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行政-官僚論

公務員改革

1日のこのページで、「指定管理者制度の公募は公務員の市場化テストである。職員が職場を失うことがある」と書きました。それに関連して、最近の公務員制度をめぐる話題から、いくつかを紹介します。
4月25日の朝日新聞他は、「鳥取県が2年連続で勤務成績が低かった職員のうち5人に自主退職を勧め、3人が退職した」と伝えていました。民間の人からは、「今までは何だったの」と疑問や質問が出るでしょう。かつて、授業を任せられない教員がたくさんいることが、ニュースになったことがあります。
24日の毎日新聞「発言席」では、松井孝治参議院議員が「官僚にも市場化テストを」を主張しておられました。19日には日本経済団体連合会が「さらなる行政改革の推進に向けて-国家公務員制度改革を中心に-」を発表しました。
渕上俊則(前)総務省人事・恩給局参事官が「公務員制度改革の動向を読む」を月刊『地方財務』(ぎょうせい)に連載中です。
多くの人が公務員改革を主張されます。しかし、議論がいっこうに進まないのは、関係者の間に共通理解がないからだと思います。それは、
①まず制度の現状が、十分明らかにされていないこと。制度と運用を解説した本ってないんです。公務員法の解説はありますが、私の言っているのは公務員制度の解説です。1種・2種・3種の職員が、職種別に何人採用され、どのように昇進し、どのように退職しているのか。配置転換や交流はどうなっているのかなどなど。
②百家争鳴だけど、それぞれ断片的で全体像を述べたものがないこと。
③公務員制度と運用の専門家がいないこと。これは霞が関にも学者にもいません。各省の人事課は、人事異動をしているだけです。給与の専門家はいますが。人事院は運用を行っていません。
④よって、議論が集約されないこと。
私も官僚論に関心を持ち、発言もしています。いつか、まとめたいのですが。制度と運用の現状(全体像)を書いた、良い資料がなくて困っています。(5月6日)
日本経済新聞「経済教室」は17日から「公務員改革」を連載しています。ただし、公務員制度の改革全体像ではなく、個別の問題についてです。

伝道師活動余話

かつてこのHPで、私の「副業」=地方財政の伝道師活動に関して、鎌田浩毅京大教授の文章を紹介しました。先生から、メールをいただきました。
鎌田先生は、「科学の伝道師」と名乗っておられるのです。先生の活動は、一般の方や小学生まで、出版物もたくさんです。私の活動とは、比較になりません。私の活動は、「同業者」「関係業界」相手が多いですから。
「自分の講演を録画して、講演術を自らを磨かれた」ことも、尊敬します。私も試みたことがあるのですが(といっても、自分では見たくないのに、撮ってくださる方も多いので)、とても見られたものではありません(反省)。

伝道師活動

私がいそしんでいる「副業」=地方財政の伝道師活動をどう説明したら、みんなに理解してもらえるか。講演会に行ったり本を書いたりすると、「変わり者」といわれるので、考えていました。自分では正しいことをやっていると思っているのですが、どうも今の霞が関では違うようです。
先日、東大出版会のPR誌「UP」2004年12月号に、鎌田浩毅京大教授の文章を見つけました。「基礎科学のフロンティアとしてのアウトリーチ」です。
「理系ではアウトリーチが問題になっている。アウトリーチ(outreach)とは、知らない人に手を差しのべて、情報を伝えることをいう」「アウトリーチの目的は、研究資金の獲得・後継者の育成・一般社会に認知してもらうことの3つである」と書かれています。
そうなんです。私のやっている伝道師活動は、目的が少し違いますが、これなんです。専門分野の研究者が社会で理解を得るためには、これが必要なんです。しかも、社会を変えようとする官僚の方が、科学者よりアウトリーチ活動は重要なはずです。
「寄らしむべし、知らしむべからず」とか「俺がやっていることは正しい。理解できない奴がバカだ」では、通じませんよね。社会での理解を得るためには、理解者を増やさなければなりません。さらに、時代の流れ、流行語になるまではやらせないと、改革は進みませんよね。

1 官僚の発言

1 官僚の発言
(制度の維持と改革と)
官僚には、2つのことが期待されます。一つは、法律などで決められた制度の運用です。もう一つは、その制度の問題点や漏れ落ちている事項を見つけ、改革あるいはその提言をすることです。
その点、最近の官僚は「発言」が少ないと思います。それも、自分の名前での発言が少ないと思います。書かれている多くの「論文」は、制度の解説であって、未来に向けた改革論議は少ないです。時には、「文中、意見は私見である」と書いてあっても、文中に「意見」が出てこない「論文」もあります。

(発表の場)
官僚が自説を述べる場所も、案外ありません。各省が出す白書は、匿名です(この点、新聞の社説とよく似ています)。
各省が出版・関与している雑誌(政策情報誌)には、2種類有ります。私が面白いと思っているのは、「外交フォーラムESP」です。その他の多くは、提言や分析でなく、単なる解説が多いようです。
もう一つは、専門の商業雑誌です。これは「業界向け」ですので、読者の面から制約があります。改革論議よりは、制度の解説や予算の紹介が多くなります。一定の読者(購買層)が必要です。
私が専門にしている地方行政では、地方団体や地方公務員、大学などの研究者の需要があり、いくつもの雑誌があります。しかも、その性格上、予算の紹介ではなく、制度の解説と議論を内容とすることができます。
しかし、他の官庁では、そう多くはないのです。国家公務員制度や公務員管理、国の行財政改革について、これはという発表の場、あるいは発表している論文は見あたりません。
もう一つは、総合雑誌例えば「中央公論」等でしょう。
富山県庁にいるとき、「デルクイ」という、県職員による政策情報誌を創りました。実名・写真入りで、職員が自説を書くのです。かつ、市販しています。「デルクイ発刊趣意」(『デルクイ』創刊準備号1996年)に、私の意図を書いてあります。

