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行政-官僚論

行政の無謬性神話2

行政の無謬性神話」の続きです。
「行政の無謬性」という間違った観念は、次のような悪影響も及ぼしています。国会で、現行制度や政策について質問が出ます。すると、官僚は、現行制度や政策が正しいとして答弁を書きます。現行制度が正しいという前提です。

ところが、担当者は、この制度の限界を知っています。つくったときはそれでよかったのですが、時間が経つと社会も変化し、現場ではそぐわない事例が出てきたり、想定していない事象が起きてきます。それでも、法律の担当者としては、現行制度を是として答えざるを得ません。「現行制度は時代の変化に遅れていて、変える必要があります」と答弁すると、「現行法令がおかしいというのか」とお叱りを受け、審議が止まるおそれもあります。

私には、次のような経験があります。「追悼、辻陽明記者」「朝日新聞一面
2003年私が総務省交付税課長の時です。12月4日の朝日新聞1面に私の発言が載りました。「破綻の聖域 地方交付税」という表題で、「『地方交付税制度は破綻状態に近く、今のままでは制度として維持できない。官僚だけでは処理できなくなっている』総務省の岡本全勝・交付税課長が地方自治体職員ら約140人を前に、制度の窮状を明らかにした。東京・新宿で11月11日に開かれた地方自治講演会。交付税の責任者が吐露した本音に、参加者は驚いた。」という書き出しです。
現役課長が朝日新聞の1面に乗ることは、霞ヶ関では好ましいことではありません。しかも、自分の担当している仕事についてです。私自身は、間違ったことを言っているつもりはありませんでしたが。当時の瀧野欣弥官房長(後に内閣官房副長官)と国会議員会館ですれ違い、「新聞にあんな記事が出て、申し訳ありません」とお詫びしました(私は国会を飛び回っていたので、そんなところで役所の上司に会ったのです)。滝野官房長は「おかしいと思ったら、自分で改革せよ」とだけ、おっしゃいました。『地方財政改革論議』(2002年、ぎょうせい)なども書いていました。

制度を運用するのも公務員の仕事なら、制度を変えるのも公務員の仕事です。「おかしいと考えています。改革案は・・・」といった発言が、普通にできる社会がほしいです。まずは、与野党の議論、マスメディア、研究者たちの場で、問題を提起し、議論を重ねることでしょうか。

追記(9月13日)
このページを読んだ読者から、次のような指摘をもらいました。その通りですね。次回から気をつけます。
・・・「行政の無謬性」というと明治憲法以前の法律論である「国家無謬説」(本質は裁判権の問題です)と「行政官をめぐるビヘイビアー」をごっちゃにしてしまうので、「行政の無謬観」というべきではないかと思います・・・

行政の無謬性神話

先日、あるところで、行政の無謬性、官僚の無謬性が議論になりました。
行政の無謬性とは、行政は間違いを犯さないものだ、間違いを犯してはならないという考えです。私も官僚になった頃は、「そんなものかなあ」と程度に考えていましたが、経験を経るに従って、「それは真実ではない」「そんなことを言われても困る」と思い始め、「誰がそんなことを唱えたのだ」「やめてくれ」と思うようになりました。

問題を提起したのは、現役官僚です。彼も、行政の無謬性に疑問を持っていました。
私は、次のように考えています。
1 行政は間違いを犯してはいけない。確かにその通りで、法令の適用を間違ってはいけません。しかし、人間がすることですから、間違いも起きます。官僚も生身の人間です。民間企業の社員と変わりません。

2「絶対間違いを犯してはいけない」と主張するなら、それなりの手当が必要です。
例えば、「法案の記載誤り」が厳しく批判されました。法律改正の重要な内容に間違いがあってはいけませんが、重要でない部分や参考資料の記載誤りについてそんなに問題視することでしょうか。訂正すれば済むことでしょう。そのような間違いもしてはいけないというなら、人と時間を増やしてください。
もし私が当事者の官房長だったら、国会での釈明の際に、「申し訳ありません」と言いつつ、「しかし、現在の人員と限られた時間では、間違いも起きることがあります。法令本文には間違いがないように心がけますが、参考資料は正誤表で対応させてください」と答弁したでしょうね。

