「官僚論」カテゴリーアーカイブ

行政-官僚論

政治任用

私のもう一つの関心は、日本の行政と官僚制の機能不全です。長く官僚制の行き詰まりが指摘され、公務員制度改革が主張されています。今年は公務員総人件費削減が課題になっています。しかし、この3つの議論がかみ合っていないことはすでに指摘しました(問題は数より仕組み)
①部門間の「配転」がない=問題は数の削減でなく、社会の変化に定数見直しが追いついていないこと。現在のような一律削減ではむり。
②官僚のアウトカムの問題=公務員制度改革も必要だが、問題は官僚制の仕組み。部分部分に特化し、全体像を作れない。
③改革の仕組みがないことです。
私も大学院で講義したり、雑誌で主張したりしているのですが、まだ議論をまとめる=本にするに至ってません(時間がなくて・・。言い訳です)。
人事院の年次報告書が2年続けて、先進国の政治任用職の調査をしています。15年度版はアメリカ・イギリス・フランス・ドイツを紹介し、16年度版では大学教授による論文を載せています。官僚制を機能させる=改革を支える事務方にするためには、「政治家」「政治任用職」「官僚」をどう役割分担させるかが論点の一つです。各国とも、歴史・議会と政府の関係・政治家の役割・民間人との交流といった政治社会背景が異なり、これだといった正解があるわけではありません。簡単には、15年度版の概念図を見てください。
「政治任用職」という言葉は、誤解を招きそうです。政治家が任命される場合、民間人などが任命される場合、官僚が任命される場合を含め議論すべきだからです。日本の課題は、政治家が閣内に入って改革を進めようとしても部下がいないこと、現在の官僚制がセクショナリズムと既得権益にしがみついていることですから、それに対応する仕組みを作るべきなのです。私は、フランス型かドイツ型が、これからの日本に参考になると思っています。(2005年9月19日)
31日の読売新聞「決戦05衆院選」は、「霞が関の官僚」をテーマに、宮脇淳さんと加藤秀樹さんのインタビューを載せていました。加藤さんの主張に次のようなくだりがあります。「日本の公務員はおしなべて優秀な人が多いが、専門家として通用する人材となると、国際的に見ても少ない。本当に経済分析や法律の専門家と言える人は官庁にどれほどいるだろうか」
青山彰久記者は「給与や定員の削減規模の数字を合わせるだけでは、省益が優先して様々な改革が進まない問題が解決するはずもない。・・・総人件費の削減という主張だけで有権者をはぐらかさず、『官僚とは何か』を問い、公務員制度改革の具体的な中身を論争する必要がある」と述べています。 (2005年8月31日)
5日の日経新聞は、「マニフェストを中心にした経済官僚100人アンケート」結果を載せていました。
詳しくは紙面を見ていただくとして、特徴的なのは、世代間で違いがあることです。まあ当然といえば当然ですが。霞ヶ関の人事慣行について、63%の人が見直し不可避と考えています。良いとは思わないがやむを得ないと考えているのが、30%です。また、省庁幹部の政治任用については、進めるべき21%、進めるべきでないが44%でした。
そうか、僕も「経済官僚」なのか。でも、質問項目が、やや雑じゃないですかね。図表が記事本文の記述と対照になっていないことも、読みにくいですよ、O記者。(9月5日)
7日の朝日新聞は1面で「9.11総選挙、争点を追う」で、内田晃記者が「霞が関改革、人数先行。分権の道、各党示さず」を書いていました。「(国家公務員の)純減目標は、公務員の定員を管理する総務省などが難色を示し、議論は先送りになった。・・『量』の改革は、言うほど簡単ではない。さらに『小さな政府』を目指すなら、国の権限をどう減らすかという『質』の改革が避けられない。その試金石となるのが、国から地方へ権限や財源を移す地方分権改革だ・・」。
この指摘の通りです。もはや、シーリング方式での国家公務員削減は無理があります。既存定数を所与として、各省ほぼ一律の削減をする、それを原資に必要なところを増やすといった方式は、現在のような転換期には不十分なのです。
公務員削減は、一律でなく内田記者の言う「質的改革」をしなければ、有意義な結果は出ないでしょう。その一つがもはや国の重点施策でなくなった公共事業の所管組織の削減、もう一つは地方分権による権限と補助金削減に伴う公務員削減、規制緩和による権限削減に伴う公務員削減です。もっとも、このような改革は、現在の日本の官僚制が実行する(官僚同士が協議して決める)ことは無理なのでしょう。政治主導が必要とされるのです。
もちろん、公務員改革には、このような人数の削減だけでなく、私が主張しているような「仕組みの改革」(国家官僚群創設)が必要です。(9月7日)