提言・国家官僚養成2

その1」から続く。
②入省後における国家的視点養成の欠如
採用後は、各セクションで与えられた法律の解釈と実行をこなすばかりなので、省の枠をこえ、日本全体のこと国民のことを考える意識が次第に希薄になり、目の前の仕事しか見えなくなってしまいます。
キャリアアップの時点において、日本全体のことを考える訓練の機会がないうえ、私の入省当時と比べても、現在の若手の方が残業時間の長さ一つをとっても、忙しくなっています。これではますます大局観を養う時間的余裕がありません。
③官僚個人が実名で国の政策を論じ、発言する場が皆無
官僚が活字で政策に関与する機会いえば、白書や法の改正案など、匿名での執筆に限られています。他方、実名の場合は担当している政策の解説にほぼ限定され、局や省を超えた国家のあるべき論を主張できる場、機会、媒体は無きに等しいといっても過言ではありません。
現在、地方公共団体などでは、実名で自由な発言と建設指向を伴う批判の場を提供する機関誌などありますが、少なくとも霞が関にはない。官僚はもっと、恐れず、はばからずに発言すべきです。
このように、入省以前から入省後、そして官僚生活が定着するまで、こうした悪循環が続き、国家全体を考えなくなります。結果として、官僚に対する国民からの信頼は、ますます低下してしまいます。
現在、霞が関には約四万人の官僚がいますが、ほとんど皆が同様の危機感を抱いていると思います。誰もが心のどこかで何とかしなければ、と思っていながら、日々の業務の中でなんともできない、そんなやりきれなさを抱えでいるのではないでしょうか。
思い出すのは今から二十五年前、私が入省したばかりのころ、先輩からこんな謎かけをされました。「岡本君、今の霞が関は江戸末期の幕府官僚似ているだろう」と。
当時の江戸幕府には、門閥などもありましたが、養子縁組もあり、総じて優秀な人材が集い、俊英で構成された一大組織でした。が、その俊英ぞろいが、黒船来航時にあわてふためくだけで、あるいは評定を重ねるだけで有効な対策を打てず、逆に田舎侍と侮っていた薩長に大改革を断行されたわけです。これは、頭の良い人材でもセクショナリズムに凝り固まるほど、時流に即した改革ができない、という例証です。
これを現代に置き換えると、三位一体の改革がその象徴でしょうか。中央集権から地方分権へと構造改革を進めていく過程で、補助金削減については総論賛成各論反対により議論が停滞し、結局地方に改革案の作成をお願いすることになった。とはいえ、地方にできるわけがないと多寡をくくっていたところ、思いもよらず地方が案をまとめてしまった。こういう構図が、幕末のころと不思議なほど重なり合います。
フリー・エージェント制導入で精鋭集団を
現在の閉塞感を改めるには、何より現行の人事・キャリアアップ制度を改める必要があります。各省ごとの人事管理を存続するのであれば、少なくともその上に、各省に属さず、日本全体を考える官僚集団を設定せざるを得ないのではないか。言うなれば1種の上に、「スーパーゼロ種官僚」を置く形です。所属としては内閣官房あるいは内閣府で、各省にも配属されます。
採用後しばらくは基礎教育を施すために、各省に入省させて訓練を積み、各局総務課長くらいになったら、プロ野球選手のようにフリー・エージェント宣言をさせて、出身省庁に残るか内閣に赴くか、本人の意思とやる気に委ねるというのはどうでしょう。各省ごとに現場経験を積んだあと、出身省庁のしがらみから離れ、国家官僚として内閣で国全体の問題を議論し、国の方向性を定める。そういう精鋭集団が、必要となるのではないでしょうか。
今、総理を支えている内閣官房のスタッフも、結局は帰るべき所属省庁があります。それは出向ですから限界がある。将来にわたって国全体を考え、行動する集団を作る必要があるのです。だから、自らの意思で内閣にやってきた精鋭官僚については、退職後の処遇など内閣で引き受けるくらいの度量が必要です。そうすると後顧の憂いなく、むろん出身省庁を気にすることなく、国家全体を考えることができると思います。
私自身、『新地方自治入門-行政の現在と未来』の中で官僚論を書いたり、ホームページを立ち上げて発言の場をこしらえているのですが、それには自分自身の経験が役に立っています。一つは地方自治体(富山県総務部長)に出向し、一つの組織の政策から人事、予算まで、全体を見渡すことができ、かつ責任を持たなければならないという経験をしたことです。もう一つは中央省庁改革本部に在籍し、霞が関すべてを見渡せるポジションで仕事をしたことです。これらの経験が、大変な勉強になりました。
地方では組織運営とはどうあるべきかを学び、改革本部では出身省庁にとらわれず、今後の行政の在り方について考える機会に恵まれました。官僚組織全体のあり方を問う発想、一つの枠を越えて日本社会全体をとらえる目、これらは一つの省庁にとらわれている限り身につきません。
それは官僚個人の潜在能力を考えると、実にもったいない話です。何とか人事制度を改めて国家観を持つ官僚を育て、そして活躍できる場を作るべき。切にそう思います。