3 ここにあるのは、いまだに残る「官僚神話」ではないでしょうか。「官僚は優秀で、間違いは起こさない」というかつての神話です。一方で、エリートは認めないので、官僚を叩くという風潮です。
この問題の解決は、「官僚も普通の人ですから、間違いも起きます」と当たり前のことを認めることです。私なら追求されたら、「あんたも間違いを犯すでしょう」と反論します。
何か失敗が起きたら、しばしば「二度とこのようなことが起きないように、調査をして、再発防止に務めます」というような謝罪会見がされます。これも、やめた方がよいです。そうでなくても忙しい職員に、さらに仕事を増やすだけですから。その調査の結果、職員数を増やしてくれるならよいのですが、それを認めてくれないですよね。
「今後も失敗が起きないように注意して参ります(でも、人間のすることですから、また起きるかもしれません)」が正しいと思います。もちろん絶対間違ってはいけないことと、少々の間違いは許してもらえることとの区別はあります。
この項続く

黒江・元防衛次官の回顧談6

「黒江・元防衛次官の回顧談5」の続きです。失敗だらけの役人人生、追補9は「信念岩をも通す(下)有事法制と平和安全法制」です。内容は本文を読んでいただくとして。政治主導と官僚の役割の実例が語られています。

基本的な政策で国内に意見対立がある、しかし差し迫った必要性がある、これまでの政策の方向を変える。このような場合には、官僚では結論を出すことはできません。準備をしつつも、政府与党で方針を決める必要があります。そして方向が定まったら、それに従い官僚が法案を用意し、与党の了解を得る。

さて、非常に興味深く勉強になった黒江・元防衛次官の回顧談。今回で終わりのようです。官僚の役割としても、重要な記録です。この連載が本になること、そしてまた続きが書かれることを期待しています。

・・・たまたま今年は、私が防衛庁に勤め始めてからちょうど40年の節目に当たるのですが、この間に我が国を取り巻く安全保障環境が大きく変化してきたことは追補版で紹介した通りです。特に昨今は、従来のようなOn o∬がはっきりした活動ではなく、誤解を恐れずに言えば「常在戦場」的な活動が要求されているように思います。これは、例えば尖閣諸島をめぐってグレーゾーン状態が常態化していることや防衛省のHPや各種システムが日常的にサイバー攻撃の脅威にさらされていることからも明らかです。「平素は部隊の練成に努め、一朝事ある時に即応する」という考え方ではもう情勢に対応出来ないのではないかと感じます。このような難しい状況に対応するためには、常に情報収集・分析を怠らず、政策決定権者と状況認識を共有し、適切なタイミングで選択肢を提供し、必要な命令を即座に得ることが必要不可欠です。不断の改善は必須だとしても、これらの業務に必要な制度や組織などの基本的なインフラは既に整備されています。これかりま、こうしたインフラを最大限に活用して日々の事態に対応して行くことが求められているのです。運用部門での仕事について紹介した際に「結果を出す」ことの重要性を強調しましたが、今はさらに「スピーディに」結果を出さなければなりません。若い皆さんがこなさねばならない仕事は、私の現役時代よりもはるかに複雑で難しくなっていますが、結果を恐れずにスピード感をもつて取り組んで頂くことを切に祈念します・・・

黒江・元防衛次官の回顧談5

黒江・元防衛次官の回顧談4」の続きです。
失敗だらけの役人人生、追補7は「信念岩をも通す(上) 情報本部の設立」、追補8は「信念岩をも通す(中) 防衛庁の省移行」です。

それぞれ、大きな組織改革についてです。役人だけではできない改革を、与党や官邸を巻き込んでどのように実現していくか。
部外者にはわからない、実態の一端を知ることができます。これも、貴重な証言です。

黒江・元防衛次官の回顧談4

黒江・元防衛次官の回顧談3」の続きです。
失敗だらけの役人人生(追補5)」「失敗だらけの役人人生(追補6)」は、平成以降のわが国を取り巻く国際安全保障環境の変化と、国内の政治経済状況が極めて流動化したことを、体験として書いています。それまでの通念、常識が通用しなくなったのです。

北朝鮮工作船との銃撃戦、北朝鮮のミサイル発射、中国の挑発、自衛隊のイラク派遣撤退といった事案への対処とともに、総理官邸、安全保障・危機管理室の様子、イラク現場の緊張感が書かれています。
日本の安全保障環境と防衛省の仕事が、急速に変化したことがよくわかります。また、政府内部でどのように対応されているかも。これらも余り活字になっていません。貴重な証言です。