カテゴリーアーカイブ:連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第257回

2026年5月7日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第257回「これまでの議論ー日本社会の戦後の変化」が発行されました。これまでの議論のおさらい、戦後の日本の変化を続けています。

この80年間の変化、特に前半40年間の「昭和の変化」は、誠に驚異的なものでした。いずれの時代にも社会は変化しまが、この間の変化は、その大きさにおいて例外的なものでした。
日本列島に住んだ人たちの暮らしを超長期で見て、最も簡単に区分するなら、狩猟時代、稲作時代、産業化時代の三つに分けるのが分かりやすいでしょう。縄文時代と、弥生時代からほんの少し前まで、そして現代です。
終戦直後まで、日本人の約半数が農業に従事し、大半の人が農村に暮らしていました。その観点で見ると、「長い弥生時代」は、つい最近まで続いていたのです。戦後の経済成長期は、日本人のなりわいが農業から工業や商業に変わり、住む場所が村から町になった時代です。3千年も続いた長い弥生時代が終わるという、社会構造が変わる大変化の時代だったのです。それも地域によって差はありますが、半世紀で、いえ四半世紀で変わったのです。

昭和後期の経済成長は、なりわいを変えただけでなく、世界から驚異的と評価される素晴らしいもので、日本の経済力は世界最高水準に達しました。国全体だけでなく国民も豊かになり、便利で快適な生活が実現しました。併せて、清潔で健康的で安全で自由な社会も、手に入れました。行政は産業振興に成功し、公共サービスも世界最高水準のものを整備しました。過疎と過密という問題はありましたが、全国どこでも同じ水準の行政サービスを享受できるようになりました。「一億総中流」という言葉が定着し、平等な社会を実現したとも思われました。

ところが、そのような成果の享受は、長くは続きませんでした。「平成の変化」がやってきます。バブル経済が崩壊し、日本は長い経済停滞に入りました。当時は、一時的な景気変動であり、経済が正常化するための過程と考えられていたのですが、そうではありませんでした。長期停滞は経済面だけでなく、社会にも暗い影響を与えました。人減らしは、正規従業員と非正規従業員という格差をつくりました。

昭和の終わりは、「長い明治時代」の終わりでもありました。明治以来、日本は国を挙げて、西欧先進国に追い付くことに努力してきました。これが、100年以上にわたって「この国のかたち」の基本になったのです。ところが、昭和後期に西欧先進国に追い付いたことで、「長い明治時代」は終わったのです。それは目標の達成であるとともに、目標の喪失でもありました。産業界にとっても、行政にとっても同じでした。そして、新たな目標を設定できず、長期停滞に入りました。「失われた30年」は、次なる目標を設定できずに漂流する、日本の苦しみでもあるのです。

引き続き、連載第3章では、まず「昭和の変化」を詳しく説明しました。

連載「公共を創る」8年目へ

2026年4月25日   岡本全勝

時事通信社『地方行政』での連載「公共を創る」が、8年目に入ります。第1回は、2019年4月25日でした。
これまで256回。よくまあ続いたものです。我ながら感心します。毎回丁寧に読み込んで、真っ赤に手を入れてくれる右筆に感謝します。
4月から、第5章のまとめに入っています。もう少しで完結します。するはずです。
連載「公共を創る」6年

同時代史は難しい

2026年4月23日   岡本全勝

連載「公共を創る」は、締めの第5章に入り、まずこれまでの振り返りをしています。といっても、250回あまりを振り返るのは大事業です。単に掲載記事を圧縮するのではなく、全体を書き終わっての地点から振り返り、欠けていたところを補ったりすることを心がけています。連載を続けているうちに、考え方が整理できた部分もあります。

それとともに、2019年4月から丸7年かけると、その間に社会も変わり、私の見方も変わります。それを考えていると、つくづく現在を理解することは難しいと思います。
過去との比較で、続いていることや変わった点は良くわかります。しかし、未来への予兆は把握しにくいです。誰も、明日の世界がどうなるのかは、予想できません。できたら大金持ちになっているでしょう。例えば20年前に、スマートフォンが普及して、老若男女ほとんどの人が持つと予想した人はいなかったでしょう。

社会科学での分析とは、比較が主になります。過去との比較か、同時代の他の地域・国などとの比較です。昭和後期の意味は平成時代になって明確になり、平成時代の意味は令和時代になってから明確になりました。未来との比較はできないのです。
現在の社会で芽生えている予兆が、将来大きく広がることもあるのでしょう。どれが広がり、どれが消えていくのか。それは、わかりません。

ドイツの哲学者ヘーゲルの有名な言葉に「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏にようやく飛び始める」があります。この言葉は、哲学が遅れてやってくる、物事が終わってからわかることを表現したようですが、社会科学一般に当てはまるのでしょうか。

連載「公共を創る」第256回

2026年4月16日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第256回「これまでの議論ー社会・経済システムの大転換を成し遂げるには」が発行されました。これまでの議論のおさらいを続けています。
第2章で提案した社会の見方の転換の一つは、施設やサービスだけでなく人や社会が持っている文化や気風の重要性を認識することです。私たちは公共施設を社会資本と呼びますが、暮らしを支えているものはそれらにとどまりません。関係資本と文化資本も重要であり、それらは社会の問題も生んでいます。