官僚と政治

21日の日本経済新聞が、「経済政策、政官に緊張関係。自民でも民主でも内閣主導一段と」を書いていました。
「両党とも『小さな政府』を掲げて官のリストラに取り組み、首相官邸を核にした内閣主導の経済政策運営を進めようとしているからだ。両党がマニフェストをまとめた際も、意識的に与野党と距離を置いたり、逆に根回しに走るなど官僚の対応も分かれた。霞ヶ関は、政治との新たな関係を模索している」
政治主導が進めば、当然、官僚と政治との関係も変わってきます。いえ、変わらなければなりません(拙著「新地方自治入門」p291~、一橋大学3)。

この国を変える

1 社会のソフトウエアを設計する
「三位一体改革」が、政府の大きな課題になっています。国庫補助負担金の削減、国から地方への税源移譲、地方交付税の見直し。この3つを同時に行うものです。しかし、その目的は国と地方との財源配分変更にとどまらず、中央集権を地方分権に変えることです。それは、この国のかたちを変えようとするものです。
その他にも、行政改革、公務員制度改革、電子政府やユビキタス社会の実現。総務省が取り組んでいる仕事は、「国家と行政の新たな制度設計」であり、「新しい社会のソフトウエア」の整備です。
2 日本の構造改革とは
明治以来、我が国は、欧米先進国に追いつくことを国家目標としてきました。その際、官僚の仕事は、先進諸国の制度を輸入し、全国に行き渡らせることでした。そして、日本社会と官僚は、それに成功しました。貧しい農業国は世界第2位の経済大国になり、公共サービスも世界一の水準を達成しました。
なのに、日本社会は幸せを感じるどころか、不安や不満が満ちています。それは逆説的ですが、国家目標を達成したからです。もはや国民は、経済成長だけでは幸せを感じません。官僚が主導する「お仕着せのサービス」では、満足を感じません。単一の国家目標はなくなりました。それに代わって、各人が自ら考え、それぞれ目標を選び、努力する。これが社会の満足になり、あり方になったのです。
社会あり方の変化に応じて、政治と行政も変わらなければなりません。その改革に遅れていることが、国民の不満を生んでいます。改革の理念は、社会の理念の変化と同様に、画一から多様へ、依存から自立へです。その具体化が、中央集権から地方分権へであり、官から民への改革です(詳しくは、拙著「新地方自治入門-行政の現在と未来」)。
3 遅れている官僚の意識の転換
豊かな社会の官僚には、貧しい時代の官僚とは違う仕事が求められています。これまでは、外国から先進的な制度を輸入し、拡張することでした。しかしそれを達成すると、官僚の仕事は、社会の新しい問題を発見し、解決策を創造することに変わりました。
その際には、過去の手法ではなく、新しい時代に見合った手法に変えなければなりません。法令による、地方団体や民間企業の統制。細部にわたる行政指導や国庫補助基準による介入。これらはまさに、中央集権と官僚主導の手法だったのです。地方団体や民間企業が自立を求めるとき、これらの手法は障害でしかありません。しかしながら、まだ多くの官僚は、時代遅れの手法にしがみついています。
4 2005年、総務省の仕事の意義
総務省の取り組んでいる仕事は、地方分権であり、行政手続きの透明化であり、行政の減量です。それは、官僚の仕事のやり方を変えること、霞が関を変えることです。それが、日本の政治を変え、社会のあり方を変えることになるのです。総務省が取り組んでいる改革は、日本社会のソフトウエアの書き換えなのです。
これまで成功した手法を変えること。ここに、私たちの難しさがあります。しかしそこには、明治維新以来1世紀ぶり、あるいは戦後改革以来半世紀ぶりという、「新たな社会の制度設計」に取り組んでいる喜びがあります。

