けなども、このような背景=国民の考え方によって、違っているのだと思います。
政党の役割、選挙制度による違い
昨日の続きです。
日本では、二大政党制と多党制については、17年前の選挙制度改革の際に、大きな議論になりました。当時の衆議院選挙は、中選挙区制でした。同じ党から、複数の候補者と当選者が出ます。たとえば5人区では、自民党が2~3人の当選者を出します。無所属を含め(当選後、自民党になります)それ以上の候補者を立てるのです。そこでは政策の争いでなく、サービスの争いになることが批判されました。
政策の争いにしよう、政党が責任を持つようにしようという意図で、現在の小選挙区制を基本として、比例代表制を組み合わせた制度になりました。
小選挙区制が二大政党制を導き、比例代表制が多党制を導きます。後者は前者に比べ、多様な利害を反映することができますが、政権は不安定になりがちです。多くの場合連立政権にならざるを得ず、その過程で政策協議が必要になります。
すなわち、比例代表制では、国民の中にある多様な利害がそのまま議席に反映され、国会の中、政党間の協議で、利害を集約することになります。他方、二大政党制は、国民にある多様な利害を、2つの政党内で集約させざるを得ません。
その際、政権党は議会で多数を握っているので、政権党内で決まったことは、そのまま国会と内閣の決定になります。国会での議論より、事前の政権党内での議論が重要になるのです。これは自民党が政権党であったときも、同じでした。党内(政策審議会など)での議論、その報道が価値を持ったのです。連立政権の場合やねじれ(参議院で多数を持っていない)の場合は、他党への配慮が必要となります。