日本の文化や習俗を分かりやすく表現するために、「この国のかたち」という司馬遼太郎さんの言葉をお借りしました。この概念を使うと、同じように法制度や市場経済を導入しても国によって運用と成果が異なることを、説明することができます。また、憲法や法律には定められていない文化や習俗に、国民の行動と思考が縛られることも整理しやすくなります。
例えば、憲法第24条第1項は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と定めています。しかし最近まで、実態としては二人の合意だけでは結婚できず、親の許しが必要でした。そして結婚後は、多くの家庭で夫婦は平等でなく、夫が「主人」として振る舞うものでした。しかし、結婚の仕方や家庭内での夫婦の位置付けは、この数十年で大きく変わりました。

司馬さんの「この国のかたち」という言葉とその観点は、政府も大きく扱うことになったのです。2001年に実行された中央省庁改革の方針を定めた「行政改革会議最終報告」に、「『この国のかたち』を再構築することこそ、今回の行政改革の目標である」と書かれたのです。

次に、「第3章 日本は大転換期」では、長期的な視点から日本社会が大きな転換期にあることを説明しました。そこで取り上げたのは、「行政の前提となっている社会の変化」です。私たちが政策を考える際に前提としていた日本社会がどのように変わったのか、またその中で国民は行政に何を求めているのかを話題にしました。
本稿で対象としている課題は、国民の意識や世の中の仕組みが、経済と社会の実態的な変化に追い付いていないことでした。変化について考える際には、政治と行政制度の変化ではなく、国民の暮らしがどう変わったかに視点を合わせてきました。歴史学で言うなら、政治史ではなく社会史といわれる領域です。

対象とした期間は、第2次世界大戦後を中心にしました。終戦直後の戦後改革は、いま議論している政治や行政とその前提となる社会に関して、革命とも言うべき大きな改革でした。この国のかたちの枠組みが、ここで決まりました。その後、憲法をはじめとする統治に関する制度は、大きく変わっていません。しかし、社会の方は、制度とは少しズレながら、大きく変わりました。
その際に、特に二つの期間の変化を取り上げました。その一つは、戦後約40年間(昭和後期。1945~1989年)の変化、すなわち戦後改革と経済成長期の変化です。「昭和の変化」と呼びましょう。もう一つは、その後の平成時代の30年間(1989~2019年)と現在に続く令和時代(2019年~)の変化、すなわち成熟社会時代の変化です。「平成の変化」と呼びましょう。この二つの時期に、日本社会の変化が進行したのです。

連載「公共を創る」第255回

2026年4月9日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第255回「これまでの議論ー成熟社会に対応した見方への転換」が発行されました。前回から、これまでの議論を整理しています。

連載第2章では、公私二元論は多くの弱者が見えなくなっていることを指摘しました。
私が社会の陰に隠れていた弱者たちに気付かされ、その人たちに対する政府の役割を考え始めたのは、第1次安倍晋三内閣で再チャレンジ政策を担当した時です。再チャレンジ政策では、次のような境遇にある人たちを支援の対象としました。
一つは、長期不況による就職難に遭遇し、経済的に困窮している人たちです。フリーターやニート、非正規労働者です。彼らは自由な社会で自らの判断で選んだ人だといわれていたのですが、そうではなかったのです。もう一つは、以前から機会の均等に恵まれなかった人たちです。子育て女性、障害者、母子家庭の子どもなどです。失業者や母子家庭について、政府はすでに支援の制度をつくっています。しかし必要になったのは、それらの制度の拡充でなく、「再チャレンジ政策」という新しい施策です
私のもう一つの体験は、「年越し派遣村事件」です。当時、多くの人が「行政は、経済発展と国民の幸福を推進するという役割を成し遂げたようだ」と考えていました。ところが、長期停滞が格差や不安を生み、他方で経済成長期にもいろんな問題が坂の下の陰に隠れていたことが見えてきたのです。

私は大学で近代立憲主義と所有権や自由権の考えを学び、労働法制や社会保障制度がその部分的修正であることも学びました。そして日本国憲法が健康で文化的な生存権を保障していることも理解していました。近代思想のそこまでの流れは頭にあったのですが、社会保障制度を完備したので、社会で起きているさまざまな問題は裁判所で争われることであって、自分の所管する事務に直接関わってくるものであるかについては、認識できていませんでした。
しかし、再チャレンジ政策に携わり、「弱者」はもっと多様に存在することを知りました。大震災からの復興では、政府による民間企業や私生活への適切な介入が必要であることを実感しました。それらの政策は、これまでの行政の政策の延長で収まらないことであり、さらに広く見れば近代立憲主義の公私の区別の考え方などにも限界があると思えるようになりました。

第2章で提案したもう一つの社会の見方の転換は、施設やサービスだけでなく人や社会が持っている文化や気風の重要性を認識することです。これまでの行政は、公共施設(施設資本)とサービス提供(制度資本)の充実と、自然資本の保護に力を入れてきました。しかし、私たちの暮らしが安全で豊かなものになっているのは、それだけではなく、関係資本と文化資本が充実しているからなのです。
関係資本と文化資本の重要性を指摘したのは、それらが良い結果だけではなく、幾つかの社会の問題も生んでいるのではないかと気が付いたからです。