過去の分析と未来の創造と:官僚の限界

東京大学出版会のPR誌「UP」6月号に、原島博教授が「理系の人間から見ると、文系の先生は過去の分析が主で、過去から現在を見て、現在で止まっているように見える。未来のことはあまり語らない。一方、工学は、現在の部分は産業界がやっているで、工学部はいつも5年先、10年先の未来を考えていないと成り立たない」といった趣旨のことを話しておられます。
この文章を読んだときに、私は「これだ」と叫んでしまいました。社会科学系の学者さん(の多く)も、社会を分析をしておられるのに、なぜ現実に対し有用でないか。理由はこれだったんです。

官僚の多くにも、これが当てはまります。法律の解釈や、事象の解説は天下一品ですが、じゃあどうするのか、どう改革するのかになると、とたんに沈黙するのです。できあがった法律の解釈学に甘んじ、改革に対してはいろいろ理屈をこねては抵抗する。これでは、国民の支持は得られませんよね。「政治主導」「小泉改革」の「引き立て役」ですか。
「国庫補助金改革の中味」を官僚が決められず、地方団体に選んでもらう。そしてそれに対し、「地方団体の意見がまとまらないなら、改革は進めない」「お手並み拝見」などと、評論家みたいなことを言っている。これでは、官僚の存在理由はないです。

公務員制度改革

15日の朝日新聞で、辻陽明編集委員が「どうする縦割り行政」「公務員改革、経済界が仕切り直し提言」を解説しておられました。
公務員改革が、頓挫しています。「政府の改革が内容、手続きの両面で不評なのは、検討が変則的な形で始まったことが影響している」「事実上改革は棚上げされた。公務員制度改革の議論は、立て直しのめども立っていない」。
これに対し、経済界から、いくつも改革案が出ています。出井伸之経団連行革推進委員長と、西尾勝教授の意見が載っていました。
(問題は数より仕組み)
「骨太の方針2005」で、公務員総人件費削減が課題になっています。もちろん、財政再建のためにも、効率的な政府を実現するためにも、人件費削減は重要です。しかし、私は、量(単価と数)の問題より、質(仕組み)の問題の方が、大きな課題だと思っています(行革は、数を減らすことから、システムの改革に移っています。「省庁改革の現場から」p161)。
①部門間の「配転」がない
人数の問題も、単に一律に削減しても、良い結果は出ないでしょう。問題は、必要なところに増やしていない、不要となったところにたくさんいることです。社会の変化と仕事の見直しに、定数の見直しが追いついていないのです。
この問題は、地方自治体では、部門間配転でどんどん対応しています。霞が関ができていないのです(「新地方自治入門」p68,p290に少し書きました)。
②官僚のアウトカムの問題
公務員がよい成果を出していたら、数を減らそうとか単価を下げようという意見は、出てこないでしょう。国民の期待に応えていないから、官僚批判が続くのです。官僚は毎晩毎晩、遅くまで仕事をしています。しかしそれが、必ずしも国民の期待に応えていないのです。公共事業を続けることでは、国民は評価してくれません。
部分部分に特化し、業界の利益を優先し、全体像を作れない。事業間の優先順位の見直しができない。これが官僚制の、一番の欠点です(p290。提言・国家官僚養成行政の構造的課題)。
③改革の仕組みがない
官僚は、自らはこの見直しに、取り組めていません。そして、霞が関には、官僚制を考えるセクションがありません。専門家もいません(これが、今回の政府案とん挫の理由の一つです)。個々の官僚も、官僚組織全体でも、自己改革能力を欠いているのです。